海と山に囲まれた小さな集落に暮らす写真家、note始めました。
1975年、ベトナム戦争の終結したその年に三重県南部の入り組んだリアス式海岸からなる熊野灘と、背後には大台ヶ原や八剣山などの山々を擁する紀伊山地に囲まれた小さな集落に僕は生まれました。
家の裏には畑や鶏小屋があり、毎日新鮮な野菜や玉子をとってきては食べていましたし、秋には少し離れたところのみかん畑へ家族総出で収穫に行ったりしていました。
海には船外機の小舟を浮かべており、父も祖父も勤めていましたが出勤前の早朝や退勤後の夕方、または休みの日には魚釣りをしていて、沢山漁れると干物にしたり近所に配ったりという暮らしでした。
春には里山などに山菜を採りに出かけ、夏には川でエビや蟹を獲ったりもしました。
少年時代は当然のように昆虫や鳥などの生き物を追いかけ海や山で遊ぶ典型的な田舎の子どもでした。
しかし地元の高校を卒業後大学で映画の勉強をしに大阪に出てからは、卒業後もラジオ番組制作会社でADしたりフリーターした後そのまま大阪の広告写真スタジオに勤め、2004年に独立後も2014年にもともと住んでいた集落にUターンしてくるまでは大阪を拠点に都会で暮らしていました。
やっぱり田舎の暮らしの方がいい、そう思っていざ帰ってきたのですが、なかなか子どもの頃のような田舎暮らしは実践できていません。
実家の畑も随分と小さくなっており、鶏小屋もみかん畑も既になくなっていました。
それどころか海に浮かべていた船ももうなく、子どもの頃山菜を採りに行っていた里山は開発でなくなっていました。
昔のような田舎の良き風景も暮らしも随分なくなりました。
それでも、都会に比べれば今もずっとずっと人間らしい豊かな暮らしが残っています。
僕はできる事ならずっと死ぬまでここで暮らしたいし、3歳の娘がこの地で暮らしたいと望めば住めるだけの地域を残しておいてあげたいと思っています。
このnoteには、ぼくが田舎暮らしの中で思う徒然や、職業として、また表現者として関わる写真のことなどについても書いていけたらいいなと思っています。
よろしければちょくちょく覗いてやってください、これからもよろしくお願いします。