わたしの人生はやるせなさだって丸ごと美味しい。
2/12に先行配信されたフィロソフィーのダンスの新曲「カップラーメン・プログラム」を聴いた。
たくさんの女の子が自分で自分を物語のヒロインにしなければとても立っていられないいまの時代だからこそ、この曲が響くのだと思う。
フィロソフィーのダンスはメジャーデビューとともにどんどん変化している。それに魅せられたファンであり1人の「物語のヒロイン」として勇気を出してこのnoteを書きたい。
音楽に対しては全くのド素人ゆえ歌詞のテーマについてしか書けないのが心苦しいが、これが彼女たちの”等身大の哲学”なのではないかと考えているからだ。
SNSで色んな人のキラキラした部分が切り取られたものを指先ひとつでザッピングできる今の時代、他人を羨まないのはほんとうに難しい。自分なりの可愛さを更新していけたらいいと頭ではわかっているけれど、心がついてこない。ないものねだりをしてしまったり、色んなことがうまくいかないままよろよろと家路を辿って部屋の鍵を開け、電気を点ける音だけが響いたりするようなやるせない夜は等しく誰にでもあるはずだ。なのにそこになかなかスポットライトが当たらないから分かち合うことができない。だから自分で抱きしめてあげるほかないのだ。
優雅に見える白鳥が水中ではバタ足で泳ぐように、加工アプリで隠されたセルフィーの向こう側なんて本当はそんなに綺麗でもないと自信を失ってしまうことがある。ダイエットもスキンケアも髪のケアも自分なりに頑張ってきたつもりだったのにな…
そんな日の夜中こそ、あれを食べたくなりますよね。
もれなくついてくる罪悪感とともに蓋を開けてお湯を注いで待っている間、もしこのことをTwitterやインスタのストーリーで書いたら必ず「こんな時間から食べたら太るよ」なんてリプライが飛んでくると思うし、肌が荒れたり胃もたれするかもしれないとぼんやり思う。けれど、ひとくち食べればきっと今日より明日の自分を愛せる気がする。それは今手に持っているカップラーメンがちゃんとあたたかいからだ。わたしによるわたしのための、わたしだけのご褒美はきっと冷え切った心にも変化をもたらしてくれるだろう。この曲を聴くとそんな気持ちになる。
冒頭でフィロソフィーのダンスは「変化」していると書いたが、それは間違いなく「進化」でもある。これからも応援し続けたい。
皆さまもそんな夜の中で聴いてみませんか?
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