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ムーミン、すきだ。
ムーミン、おまえがすきだ。
あんなにいっぱいムーミングッズ持っててムーミン展に行ってて飯能のもうひとつのムーミン公園(トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園というそうです)に行ったこともあるくせに、なにを今更、と笑われるでしょうか。
高校の時からの友達が私に定期的にムーミンを齎したり、昔ちょっと好きだった男の子から貰ったチケットがムーミン展のものだったり、オープンダイアローグを知ろうと思った時に日本とフィンランドを繋いでいる綱のうちのひとつがムーミンであったり、以前からやたらムーミンが傍にいることが多かったのです。わたしはそれを「ムーミンが勝手に集まってくる」と人に説明していました。これは高校の時のクラスメートの男子が他の子に「なんでピンクのペンこんなにたくさん持ってるの?」と聞かれた時に「ピンクが勝手に集まってくる」と返事していたのを聞いていて、良いなと思ったからパクっています。おそらくその男子たちは私がそれを聞いていたなんて知りもしないでしょうがね。
さて、なぜ私がムーミンにハマっているのかというと、ムーミンパークに行くようになったからと、それに伴いムーミンの小説を読むようになったからです。
ムーミン展やムーミンパークには必ず、ムーミンのストーリーの断片がイラストとともに面白おかしくチラ見せされています。なんとなくムーミンパパの自由すぎる感じが好きだなあと思っている程度でしたが見れば見るほどだんだん気になってくるものです。12月中旬、バチバチに喉を痛めて5日経ち、熱も下がったのでさすがに少し外に出ねばと向かった先が自宅から徒歩5分の図書館でした。(図書館なら声が出なくても楽しめる!)そういえば「庭」の仲間である日疋士郎さんと塚川大介さんと和田花音ちゃんと一緒にムーミンパークに行くし、モランに会えるし、予習でもしとくかと児童書コーナーに行ったのです。
モランを初めて知ったのは、高校からの友人(ムーミン好き)が貸してくれた「ムーミンパパ海へ行く」の本の中でした。夏頃、美容院の帰りに池袋のドトールで好きピを待ちながらアイスコーヒーグラスで本が濡れぬようにだいじに読んでいた時、きゅうにモランは現れました。触れるだけでものの活力が失われてしまうような力と、吾妻ひでおの描く「鬱」「不安」の具現化のようなルックスだったため私の心の中で「モラン=鬱の象徴」というイメージができました。黒犬を飼ったチャーチルのように私もまた、見える形に姿を現してくれる「鬱」に愛しさを感じてしまいました。姿が見えるということは、恐怖がそれだけ軽くなるということですから。
それから私は、「どうせ会えるならモランのことをきちんと知っておきたい」と思い、なんとなく冬っぽくてモランが出てきそうなシリーズを選んで借りて読み始めました。モランについて、たくさんのことを知ることができました。おばあちゃんであること、実は飛べること、宝石の価値を値段で認識していること、喋ることもできること。
「ムーミンパパ海へ行く」でムーミンと物言わぬ時間を過ごしたモランのイメージが、少しずつ変わっていった感じがしたのでした。
ムーミンバレーパークで会った実物のモランもすごかったです。光っててよく踊り、パレードの時なぜか私の前で数秒立ち止まってくれました。鬱を愛する私の目がわかったのかもしれません(推しアイドルと目が合ったと思い込むオタクのようですね)
ムーミンバレーパークでの時間があまりにも楽しかったのでその後も図書館でムーミンと名のつく本は一通り借りて読み漁っています。小説はぜんぶで9冊あり、青い鳥文庫や講談社文庫もありますが、大きくて表紙がカラフルでやわらかい感じのするムーミン全集が好きです。
ムーミンの世界観になぜこんなに惹きつけられるのか。フィンランド文学研究の高橋静男さんが「全集」のあとがきで、「キャラクターとして救い主的な存在はいないのに、ムーミン家に関わるとなぜかみんな救われてしまう」的なことを書いていました。これってすごくオープンダイアローグ的で、健康的に長く続くケアの理想の形だと思います。やさしい人も、文句垂れも、距離を置きたくなるようなヤバいやつも、みんなごた混ぜになっていてそこで対等に笑ったり泣いたりし、ありのまま存在を許され、気付いたら一緒にお茶をしているところもすごく嬉しい感じがします。揉め事が当たり前に起こりまくるところも、そこからゆるっとうまくいってしまうところも好きです。あとはなんと言っても、「こんな時、ムーミン家の人々ならどうするだろう」という想像がまったく通用しないところがとても痺れます(笑)。いつもとんでもないことに巻き込まれ、でも予想もしなかった方法でそれを受け入れたり対応していくムーミン家の人々。やさしいけど善良でもなく、ワガママだけど役に立ちたがり、いろんな面をもつ彼ら一人一人の厚みが、ムーミンの作品たちを追い求めたくなる要素なのかもしれません。