曝け出る本質
文章は書くのも読むのも好きなので、報道記事なんかでも文章の良し悪しだけを基準に読むようにしていたりする。
もちろんスキルフルな優れた文章も好きだが、たどたどしい文章もむしろ優れた文章より好きになったりする。なんでだ?
たどたどしい文章というのは、たどたどしい気持ちから生まれてくるんじゃないかと思う。
そして、なぜたどたどしい気持ちになるかというと、経験したことがないことにぶつかったからじゃないか。または自分には表現しきれないものにぶつかったとか。
しかしこれって、なんというかすごくよく分かる。
「なんというかこれ、このなんというかなもやもやを、なんとか発散したい」という言葉にすれば凡庸な欲求に駆られて、とにかく筆を走らせてみる感覚のあの感じ。
やむにやまれぬあの感じ、実はほんとはそれだけが人の心を打つんじゃないかと思わなくもない。
そこに表現の本質があろう。
曝け出された垂れ流しは、それがいっかいでもテンプレ化した瞬間にマイナスに極振りされてしまうものだが、意識しようもなく”垂れ流してしまう本質”を曝け出されたその瞬間こそが、やっぱり表現の本質だなあと思えてしまうのだ。
文芸的文章よりもむしろ、報道記事なんかこそ、この本質が大事な気がする。毎日、人間の悲惨や幸福に麻痺した記事から得られるものはない。
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