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マイストーリー2~引越しのタイミングで開業

おもいがけないチャンス到来?

もともと以前の住まいは浸水しやすい場所でした。震災が起きて以前から話しが出ていた引越しも伸び伸びになっていましたが、
カフェで働くようになってしばらくしたころ
引越しの話が本格的に決まってそのときにせっかくならと
家の一部を店舗にしようということになりました。
私が“こんな感じがいいな”と詳細をハウスメーカーさんとだんなさんに伝えて話を進めました。
カフェでの仕事をしながら、どんなものを作ろうか?  仕入先は? 手続きは? ・・・・・・などなど一人でお店をするにしても、いろんな方のかかわりがあってだんだん形になっていきました。
そんな中、また新たなお話をいただくことになります。

製菓学校の講師をしてみない?

店の形も仕上がってきて、カフェのお仕事もそろそろいつまでにするか考えていた頃、お世話になっている仕入先さんからのご連絡が、
「今、製菓学校の先生を探しているんだけど、できませんかね?」
聞いてみると製パン担当の先生をさがしているとのこと。
とても嬉しいお話でしたが、製造現場の経験もなく、パンもお菓子教室という形で教えていた程度。でも学校のほうは、
「先生のスタイルで授業していただいてかまいません。」
というお話でしたのでお話を受けることになりました。
お店をOPENする年2014年4月から2022年3月までの9年間製パン非常勤講師として講師をしていました。
途中からパティシエ科の生徒さんのほかにブーランジェ科の生徒さんも担当し9年でたくさんの生徒さんとかかわれたのはとても貴重な経験でした。
後の次のステップがなければ今も講師を続けていたかもしれません。

専門学校の授業

2014年7月20日 店OPEN!

カフェの退職が人員の関係で5月末になり、そこから本格的に準備を開始。
2014年7月20日にOPENしました。名前は「SWEET HOUSE」。
なぜこの名前にしたのかというと
娘が幼稚園くらいのとき、当時娘が好きだったアニメの中に
「SWEET HOUSE」という可愛らしいお菓子屋さんが登場していて
娘が「ママがお菓子屋さんするなら名前は「SWEET HOUSE」だね!」
と言っていたから。「いつかお菓子屋さんをやりたい」が実現しました。


店正面入口

手探りの日々~進化の日々~次のステップへ

現場経験のない私。今ならわかることも当時はお店をするために何が必要かを知らないままのスタート。すべてが手探りでした。
場所を見つけてもらうために、電柱広告を設置、チラシの設置、地域へのお葉書の投函、SNS投稿など。
店をOPENする前から現在も
技術、ノウハウを身につけるためにさまざまな講習会に参加し、
活躍されてるたくさんのパティシエ、ショコラティエさんから学ばせていただき、自分の店にそのノウハウを落とし込んでいます。

さまざまな技術を学ぶ

チョコレートが大好きなのでショコラをメインにしたお店にしたいと思っていました。あるシェフから「定着させたいなら出し続けること」とアドバイスをいただき、1年中チョコレートを提供できるように設備を整え、技術や知識を磨き続けて現在のスタイルになっています。一口サイズのボンボンショコラはひとつひとつ個包装にし、お客様が自由に手に取れるようにしています。常時30~40種類は置いてあるようにしています。

提供中のチョコレート一部

またバースデーなどのデコレーションケーキも最初はスタンダードなものでしたが、ひとりひとりのお客様のご希望に合わせたいという考えから
オーダーメイドのようなケーキやお任せデコレーションという私の感性にお任せいただいたデコレーションなどに進化しています。

オーダーにあわせて作成提供

通常の店頭ケーキ、焼き菓子もバリエーション豊富に提供していて、
パン、和菓子、工芸菓子(工芸パン、シュガークラフト)も提供しています。

バリエーション豊富に提供

ほぼ毎年バレンタイン時期には地方局ですがテレビで中継や収録、商品紹介をしていただき(地方局4局2014年7月~2024年2月まで店舗中継4回、店舗収録6回、スタジオ商品紹介3回)、また口コミなどでもすこしずつお客様が増えていきました。

そんな中突然の出来事が2つ起きました。ひとつは母の心筋梗塞、
もうひとつは親友が癌になったことです。
母の心筋梗塞は幸い軽いもので当時娘が大学生で時間も取れていたので協力してもらい回復して、お店もほぼ影響なく営業できました。
しかし親友の病気は深刻なものでした。病気がわかって治療中にコロナがひろがり満足に見舞いにもいけませんでした。
一人で切り盛りする私をお店のOPEN前から支えていてくれた親友でした。
悩みを相談したり、アドバイスをくれたりかけがいのない存在でした。
願いもむなしく癌が発覚して1年もたたないうちに帰らぬ人となってしました。
憔悴しきっていましたが、日々訪れるお客様がいてくれたからこそ当時もなんとか続けていました。
この先どうしたらいか悩んでいる中でまたコロナ中ということもあり、インスタグラムのライブをみる機会が多かった時期、忘れかけていたものとの再会があり、新たな夢をみることになります。


マイストーリー3~より進化するために・・・に続く
https://editor.note.com/notes/naf7cdab3ff5a/edit/

マイストーリー1~普通の主婦がパティシエになるはこちら
https://note.com/sweethouse2014/n/n854ef7ec2937

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