復旧の見通し立たず
心と体は、言葉にしてしまえば別のもののようだけど、おそらくそうではないなと日々感じるのです。
捉え方の一つとして、人間という器に対してのアプローチの方法の違い、とも言えるのではないかと。
例えば、体を鍛える・休める・労わる・復元する等々の方法で心を整える。
または、心を癒す・潤す・高揚させる・和ませるといったことで体の安定を図る。
どちらがどうではなく、どちらも同。
3月から、僕は完全にそのバランスを崩していました。
毎年1年で1番忙しい1ヶ月なので、仕事は予想通りめちゃくちゃハードでした。
体が満身創痍な所に、よってたかって次から次と精神を圧迫するようなことがのしかかり、ちょっと塞ぎこんでました。
つい最近まで、家族とスタッフ以外の人と会ったり話したりを避けてすらいました。
ただ、その精神的苦痛は、自分にだけ訪れた不運では決してなく、周りのみんなにとっても全く同じであったから、紛いなりにも父親であり経営者である自分には声に出しにくいものでした。
コロナへの社会としての対応策が定まらないままにダラダラと長引き、いつしか我々が共通して見ていたはずの輪郭もだいぶ曖昧なものになってしまい、そのくせ互いを縛る脅迫感みたいなものだけがいつまでも漂っている息苦しさ。
それでもなんとか生活を立てるために必死に取り組んでいる経済活動を、根っこから嘲笑うかのようにいつも突然やってくる大きな地震。
そして、全く理解できない戦争。
どれもこれも僕だけの辛い話しじゃない。
逆に言えばこんなに共有できる困難もそんなにない。
でも僕は弱い。
ホワイトデー明け頃までなんとか保っていられた平常心が、先月の地震と、一向に収まらないどころか日に日に状況が悪化している戦禍の報道で完全に参ってしまいました。
自分ではどうにもできないことには目を向けない。
それも必要かもしれませんね。
情報を入れ過ぎないようにセーブする。
それも大事ですね。
目の前の課題解決に集中する。
それはもちろんやってます。
たぶん、何をどうすればいい、ということではないような気がしています。
外からの事象に対して、内側とどう向き合うか。
それをもう少し丁寧に扱うべきなのだろうなと考えています。
ここしばらく、家族との時間を意識的に作っていました。
スタッフたちとも、僕からの発信だけでなく意見を求めることを積極的にやってみました。
守りたいものと守るべきものと守れる範囲と守れないものを、あらためて確かめたいなと思ったのです。
妻とは、もう40年くらい一緒にいるような感じがしてましたが、先日の結婚記念日で15周年だったようです。
この春から中2になった娘は、もう何年前からなのかは忘れましたが、SixTONESにすっかりハマり、自分の小遣いでファンクラブにも入り、いわゆるジャニオタを自称しています。
これまで何度もライブのチケット応募にトライしてましたが、一度も当たらずにいました。
そんな折、新しいアルバムの発売に合わせて全国ツアーが開催されることになり、そのチケットも当然のように気合いを入れて応募していました。
全国ツアーのスタートの地となる仙台開催のライブに、娘は初めて当選しました。
しかも日にちが自分の誕生日。
当選のメールを見た時の、妻と泣きながら喜んでいた姿に僕はただただ呆気に取られましたが、微笑ましくも思っていました。
当日に向けて、過去のライブに参加したファンの人たちのブログなどを読んではいろんな注意点をチェックするなど、どんどん気持ちが高まっていました。
そんな中でした。
3月16日に起きた震度6の地震によって、宮城ではあらゆるものが止まってしまいました。
新幹線が脱線し復旧の目処が立たず、多くの施設が点検や改修工事のための休館を余儀なくされました。
ちなみにあれから1ヶ月近く経った今も、営業を再開できずにいる商業施設や、工事待ちのために長期休館となっているホールなどがあります。
娘の最高の思い出になるはずだった誕生日のイベントは、実に呆気なく消えて無くなりました。
僕は周りとの接触を狭めていた時期だったので、娘の体験しか知りませんが、大切な冠婚葬祭や受験、引っ越しや久しぶりの再会など、多くの人にとって大事な予定が叶えられなくなったことでしょう。
僕も妻も、なんと声をかけていいか迷いましたが、本人はひとしきり泣いた後、しっかり立ち直って前向きに捉えてくれたので偉いなと思いました。
僕なんかよりよっぽど立派です。
仕方がないものは仕方がない。
天変地異は、我々にはどうしようもない。
備えるしかできない。
だけど、戦争は違う。
いくら自分には自分の正義があるとしても、無差別に多くの人を攻撃してまで叶えるべき正義なんてものはない。
こんなことはどうしようもないことじゃない。
人類は進化し、世界規模で人間の生活は豊かになり、専らの話題は地球と人類の持続可能性に向けられるくらい成長した。
行き過ぎた文明を適度な所まで修正しつつ、自然と共存しこれからも繁栄していくことを地球規模で手を取り合って考えていく。
そういう次元に入っている。
なんて思っていたのは平和ボケした夢見る夢子ちゃんだった。
人間は、まだまだ下等で、高度に脳が発達した生物だなんて嘘だった。
そう思ったら、何もかもが虚しく思えて、キーウが自分の故郷だったら?しばらく顔を見れていない親や兄弟がもし明日、外国のミサイルで意味もなく殺されてしまったら?もし…
を繰り返して、気分はドン底にいました。
そうであっても、やることはやらなければならない。
確かにそうです。
わかっているからやらなければならないことは日々やっています。
やるだけやって精一杯生きてるのに感じる無力感。
正直、こんなことは初めてです。
更年期の症状の一つであれば良いななんて思ったりしてます。
相変わらず外に出て騒いでみる気にはなれませんが、4月に入ってからポツポツとお誘いも受けています。
巷では桜や椿が誇らしげに春を告げていますが、庭の白木蓮の花も落ち着いていて見ていて心が休まります。
夏のような気温になった休みの今日は、アコースティックギターを弾いてちょっと歌を口ずさんでみたり、時間を忘れて本を読んだりして過ごしました。
幸せかと聞かれれば、間違いなく今が一番幸せです。
幸せで豊かな時間を感じているからこそ、遠い国の理解できない暴力を、自分にはどうしようもできないから関係ないと割り切れないのが、どうしようもなく苦しいです。
1秒でも早くこんなことが終わりますように。
もうこれ以上無闇に犠牲になる人が増えませんように。
祈