例え話しと思春期
〈例え話し〉
スタッフや後輩などに自分の考えを伝える際に、よく例えを用いる。
ちゃんとオジさんだから、やたらと野球が多めだけど笑、それ以外には木や航海で例え話しをすることも多い気がする。
今日の朝のミーティングは、少し厳しいことを言った。
実は昨日から考えていて、果たしてどう伝えるべきか、いろんな言葉を何度も頭の中で浮かべては消し浮かべは消しを繰り返して、ただの言いたいだけの説教にならないようにひたすらセルフ校正をしていたら眠れなくなってしまっていた。
それくらい慎重に準備して厳しいことを言った。
全員に対して向かって話したのだけど、内実は特定の子に向けての言葉だった。
本人もそれはわかっていた。
もしかしたら、言われたことに納得がいってないかもしれない。
単純に俺に対してムカついたかもしれない。
ムカついて辞めたいと今頃思ってるかもしれない。
でも、どんな感情を抱いてどう考えていても、どれも仕方ないと俺は思ってる。
今日は言葉を絞って話しをまとめたから、それ以上長くならないように結局例え話しはしなかった。
たくさんの枝や葉、実や花は、パティシエという仕事で言えば技術やセンス、知識や要領、または自分の見た目を表すもの。
幹はそれらを育むための体力や知力、すなわち肉体と脳。
そして根はその人の人間性。
と見た時に、そこから何が言えるか。
いつも製造のスタッフたちに伝えているのは、毎日こうして真面目に菓子と向き合ってれば、必ず技術は身につくから、焦らず丁寧になりなさい。
自分が駆け出しの頃もそうだったけど、菓子作りはとにかく作業が多いから、早くいろんな作業を覚えたくて、ちょっとできるようになったらすぐ次の新しい作業をやりたくなる。
でも、全ての作業が全く関連性のない動きや技ではないから、焦らずとも、いくつかの基本の作業がしっかりできるようになれば、自ずとそこからいろんな作業が理解できて難なくこなせるようになる。
だから、とにかく基本をしっかり繰り返して自分のものにすること。
それが大事。
飾りつけをあれもこれも盛って盛って、とにかく華やかにインパクトのある仕立てにしたり、なかなか他にはないような形で作ってみたり、食べ物ではなかなか見ないような色味にしてみたり、いわゆるテクニックでなんとか魅せようというのは、実のところ小枝を一生懸命伸ばして背伸びをしたり、時期じゃないタイミングに無理矢理花を咲かせようとしたりしているかのようにしか見えないものだ。
しっかりと腰を据えて、自分の体と会話しながら、自分の頭でとにかく深く考える。
自分の体、自分の頭から素直に生まれた花こそが、クリエイティビティに満ちた輝きを持つ。
それらは何に支えられているかといえば、ひとえに人間性だ。
どれだけ枝葉を広げて大きく見せても、花をたくさん咲かせて豪華に見せても、体力自慢・知識自慢で幹の太さを誇っても、人間性という根が弱くては、輝かないし生き残れない。
人間性と言っても、ただただ正しそうなことをしたり、正解だけを辿ってひたすらルールを遵守するいい子ちゃんでいればいいというわけではない。
ちょっとぐらいズルい部分があったっていいし、怒りっぽくてもいいし、自分に自信がなくたっていい。
それらは単なる性格だから。
どんな性格であろうと、人として正直に生きることを貫けなければ、結局どれだけ立派に見えても虚しいものだ。
今日のミーティングでは結局この木の例え話しはしなかったけど、端的に人間性が大切ということは伝えた。
それを一番伝えたかったスタッフは、他の子たちよりも飲み込みが早いし要領もいいし、器用だし体力も問題ない。
まだまだ年齢は若いけど、期待という面では一番楽しみにしている。
だからこそ、せっかく持っているその力を、ただの飾りで終わらせてしまわないように、しっかり人間力も磨きながら成長してほしい。
とは思ってはいるが、俺にそこまでの権利はない。
単純に、今日俺に言われた、ということで嫌になって投げ出してしまうならそれまでだし、俺もそこだけに立ち止まっているわけにもいなかい。
徹底的に言葉を選んで、今ここでどう感じてほしいか、どうすれば伝わるか、俺なりに力を尽くして伝えたつもりだから、後は自分で答えを出してみてほしい。
なんであろうと俺は受け入れるつもりだから。
〈思春期〉
菓子屋の職場は、専門学校上がりの19、20歳頃の新卒の子を雇う機会が多い。
どう考えたって即戦力で働ける子なんて1割いるかどうかだ。
個人的に思っていることだが、たいていの子に対して必要なのは、少し時間をかけてでもちゃんと思春期を終わらせてあげることだと思っている。
高校も卒業して専門学校なども卒業して成人になった頃には思春期なんて終わってるでしょ、と思うかもしれないが、体は確かにそうかもしれないけど、心はまだ終わりきってないということが多い。
昔で言えば「学生気分が抜けてない」とか言ってたと思うが、それよりももう少し未熟なものだ。
それは、親や先生を軽く見るという、誰にでもあるものだが、これが上手に抜ける子と意外となかなか抜けない子がいる。
実は、学生から社会人になってすぐは皆緊張しているから表には見えにくいのだけど、仕事内容や人間関係にすんなりと適合できる子ほどその傾向がある。
最初はちゃんとやれるか不安だったけど、やってみたらそんなに緊張するほどでもなかった、なんか全然やっていけそうだ、てゆーか余裕だ、ぶっちゃけ大したことない、、、
と、思春期に親や先生を舐めてかかるようになった感覚がじわりじわりと滲み出てしまう。
隠れて何かやっても親も先生もわかってない、バレてない、と思ってコソコソ隠し事をする。
それは俺にも今思い出しても恥ずかしいくらいいっぱいあった。
そして誰にでもある。
だからそれ自体は別に悪いことだとも押さえつけるべきだとも一切思わない。
だけど、パティシエという仕事をするコミュニティは、どれだけ少ない人数で回していようと、お客さんが存在しなければ成り立たないし、材料の業者さん、包装資材の業者さん、大家さん、ご近所さん、なんだりかんだりでどうやったって人と向き合って生きていかなければならない商売だ。
そして、いろんな人に感動を与える仕事なのだ。
その仕事に就いてる人間が、子どもが親の目を盗んで陰でコソコソやるみたいに、あるいは大人や社会を舐めてかかっているようでは、伝わるものも伝わらない。
一見伝わっているように思えるかもしれないけど、本物ではない。
指導が厳しいので有名な高校の野球部出身の子は、入ってきた時からとっくに思春期は抜けてた。
全ての高校球児がそうだとは絶対に思わないけど、そういう機会と経験を通じて上手に社会人への適合がうまくいくケースもある。
なんにせよ、緊張している顔の奥に思春期の残り香を隠し持って社会に飛び出す子の方がほとんどだ。
それを少しずつ解しながら、大人として必要な人間性を育もうと試みるのは、会社や属している組織の役割だと俺は思う。
技術や知識と同じくらい感性も大切な要素だから、子供心までは消してほしくないけれど、「子供心」と「子供のような精神性」は別モノだ。
会社や組織は、ただ営業活動を回すためだけに人を雇うのではなく、社会に貢献できる有用な人材に育てる役割を自覚するべきだと思う。
精神性の未熟な子が、体だけ大人になっていつの間にかそのまま親になる。
親になれば自然といろんなことに気づいて大人になる。
たしかにそういう点もあると思う。
ただ、やはり未熟なままよりは、親になるということの意味をしっかり実装している方が望ましい。
それには、思春期真っ只中の子への教育より、社会への突入と共に、そのコミュニティがいかに自覚的に思春期を上手に終わらせてあげられるかだと俺は思っている。
親は親の役目、先生は先生の役目、会社や組織はその場の役目、そして本人の自覚。
それぞれが分業のようでいて、実際には色濃く混じり合って連結していて同じように未来に目を向けている。
お互いが誰かのせいにして責め立てるのではなく、人材育成をきっかけに、誰のせいにしなくてもいい社会を目指したい。