油彩スケッチ休んで散文

先日、川下りをしたことを文章にしている。

いつも間違いだらけの自分が本当は記録など残すべきじゃないのだけど、史料として役に立つ正確さになるよう努力している。
もともと歴史などには興味はないのだけれど、私にとっては現在の制作テーマ上、地元の史料が必要だったし残してくださったことへの感謝の気持ちも強くある。

おおかたの人にとっては意味のないことであっても、消えつつあるものを記録に残しておくことにはやっぱりお金に変えがたい価値があると思う。

埋もれてしまった水運(舟運)の記録も未来のどの場面に役立つかわからない。そう思うようになった。


ものの価値というのは常識にとらわれる必要はないと思う。自分にとって価値があればよい。日々。それは反対にお金では買えないものだろうというのが実感を伴ってやってくる。


昨日急にはっきりした将来の展望。
自分の絵は死後30年ほど人目に触れてくれれば良いと思えるようになった。
30年というのは自分のことを知っている人がいなくなる年数をイメージしている。できるだけ頑張って実家を保ち、そこを母の死後小さな私設美術館、兼地元のお土産・飲食店として誰かに経営してもらえる状況を整えること。

現在の制作テーマに沿って地元を観察しているうち、当地は限界集落を免れる可能性があると思うようになった。ただそのために必要な色々はあるだろうけれど、うまくいけば観光地・田舎暮らし的なものとして存続するかもしれない。そこに乗っかるかたちでなら、美味しいコーヒーのついでなら人目に触れるチャンスがなくもない。そのうちのほんの一部の人が「あ」となってくれれば十分だ。

けれどそうであっても30年としないうちにやっぱり私の絵は消失するのだろうと思う。それ以上は望むべくもないと思うようになった。
別に私の絵に限らずあらゆる物質の将来は危ういものだ。肉体でさえ本当にあり続けるのかわからないと思っている。

それでもだからこそ私の業はとまらない。
母の死までに描き溜める絵はその後30年以内に消えてくなるだろう。それでも母の死後、取り組む作品も着想している。それは大地に刻み込むような作品。や、具体的にはなってないけど。刻み込んで自分の跡を残したいというのもあるけど、たぶんそれは単なる思いあがりで、本当の欲望は精力の全てを叩き込んでみたいというものだと思う。それができれば後になにも残らなくても満足できそうな気がするので。


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