書いて自分を掘り起こしてみたらブチ当たった壁。
SNSが苦手だった理由。書きたいのに書けないのは?
毎日書こう、とか、継続しよう、とか。自分を縛らずに書きたい時に書こうと思っていたnote。
丁寧に、推敲を重ねて書く事もせずに、とにかく書くってスタンスをとった事で、書くハードルがグンと下がった。
そのせいか、思った以上に書きたいと思う事が浮かんでくる。
書きたい。
この話をしたい。
そう思うのに、それを止めようとする自分がいる。
その事が窮屈で不自由でしかたないのに、気持ちがブレーキをかけようとしてしまうのだ。
自分を守るために被った殻。それが自分の首を締めていた。
ずっと息苦しかった。
若い頃、私の周囲からの周りの評価は、以下のようなものだったと思う。
真面目でおとなしい。しっかり者。天然でおっちょこちょい。世間知らずでのほほんとしている。
恋愛に疎い。鈍い。手を出しにくい。家庭的。
異性関係でいうならこんな感じだろうか。
天然でおっちょこちょいというのは、昔も今も変わらないし、自分でも治せない欠点でもあり、愛すべき特徴だと思ってはいる。他の部分に関してはその評価と自分の認識の乖離に苦しんでいた。
押し付けられたレッテルという訳ではなかったと思う。その評価に合わせて自ら殻を被ったのではなかったか。今となってはそう思うのだが。
自ら殻を被りながら苦しんだ。自分の殻の中身がドロドロと汚い汚物のように思っていたからだ。
苦しくて苦しくて、何とかしなければと思ってもがいていた。
暗黒の小学校時代を乗り切り、友達も出来て明るくなれた中学生時代、高校入学して新しい仲間も出来て青春を感じ始めたところでの転校。新しい学校は寮生活で、そこで経験した濃厚な人間関係。楽しい仲間に囲まれて真面目に楽しく過ごした大学時代。
その時代時代で、精一杯に楽しんできたし、楽しめるように努力していた。
その時の身の丈にあった楽しさを享受しながら精一杯生きていたと思う。
自分のドロドロした内面から目を背けて、殻を被った自分でいる事が楽だった。
どこに行っても、周りに気を遣って嫌われないように細心の注意を払って、ドロドロした自分を隠して隠した。
どこに行っても「良い子」だった。
当時の処世術を間違っていたとは思わない。
そうやって生きる事が自分を守る事だったし、そういう自分だったから築く事が出来た関係や、成長もあったからだ。
それでも。
蓋をした中を覗けば、時間が経つほどに発酵して更にドロドロになってしまっていた。
意識の表面に浮上してくると居たたまれなくなる。
吐き出してしまいたいと思っても上手く出来なかった。
何人かの限られた友達に話そうとしてみた事がある。
だけど、上手く話せなかった。
私が話そうとした友達も重たい荷物を持っている子達だった。
だからきっと笑ったり軽蔑したりせずに聞いてくれるんじゃないかと思ったからこそ話そうと思った。
それでも、具体的な事象のない心の中の葛藤を言葉にすると、表面をなぞる程度の軽い表現しかできない。
その軽さに私の悩みなんて取るに足らないものだと思ったし、聞いてもらう価値すらないと感じていた。
そうして、発酵して粘度を増して重く重くなったドロドロを心の中の奥底に沈めていた。
そして病んだ。
社会に出て、今まで以上に自分の役割を意識するようになった。
それまでに培ってきた処世術は大いに役に立った。
外にいる時の私は生き生きとしていたんじゃないかと思う。
その分、一人になった時のダメっぷりといったらなかった。
魂が抜けて何もしたくない。
腑抜けってヤツだった。
引きこもると何も出来ないから、出来るだけ予定は入れたかった。
この頃は気分の波も激しかったと思う。
突如気持ちが前を向かなくなると友達との予定も忘れて閉じこもってしまう。
今思えば、殻の部分だけで、半分の自分で生きているような状態だったのではないかと思う。
外で精力的に生きるにはたくさんエネルギーが必要だったのに、半分の自分には賄い切れなかった。
いよいよ苦しくなってきていた。
当時の自分を振り返ると、ハチャメチャだった。
自分でも何がしたいのか分からないような行動をしていたから、関わってしまった人は困っただろうなと思う。
まともな恋愛も出来なかった。
好意を持ってくれた人を振り回した。
好きと言ってくれると、私はそんな人間じゃないと拒絶したくなる。
大事にしてくれない男性との関係をわざと選んだ。
既婚者だったり、遊んでばかりいるような人。
どこに行っても「良い子」だった私は、自分の恋愛を隠すようになっていた。
隠すのは楽だった。
隠れてドロドロとした欲求を満たす事で、解放された部分もあったから、そうなった自分を今は否定していない。
だけど、それで楽になれると味をしめた私はその習慣を止められなくなった。
でも。
隠し事は隠し事。
頭が正常な方に振り切っている時、反吐が出そうになるほどの自責の念に襲われることがあった。
何度も何度も繰り返す。
結婚しても、子供を産んでも、大きな波が数年おきに繰り返しやってきた。
どこからおかしくなっていたのか分からない。
自分の心の中の問題だけではなく、本当に色んな事があった。
次女を死産した。義理の父がガレージに集めていたゴミに放火された。
そのあたりが限界だったのだろう。
双極性障害2型という診断だった。
いわゆる躁鬱病だった。
出来るだけ素直でいたいと思った。
40歳になる直前、大きな波があった。
入院するんだと大騒ぎして、気分は鬱々していたのに、自分であちこち問い合わせして入院するためにはどうしたらいいのか調べまくった。
そして突然、何故か働くことにした。
憑き物が落ちたようにその後は病的な鬱状態になる事はなかった。
病気の事はいつか書きたいと思っているので割愛するが、その後も維持療法として一昨年の夏まで服薬は続いた。
足掛け8年以上治療していた事になる。
その間も恐らく両親の前ではしっかりした長女を演じていたのだろう。
その頃の私の状態を理解してくれてたのは当時お世話になっていたヘルパーさんだけだったかもしれない。
外に出るようになり、外では頑張れる私に戻った。
病気のせいか、出来なくなった事も増えた。
もともと苦手な家事だったり、スーパーでの買い物だったり。
そんな自分を受け入れられるようになれた事が多分良かったんだと思う。
受け入れて、その事を人に話せるようになった。
それと同じ。
隠し事も、隠す事を止めてみようと思うようになった。
素直でありたい。
蓋をしたり隠すのではなく、自分の体内の、いつでも取り出せる場所に置いておく。
置き場所も決めないから、ふと手に取ることがある。
そんな時に、
「そういえばこんな事があってさ」
「こんな風に思ったんだ」
と、口に出せるようになった。
40歳になって働き始め、世界が広がった。
たくさんの人と知り合った。
大事なご縁が切れてしまった事もあった。
この年になって家族以外の人と喧嘩もした。
少しずつ素直な感情を吐き出せるようになって、その時々で話せる場面や話せる人に、ドロドロしたものを掬っては話して見るようになった。
経験談としてだったり、時には笑い話にしたりと、話すことのハードルはどんどん下がっていった。
いまだに料理とか得意そうと思われるけど、レパートリーなんてないし、段取りも全然出来ない。洗い物も嫌いだし、我が家が汚部屋な事も話す。見せられないけど(笑)先月までスナックでアルバイトしていた事も両親以外にはペラペラと話している。(親にだけは言えない。親の前で良い子でいるのは親孝行だろうと思っているから仕方がないかな。)
習性として、相手に良く見せるために無理をしがちだから、隠し事を極力減らして、相手が見ている幻想を壊してしまう。
そうする事で、素直な自分を表現しやすくなって生きやすくなったと思う。
それでも。
まだ言えないことなんて山程ある。
私がFacebookやTwitterに手が出せなかったのは、隠したい事がたくさんあるからだ。
そして、話したい事がたくさんあるからだ。
私にはいくつもの別人格があった。
その別人格は、ドロドロとした欲求を具現化してくれる存在だった。
現実の自分から完全に切り離したところで、欲求に素直な天真爛漫な自分として存在していた。
今の自分にほぼ統合されている、それらの別人格がしでかした様々な事を、話してしまいたい欲求がある。
素直になればなる程、話したくなる。
何故なら、統合された今の私を形作る要素だから。見ないふりがもう出来ない。
「自分」として発信したい。
だけど、「自分として発信出来ない」
私はどこの誰です、こんな事をしてきました、と言いたいのに言えない。
未熟だなと思う。
上手く切り離して立ち回ればいいのに、と思う。
そう出来ない青臭さをまだ持っている。
noteを始めてみて、本当はTwitterやFacebookでも人と繋がりたいんだと気がついた。
いくつかのアカウントを持てばいいんだろうし、今後多分そうすると思う。
だけど、完全な裏垢を使うというのは私としては違和感がある。
今更、完全な匿名ではいたくない。
どのアカウントも、ちゃんと現実の自分とリンクさせていたいと思うのだ。
壁を前に立ち竦んでいる。
見上げてみると、もう少しで手が届きそうな気がする。
だけど、あの有刺鉄線をどうやって越えよう。
書きたいのに書けない。
どうしたらいいんだろう。
まだ答えは出ない。
この記事を書いた事が小さな一歩になったかもしれない。
そうであればいいな、と思う。
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