原稿連載2

H I N O K A W A

2・佐治川

加古川の上流・佐治川に合流して、小さな堰を過ぎたその先で川幅が狭まると、流れはいきおいづき、波をたてながら左にうねり、さらにもう一度右にうねると、再び川幅が広がります。その先の左岸に小さな河岸が見えてきました。
甲はネジ木の舵を切って筏を河岸に近づけます。船戸というこの河岸で、甲はシシ(猪)を筏にのせて運んでやる約束をしていました。

けれど約束したおやじはおらず、代わりに若い二人の男が荷車のそばで立っていました。それは知り合いの里の男たちでした。荷車には巨大なシシ(猪)が四肢を縛られて、くたばっています。筏にはシシでも女でものせてやりましたし、預かりものを届けるなんてこともしょっちゅうでした。そんなときはちょっぴりお礼をもらうくらいでお金は貰いません。このシシは川下の本郷の飯屋のおっさんから頼まれていたものです。畑荒らしの大シシを罠で捕らえて駆除したそうで、里のほうも、ただで呉れてやるというのでした。ですが、若い二人の男は甲が約束していた百姓ではありません。約束していたおやじは見あたりません。

筏が河岸に近づいたころ、背の小さいほうの男がニタニタしながら大きな声で「乙ー、あれこきよっこ?」とわざと大げさに突き出した自分の股間の前で右手を上下させて見せました。この二人はいわば乙の天敵で、この少しぎょろついた眼をした小男が乙はとくに苦手です。隠れられるわけもないのに、そーっと棹をたて、その陰に顔を隠したつもりになって、自分など存在しない風を装っています。そもそも「あれ」が乙にはわかりませんでした。ただそれは皆が話題にする、あまり大っぴらには言えないけれど、誰もがやっていることで、知らない奴は男として馬鹿にされる、ということだけがなんとなくわかっていて、なのにそれを知らない自分が情けないのと悔しいのとで、遠くから見てもわかるほどいっぺんに耳やら頬を赫くするものですから、もう一人の、梅干しを真ん中にのせた弁当ごおりのように色白で平たい顔をした、鼻頭がおできで赫くなった大男も、したり顔で「知っとっこ?あれ」とつなぎ、「あれ、知らんのんかあ乙~」と、わざと残念がる小男に「いや、いや、いや、知らんはないやろあの歳で」と大男が掛け合います。

甲はやれやれと、かすかな怖気を払うように首筋をぼりぼり掻いて、「乙、ほれ」と筏を係留する棕櫚縄を投げてよこしますが、筏の真ん中で居ないふりの乙は固まって見向きもしません。仕方なく甲は舵を離れ、落ちた棕櫚縄を拾い、河岸の杭にもやい、後続の筏を引き寄せに走りました。そのあいだも乙は、筏のハナにのったまま固まっています。
ひとしきりからかって小男は、甲の姿を横目で追いながら、さらに乙にからんできます。
「そういうたら、乙、お前の基地、かっこええやんけ」すーっと横を向いて、小男は乙に間を与えてやると、思惑どおり乙は隠れたふりをやめて、「え、なんで知っとるん」と慌てます。ですが小男は乙の質問には答えずに「基地の入り口につけとんのん、あれ、ええわー。」と羨ましそうに言ってみせました。

乙の基地とは、乙の家の敷地の隅っこにある古い納屋のことです。
乙は勘当こそ解かれましたが、もちろん筏は禁止。乙もほんとうは親を安心させたいし、筏はあきらめて庄屋の後継になる努力をしたのですが、うつけものゆえ文字書きを習っても覚えず、丁稚のしごとをさせてみてもヘマばかり。そもそも、代官から村の代表を任ぜられた特権階級である庄屋は、さほど仕事があるわけではないのですが、里の事務の管理や村議のまとめ役など、本当ならとても乙などに務まるものではないむつかしいものです。けれどそこは格好だけで、むつかしいことは番頭にやらせてしまえば済むと考えた親のほうもさりなん、ヘマでは済まず、小さな村にしてはたいそう立派な長屋門で、番頭から預かった大切な帳簿を主屋にいる親に届けるだけの間に、滑って池に嵌めてしまうというあほらしい不始末で、とうとう乙はなにもせずにただ部屋で座っているという蟄居を命じられてしまいました。けれど、うつけの乙にじっと家で蟄居など到底できるものではありませんでした。乙もそれはもう真剣に、じっと動かずいようと頑張ったのですが、どうやら頑張りすぎたか、おかしなものが見えはじめる始末で、なんにもない中空に蛍でも見つけたようにその蛍を追ってふらふら外へ、気がついたら山の甲の小屋まで辿り着いている、あるいは気がついたら河原にいた、なんて奇行を繰り返すものですから、親もとうとう根負けして、筏のりを黙認せざるを得なくなったのでした。乙も、ここまで親に迷惑をかけたからにはと、自立を目指して、家の裏の隅っこのもとは便所小屋だった古い納屋を、自分で直して住みだしたのです。もちろん親はたいそう呆れましたが、もうなにが許せて許せないのかも分からなくなってしまって、ただただ、小さい子供の秘密基地のような、川の下の非人の小屋のような乙の新居を放置するばかりなのでした。
ともかく、その納屋の話をしています。

乙はなんだか嬉しくなって「あれか、あれはな、わいが河原で見つけてきたんや!ええやろ!シカの角や!」と、昂奮して薄みどり色の鼻水を垂らしてそう答えました。
「ほー。そやけどあれ、木の根っこやぞ。」小男がぼそりと言います。
「なに言うてんねん。シカの角じゃ。」
「根っこやぞ。」
「なんでわかんねん!あんな根っこ河原に落ちとるかい!」
「せやってあれ、わしが置いといたんやもん。」
「え」
小男は相かわらず横を向いたままです。

「よーうシカの角に似た木の根っこ見つけたなーおもて。山で。ほんで、乙が見つけそうなとこ置いといてん。なんやおもうかなーおもて。」
「せやって、ちゃんと根本でぶつって取れてるやん」
「わしが切ってんもん」

「ぷっ!」と大男が吹き出します。

「え」乙はまだ話が呑み込めません。
「ええやん。木の根っこ。自然と仲良しって感じ。」
「そらー筏のりやもん、自然と仲えーやろ。相方も山んなか住んどっしなー。」と大男がニヤニヤと広げます。
「甲はべつにええやん!」なにがなんだか分からず混乱しながらも、自分のせいで甲がいじられてるような気がして、乙は顔いろをかえました。

淡々とシシを積み込む支度をしていた甲は、一瞬、身体がこわばりましたが、一息入れると、濁った目が開いたままの、四肢を縛りあげられた、米俵二俵(約百五十キロ)はあろうかという巨大なシシを、「えい!」と小さく発した気合いとともに難なく背中に担ぎました。身体はとくべつ大きいわけではありませんが、甲の肩は大男並みに発達しています。アンバランスなほどの逆三角形の肉体のシルエットは、人間ではない、なにか別の生き物のような印象を与えました。

そんな様子を見ながら小男と大男は、なぜかちょっぴり負けたような気持ちが沸いてきて、しつこい小男はなおも
「自然と仲良かったらええやろなー。真冬の氷の川でも飛び込める感じぃ?じゃぶじゃぶっ。」と、少しとがった顔をして溺れる真似をしました。

感じぃ。ぃ。。ぃ。。。その間伸びした語感に、赤い布きれを前にした牡牛と化した乙が、けっきょくまったく毎度のように二人のほうへ猛然と突進していきました。そしてまったく毎度の結果、大男が細い目をさらに細くしながら待ってましたとばかりぐっと腰を構えて、真っ正面から向かってくる乙を、あっというまにひっくり返すのでした。

そんななかでも黙々と甲は、運んだシシを岸から筏に放りのせてから、今度は三人のほうへ向かい、またしても引き下がる知恵のない乙が二度目の突進をして、またしても後ろの小男が抱腹絶倒する前に、乙をシシ同様に担ぎあげ、踵を返すと男たちに背中越し、「あんたらかってしぜんあいてにしとるしごとやん」と独り言のように言い捨てて、やはり岸からどさっとシシの横に、乙を放りのせるのでした。
「いや、わいらー、里で暮らしてるから自然ちゃうねん」とうとう真剣な顔になった小男を、大男がやや制するように「まあ、まあ、まあ、それはそのとおり!みんな、お天道さまのおかげでお米いただけてますさかい。」とおどけて空に手を合わせて念仏を唱えだしました。

甲に担がれて、はじめは暴れもがいていた乙も、筏に放り込まれた頃にはむしろ脱力して不貞腐れ、仰向けのまま動かなくなっていました。男たちもそれ以上は揶揄(からか)わず、「甲、シシ頼むわ。」などと急に友好的な態度で出航する筏を見送ります。二人は甲をエタや非人のように考えて、ほかでは嘲っていましたが、まちがって相撲ともなれば万が一にも三つも歳下の甲に負けるわけにはいけません。万が一にもそうならないよう、彼らはちょっとだけ甲たちに友好的なのでした。

甲はそれ以上二人には構わず筏のもやいを解いていると、土手の向こうから、なにやら声が聞こえてきます。「おーい!すまんすまん!忘れもの取りに帰えとってのー!」と、約束していた百姓のおやじが手を振って向かってくるのが見えてきました。おやじが戻ってきて、急に色をなくしたか、こそこそ土手を帰っていく二人の男に、「ん?おまえらどうしてん?」と声をかけながら、まんじゅうみたいな顔をしたおやじは河岸まで降りてきて、前歯の抜けた歯茎を剥き出して笑いながら「くだる途中で食べたらええわ。」と、取りに戻って手拭いに包んできた吊るし柿を一山くれました。
「で?なんであいつらおってん?」二人はどうやら乙を揶揄うためだけにやってきていたようです。「シシ運ぶん手伝うでもなし。あいつら朝からひまなんか?せや、ちょうど集会場の薪割らんなんかってん。あいつらやらせたろ。」今はもう遠くになって姿の小さくなった二人を、片目を閉じてつまむ真似をしながら、呑気なおやじはまた笑いました。
そして「本郷のおっさんにも吊るし、あげといてー。」と手を振るおやじに送られながら、筏は再びくだり始めました。

旅の出鼻をくじかれて、筏が進みだしても乙は仰向けのまま動きませんでしたが、やがて「甲ー、あれってなんや?」と仰向けのまま訊いてきます。甲はちょっと耳を赫くして「知らん知らん」としか言いませんでしたが、それでもしつこく乙が「なー」と、不精に寝たまま大きく口を開けた途端、なにか白いものが空から降ってきて、すっぽり口のなかに入ってしまいました。突然のこと、空のカラスの落とし物がすっぽり喉の奥まで飛びこんできたのです。ごぼーっと咳き込んで、えづいて、げーっとなって吐瀉して大騒ぎです。川の水をたらふく飲んで、無かったことにした乙ですが、今度はなにやら身体じゅうが痒いと言い出して、背中から腹から掻き捲ります。くだりはじめてろくに棹も握らず、騒々しいだけの乙。

ただ、水嵩の多い今朝の佐治川はすいすい滑(すべ)るように筏を押し流してくれました。ようやく上半身だけ起こした乙が棹を差すまでもなく、筏は甲のネジ木の操縦の腕前だけで速度をあげていきます。
佐治川の流れは疾いけれど素直で、さしたる難所はありません。水は豊かで目立った大岩もなく、川床も砂利や堆積土で危険な流れがほとんどないのでした。ただ、困りものは井堰です。シーズンの田圃に水を送り込むための井堰は、田んぼが休む秋から春まで中央で開放され、川底も整備して自然と開放部分に筏も舟も流れ込むよう工夫されていましたが、管流しと言って一本ずつ丸太を流すと、コントロールが効かず井堰に衝突することもあって、コントロールの効く筏は多少なり地元の百姓にも歓迎されましたが、それでもときには筏も座礁しましたし、地元の百姓から苦情が出ることだってありました。
問題といえばそれくらいの、ひたすら山と田んぼばかりの、あまりにありふれた農村風景の広がる丹州・氷上盆地の真ん中を、佐治川の美しい水は静かに疾く流れていきます。

甲の目の前には、いまはようやく棹を持って大股開いて先頭に立つ乙の背中越し、てらてらと朝陽を映してまばゆい川面から風が匂い立ち、残雪の両岸は枯れたヨシとススキが一面、陽を吸って黄金色にふくらみ、その遠くにうすく雪をかぶった低い山並みがぐるりと連なっています。そして視界の上半分は、遮るもののない広く高い空。その果てに薄い筋雲が棚びいていました。どこまでも平穏で水のせせらぐ音と匂い。陽が昇るにつれて、暖かい日差しが川の匂いも解凍していきます。

渡しの小舟のほかは、通過するいくつかの河岸に高瀬舟の姿はありません。筏に先んじて夜明け前、くだりの舟は出払いました。
見かけるのは鳥ばかり。浅瀬の餌場ではサギやカモ、ガン、カワウなどの水鳥たちに騒がれます。セキレイ、モズ、カワセミ、それにシジュウカラ、ジョウビタキ、メジロ、ヒヨドリなどたくさんの水辺の小鳥たちにも警戒されて、枯れヨシの藪から一斉に群れで飛び立ったりして、こっちまで忙しなくもなりますが、それ以外はなにも起こりません。筏はひとり静かに川をくだり、空は広く高く、筏のりはただ世界の真ん中にいました。

徐々に川幅は広がり流れは緩やかになり、川面に漣も立たず滑る(ぬめる)ようなみどり色の水鏡になったころ、正面に大きな味耜高神社(アジスキタカ)の社殿が見えてきました。川は社殿の丘にまっすぐぶつかると、まるで大蛇が獲物を呑んで腹を膨らませたように澱んでから、大きく右に迂回します。甲は乙に合図して、ネジ木を固定すると、「吊るし、喰おか!」と笑って言いました。乙も棹を置き、「ええのう!」と嬉しそうに顔を膨らませて、胡座をかきます。そして、乙と甲はいつもの習慣で、社殿に手を合わせ、川面に手を合わせしてから川の水を掬って一口飲み、もう一度掬うと顔を拭います。そして、おやじにもらったふっくら太って大きな吊るし柿を一つずつ喰いました。

真っ白い粉を吹いた西条柿の吊るしの中は、赫い琥珀というような透明な実が肉厚で、トロけるように甘くて、あんまり甘くて乙の中のなにかを吹き飛ばしました。そして乙は、透明の赫い脂肪のようなゼラチンに包まれた大きなタネをまたぞろ喉に詰まらせて、社の前の澱みの静寂を台無しにして、甲に背中をどつかれてようやくひと心地つくのでした。

ここは丹州(丹波)西北端・氷上盆地のほぼ中央。
端から端まで背骨のように連なる急峻な山岳列島・本州のなかで、もっとも低い分水嶺がこの氷上盆地にありました。つまり、水分れ(みわかれ)と名付けられたこの分水嶺の標高がわずか九十五メートル。ここを起点に南・瀬戸内海へ加古川が、北・日本海へ由良川がそれぞれくだるのですが、いうなればこの二つの川をつないだ道筋はそのまま本州の背骨を分断して渡る回廊のようなもので、瀬戸内の温暖な南風と、若狭・日本海の湿った北風が行き来して混じりあう、とくべつな気候をもつ土地柄なのでした。
山に阻まれず風が流れるのならば、この氷上回廊と呼ばれる山岳列島の風穴は、物質の行き来も容易いはずで、若狭⇄氷上⇄高砂という舟運回廊を、いつでも人々に想起させました。その回廊に欠かせない中継陸路として想定されたのが、出発早々シシをのせた船戸の河岸の先にある、穴の裏峠を通る道筋でした。
けれど未だその夢の回廊が実現しないのは、ただ自然の障壁のせいだけでなく、政治という障壁があったからでもありました。

今はもう船戸の河岸から三里近くはくだったでしょうか。この加古川上流に、穏やかに連なる山並みに蓄えられた豊富で清透な水があちこちから流れ込み、味耜高神社を迂回したすぐ先では、西から葛野川が合流しました。そして水分れの分水嶺を源流にくだる柏原川と合流するのは、いま目の前に見えてきた本郷舟座を過ぎてすぐです。

味耜高神社の丘の陰に隠れていた本郷舟座のハマが、忽然と現れました。

2・佐治川

加古川の上流・佐治川に合流して、小さな堰を過ぎたその先で川幅が狭まると、流れはいきおいづき、波をたてながら左にうねり、さらにもう一度右にうねると、再び川幅が広がります。その先の左岸に小さな河岸が見えてきました。
甲はネジ木の舵を切って筏を河岸に近づけます。船戸というこの河岸で、甲はシシ(猪)を筏にのせて運んでやる約束をしていました。

けれど約束したおやじはおらず、代わりに若い二人の男が荷車のそばで立っていました。それは知り合いの里の男たちでした。荷車には巨大なシシ(猪)が四肢を縛られて、くたばっています。筏にはシシでも女でものせてやりましたし、預かりものを届けるなんてこともしょっちゅうでした。そんなときはちょっぴりお礼をもらうくらいでお金は貰いません。このシシは川下の本郷の飯屋のおっさんから頼まれていたものです。畑荒らしの大シシを罠で捕らえて駆除したそうで、里のほうも、ただで呉れてやるというのでした。ですが、若い二人の男は甲が約束していた百姓ではありません。約束していたおやじは見あたりません。

筏が河岸に近づいたころ、背の小さいほうの男がニタニタしながら大きな声で「乙ー、あれこきよっこ?」とわざと大げさに突き出した自分の股間の前で右手を上下させて見せました。この二人はいわば乙の天敵で、この少しぎょろついた眼をした小男が乙はとくに苦手です。隠れられるわけもないのに、そーっと棹をたて、その陰に顔を隠したつもりになって、自分など存在しない風を装っています。そもそも「あれ」が乙にはわかりませんでした。ただそれは皆が話題にする、あまり大っぴらには言えないけれど、誰もがやっていることで、知らない奴は男として馬鹿にされる、ということだけがなんとなくわかっていて、なのにそれを知らない自分が情けないのと悔しいのとで、遠くから見てもわかるほどいっぺんに耳やら頬を赫くするものですから、もう一人の、梅干しを真ん中にのせた弁当ごおりのように色白で平たい顔をした、鼻頭がおできで赫くなった大男も、したり顔で「知っとっこ?あれ」とつなぎ、「あれ、知らんのんかあ乙~」と、わざと残念がる小男に「いや、いや、いや、知らんはないやろあの歳で」と大男が掛け合います。

甲はやれやれと、かすかな怖気を払うように首筋をぼりぼり掻いて、「乙、ほれ」と筏を係留する棕櫚縄を投げてよこしますが、筏の真ん中で居ないふりの乙は固まって見向きもしません。仕方なく甲は舵を離れ、落ちた棕櫚縄を拾い、河岸の杭にもやい、後続の筏を引き寄せに走りました。そのあいだも乙は、筏のハナにのったまま固まっています。
ひとしきりからかって小男は、甲の姿を横目で追いながら、さらに乙にからんできます。
「そういうたら、乙、お前の基地、かっこええやんけ」すーっと横を向いて、小男は乙に間を与えてやると、思惑どおり乙は隠れたふりをやめて、「え、なんで知っとるん」と慌てます。ですが小男は乙の質問には答えずに「基地の入り口につけとんのん、あれ、ええわー。」と羨ましそうに言ってみせました。

乙の基地とは、乙の家の敷地の隅っこにある古い納屋のことです。
乙は勘当こそ解かれましたが、もちろん筏は禁止。乙もほんとうは親を安心させたいし、筏はあきらめて庄屋の後継になる努力をしたのですが、うつけものゆえ文字書きを習っても覚えず、丁稚のしごとをさせてみてもヘマばかり。そもそも、代官から村の代表を任ぜられた特権階級である庄屋は、さほど仕事があるわけではないのですが、里の事務の管理や村議のまとめ役など、本当ならとても乙などに務まるものではないむつかしいものです。けれどそこは格好だけで、むつかしいことは番頭にやらせてしまえば済むと考えた親のほうもさりなん、ヘマでは済まず、小さな村にしてはたいそう立派な長屋門で、番頭から預かった大切な帳簿を主屋にいる親に届けるだけの間に、滑って池に嵌めてしまうというあほらしい不始末で、とうとう乙はなにもせずにただ部屋で座っているという蟄居を命じられてしまいました。けれど、うつけの乙にじっと家で蟄居など到底できるものではありませんでした。乙もそれはもう真剣に、じっと動かずいようと頑張ったのですが、どうやら頑張りすぎたか、おかしなものが見えはじめる始末で、なんにもない中空に蛍でも見つけたようにその蛍を追ってふらふら外へ、気がついたら山の甲の小屋まで辿り着いている、あるいは気がついたら河原にいた、なんて奇行を繰り返すものですから、親もとうとう根負けして、筏のりを黙認せざるを得なくなったのでした。乙も、ここまで親に迷惑をかけたからにはと、自立を目指して、家の裏の隅っこのもとは便所小屋だった古い納屋を、自分で直して住みだしたのです。もちろん親はたいそう呆れましたが、もうなにが許せて許せないのかも分からなくなってしまって、ただただ、小さい子供の秘密基地のような、川の下の非人の小屋のような乙の新居を放置するばかりなのでした。
ともかく、その納屋の話をしています。

乙はなんだか嬉しくなって「あれか、あれはな、わいが河原で見つけてきたんや!ええやろ!シカの角や!」と、昂奮して薄みどり色の鼻水を垂らしてそう答えました。
「ほー。そやけどあれ、木の根っこやぞ。」小男がぼそりと言います。
「なに言うてんねん。シカの角じゃ。」
「根っこやぞ。」
「なんでわかんねん!あんな根っこ河原に落ちとるかい!」
「せやってあれ、わしが置いといたんやもん。」
「え」
小男は相かわらず横を向いたままです。

「よーうシカの角に似た木の根っこ見つけたなーおもて。山で。ほんで、乙が見つけそうなとこ置いといてん。なんやおもうかなーおもて。」
「せやって、ちゃんと根本でぶつって取れてるやん」
「わしが切ってんもん」

「ぷっ!」と大男が吹き出します。

「え」乙はまだ話が呑み込めません。
「ええやん。木の根っこ。自然と仲良しって感じ。」
「そらー筏のりやもん、自然と仲えーやろ。相方も山んなか住んどっしなー。」と大男がニヤニヤと広げます。
「甲はべつにええやん!」なにがなんだか分からず混乱しながらも、自分のせいで甲がいじられてるような気がして、乙は顔いろをかえました。

淡々とシシを積み込む支度をしていた甲は、一瞬、身体がこわばりましたが、一息入れると、濁った目が開いたままの、四肢を縛りあげられた、米俵二俵(約百五十キロ)はあろうかという巨大なシシを、「えい!」と小さく発した気合いとともに難なく背中に担ぎました。身体はとくべつ大きいわけではありませんが、甲の肩は大男並みに発達しています。アンバランスなほどの逆三角形の肉体のシルエットは、人間ではない、なにか別の生き物のような印象を与えました。

そんな様子を見ながら小男と大男は、なぜかちょっぴり負けたような気持ちが沸いてきて、しつこい小男はなおも
「自然と仲良かったらええやろなー。真冬の氷の川でも飛び込める感じぃ?じゃぶじゃぶっ。」と、少しとがった顔をして溺れる真似をしました。

感じぃ。ぃ。。ぃ。。。その間伸びした語感に、赤い布きれを前にした牡牛と化した乙が、けっきょくまったく毎度のように二人のほうへ猛然と突進していきました。そしてまったく毎度の結果、大男が細い目をさらに細くしながら待ってましたとばかりぐっと腰を構えて、真っ正面から向かってくる乙を、あっというまにひっくり返すのでした。

そんななかでも黙々と甲は、運んだシシを岸から筏に放りのせてから、今度は三人のほうへ向かい、またしても引き下がる知恵のない乙が二度目の突進をして、またしても後ろの小男が抱腹絶倒する前に、乙をシシ同様に担ぎあげ、踵を返すと男たちに背中越し、「あんたらかってしぜんあいてにしとるしごとやん」と独り言のように言い捨てて、やはり岸からどさっとシシの横に、乙を放りのせるのでした。
「いや、わいらー、里で暮らしてるから自然ちゃうねん」とうとう真剣な顔になった小男を、大男がやや制するように「まあ、まあ、まあ、それはそのとおり!みんな、お天道さまのおかげでお米いただけてますさかい。」とおどけて空に手を合わせて念仏を唱えだしました。

甲に担がれて、はじめは暴れもがいていた乙も、筏に放り込まれた頃にはむしろ脱力して不貞腐れ、仰向けのまま動かなくなっていました。男たちもそれ以上は揶揄(からか)わず、「甲、シシ頼むわ。」などと急に友好的な態度で出航する筏を見送ります。二人は甲をエタや非人のように考えて、ほかでは嘲っていましたが、まちがって相撲ともなれば万が一にも三つも歳下の甲に負けるわけにはいけません。万が一にもそうならないよう、彼らはちょっとだけ甲たちに友好的なのでした。

甲はそれ以上二人には構わず筏のもやいを解いていると、土手の向こうから、なにやら声が聞こえてきます。「おーい!すまんすまん!忘れもの取りに帰えとってのー!」と、約束していた百姓のおやじが手を振って向かってくるのが見えてきました。おやじが戻ってきて、急に色をなくしたか、こそこそ土手を帰っていく二人の男に、「ん?おまえらどうしてん?」と声をかけながら、まんじゅうみたいな顔をしたおやじは河岸まで降りてきて、前歯の抜けた歯茎を剥き出して笑いながら「くだる途中で食べたらええわ。」と、取りに戻って手拭いに包んできた吊るし柿を一山くれました。
「で?なんであいつらおってん?」二人はどうやら乙を揶揄うためだけにやってきていたようです。「シシ運ぶん手伝うでもなし。あいつら朝からひまなんか?せや、ちょうど集会場の薪割らんなんかってん。あいつらやらせたろ。」今はもう遠くになって姿の小さくなった二人を、片目を閉じてつまむ真似をしながら、呑気なおやじはまた笑いました。
そして「本郷のおっさんにも吊るし、あげといてー。」と手を振るおやじに送られながら、筏は再びくだり始めました。

旅の出鼻をくじかれて、筏が進みだしても乙は仰向けのまま動きませんでしたが、やがて「甲ー、あれってなんや?」と仰向けのまま訊いてきます。甲はちょっと耳を赫くして「知らん知らん」としか言いませんでしたが、それでもしつこく乙が「なー」と、不精に寝たまま大きく口を開けた途端、なにか白いものが空から降ってきて、すっぽり口のなかに入ってしまいました。突然のこと、空のカラスの落とし物がすっぽり喉の奥まで飛びこんできたのです。ごぼーっと咳き込んで、えづいて、げーっとなって吐瀉して大騒ぎです。川の水をたらふく飲んで、無かったことにした乙ですが、今度はなにやら身体じゅうが痒いと言い出して、背中から腹から掻き捲ります。くだりはじめてろくに棹も握らず、騒々しいだけの乙。

ただ、水嵩の多い今朝の佐治川はすいすい滑(すべ)るように筏を押し流してくれました。ようやく上半身だけ起こした乙が棹を差すまでもなく、筏は甲のネジ木の操縦の腕前だけで速度をあげていきます。
佐治川の流れは疾いけれど素直で、さしたる難所はありません。水は豊かで目立った大岩もなく、川床も砂利や堆積土で危険な流れがほとんどないのでした。ただ、困りものは井堰です。シーズンの田圃に水を送り込むための井堰は、田んぼが休む秋から春まで中央で開放され、川底も整備して自然と開放部分に筏も舟も流れ込むよう工夫されていましたが、管流しと言って一本ずつ丸太を流すと、コントロールが効かず井堰に衝突することもあって、コントロールの効く筏は多少なり地元の百姓にも歓迎されましたが、それでもときには筏も座礁しましたし、地元の百姓から苦情が出ることだってありました。
問題といえばそれくらいの、ひたすら山と田んぼばかりの、あまりにありふれた農村風景の広がる丹州・氷上盆地の真ん中を、佐治川の美しい水は静かに疾く流れていきます。

甲の目の前には、いまはようやく棹を持って大股開いて先頭に立つ乙の背中越し、てらてらと朝陽を映してまばゆい川面から風が匂い立ち、残雪の両岸は枯れたヨシとススキが一面、陽を吸って黄金色にふくらみ、その遠くにうすく雪をかぶった低い山並みがぐるりと連なっています。そして視界の上半分は、遮るもののない広く高い空。その果てに薄い筋雲が棚びいていました。どこまでも平穏で水のせせらぐ音と匂い。陽が昇るにつれて、暖かい日差しが川の匂いも解凍していきます。

渡しの小舟のほかは、通過するいくつかの河岸に高瀬舟の姿はありません。筏に先んじて夜明け前、くだりの舟は出払いました。
見かけるのは鳥ばかり。浅瀬の餌場ではサギやカモ、ガン、カワウなどの水鳥たちに騒がれます。セキレイ、モズ、カワセミ、それにシジュウカラ、ジョウビタキ、メジロ、ヒヨドリなどたくさんの水辺の小鳥たちにも警戒されて、枯れヨシの藪から一斉に群れで飛び立ったりして、こっちまで忙しなくもなりますが、それ以外はなにも起こりません。筏はひとり静かに川をくだり、空は広く高く、筏のりはただ世界の真ん中にいました。

徐々に川幅は広がり流れは緩やかになり、川面に漣も立たず滑る(ぬめる)ようなみどり色の水鏡になったころ、正面に大きな味耜高神社(アジスキタカ)の社殿が見えてきました。川は社殿の丘にまっすぐぶつかると、まるで大蛇が獲物を呑んで腹を膨らませたように澱んでから、大きく右に迂回します。甲は乙に合図して、ネジ木を固定すると、「吊るし、喰おか!」と笑って言いました。乙も棹を置き、「ええのう!」と嬉しそうに顔を膨らませて、胡座をかきます。そして、乙と甲はいつもの習慣で、社殿に手を合わせ、川面に手を合わせしてから川の水を掬って一口飲み、もう一度掬うと顔を拭います。そして、おやじにもらったふっくら太って大きな吊るし柿を一つずつ喰いました。

真っ白い粉を吹いた西条柿の吊るしの中は、赫い琥珀というような透明な実が肉厚で、トロけるように甘くて、あんまり甘くて乙の中のなにかを吹き飛ばしました。そして乙は、透明の赫い脂肪のようなゼラチンに包まれた大きなタネをまたぞろ喉に詰まらせて、社の前の澱みの静寂を台無しにして、甲に背中をどつかれてようやくひと心地つくのでした。

ここは丹州(丹波)西北端・氷上盆地のほぼ中央。
端から端まで背骨のように連なる急峻な山岳列島・本州のなかで、もっとも低い分水嶺がこの氷上盆地にありました。つまり、水分れ(みわかれ)と名付けられたこの分水嶺の標高がわずか九十五メートル。ここを起点に南・瀬戸内海へ加古川が、北・日本海へ由良川がそれぞれくだるのですが、いうなればこの二つの川をつないだ道筋はそのまま本州の背骨を分断して渡る回廊のようなもので、瀬戸内の温暖な南風と、若狭・日本海の湿った北風が行き来して混じりあう、とくべつな気候をもつ土地柄なのでした。
山に阻まれず風が流れるのならば、この氷上回廊と呼ばれる山岳列島の風穴は、物質の行き来も容易いはずで、若狭⇄氷上⇄高砂という舟運回廊を、いつでも人々に想起させました。その回廊に欠かせない中継陸路として想定されたのが、出発早々シシをのせた船戸の河岸の先にある、穴の裏峠を通る道筋でした。
けれど未だその夢の回廊が実現しないのは、ただ自然の障壁のせいだけでなく、政治という障壁があったからでもありました。

今はもう船戸の河岸から三里近くはくだったでしょうか。この加古川上流に、穏やかに連なる山並みに蓄えられた豊富で清透な水があちこちから流れ込み、味耜高神社を迂回したすぐ先では、西から葛野川が合流しました。そして水分れの分水嶺を源流にくだる柏原川と合流するのは、いま目の前に見えてきた本郷舟座を過ぎてすぐです。

味耜高神社の丘の陰に隠れていた本郷舟座のハマが、忽然と現れました。


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