私がお菓子の先生になった理由
失敗・・・
私が初めてお菓子作りをしたのは
小学四年生の時。
クッキーを作ったのですが出来上がったのは…
硬い硬い硬いクッキー。
チョコレートを湯煎する事を知らなかった私は、フライパンに入れ直接火にかけるなどなど…
今ではあり得ない大失敗💦
それからはお菓子を作ることは、辞めてしまいました。
甘党の彼
そんな私がなぜお菓子を教えるようになったきっかけは、、、
30歳の頃…。当時付き合っていた彼氏が、大大大の甘党。
みてて震えるくらい甘いものが大好きだったのです。
甘いものを毎日食べ続けられては体が心配と思い、ネットで調べては、ヘルシーなお菓子を作っていました。
が…
これまた岩のようなマフィンだったりと、人様に出せない様なお菓子を作ってしまったのです。
これではダメだ!と、思い切ってお菓子教室で学ぶ事に。
するとあんな岩の様なお菓子を作っていた私が、美味しくてみんなに喜ばれるお菓子を作れる様になりました!
彼にも
「これ作ったの?」
「前のカチカチのマフィンとは全然違う!」
「めちゃめちゃ美味しい!!」
とすごく喜んで食べてくれるようになりました。
お菓子作りが楽しくて楽しくて
大好きに変わった瞬間でした。
お菓子の先生に!!
そしてタイミング良く
お菓子の先生を推薦して頂き
お菓子の先生になる事になりました。
先生の仕事は
とても楽しく勉強になり
私の人生感を変えてくれました。
のべ3000人の初心者の方を
レッスンをする中で
一度もお菓子を作ったことのない生徒さんの
「できたー!」
「楽しかったー!」
とこんなにも喜んで貰える笑顔が
本当に嬉しかった。
もっともっと喜んでもらいたい!
笑顔をみたい!
と心から思ったのでした。
橋本病・・・
製菓講師となって3年…
頑張っていたのですが、3つの仕事の掛け持ちで精神的・肉体的疲労が重なり、さらに、結婚生活にも慣れた頃に京都から兵庫へと転勤。
そして、橋本病と言う病気を発病してしまいました。
橋本病とは・・・
甲状腺機能が低下し、新陳代謝が悪くなる病気です。
症状は、常に眠い状態。体が鉛のように重く、思うように動けない。疲れやすく、寝ても疲れが取れない。思考回路の停止、、、などです。
この病気は治ることがないと言われており、一生付き合っていかないといけない病気です。もうこんな疲れやすい体では、お菓子教室をする事は出来ない。。。
自信をなくし、一度は夢をあきらめました。
そして、3年間ゆっくり時間を掛け、療養と投薬で治療しました。
お菓子の家
そんな病と失意のどん底の中、とある職場でクリスマスの『ヘクセンハウス』(お菓子の家)を作る事を頼まれました。
久しぶりのお菓子作り☆
作ることの楽しさ、何よりも思いの外みんなが、こんなに喜んでくれるなんて…
「こんなの作れるなんて凄い!」
「これみたらみんな喜ぶよ!」
「私も作ってみたい!」
職場の人からの声を聞き、私はなくした自信を、みるみる取り戻すことができました。
やっぱりお菓子は
人を笑顔にし、幸せにしてくれる!
なんて素晴らしいんだろう!
お菓子ってすごい力がある!!
と確信しました。
やがて病気を乗り越え
『やっぱりお菓子の道しか私にはない!!』
と気付いたのです。
そして、もう一度お菓子の良さを伝えたい。
たくさんの笑顔がみたい!と思い、念願のお菓子教室を始めることにしました。
さらに、自分の腕と知識を磨くために製菓学校へ、通うことに!
製菓学校で今まで身につけてきた技術の再確認、新しい発見や技術、理論を取得して、講師としてさらなるレベルアップをすることができました!
私は家族や友達に、いつもこだわりのラッピングをつけて、手作りのお菓子をプレゼントしています。
少し手間はかかりますが、発送したギフトを開けてくれた時の
「わぁ~!!」
という笑顔を想像しながら作る時間がとても幸せな時間です
そして、
「凄いね!お店で買ったの?」
「美味しい~」
「また作って欲しい!!」
と、たくさんの笑顔をもらっています。
正しいお菓子の理論と、こだわりラッピング付きで、自信を持ってお菓子を渡したくなる!を目指して奮闘中です。
お読みいただきありがとうございます。
これから少しずつ更新していきます。
Kiitos!!
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