雑文 朝日楼

年をとるってことは深酒が出来なくなることなんだと、最近朝が来るたびに痛切に思う。アタシは痛む頭と段々ベッドから俊敏に起きられなくなった身体を恨みながらタバコを一本吸う。どんなに身体が悲鳴をあげようと今日の仕事を止めるわけにはいかない。

かくて、憐れな二日酔いの老婆は10分後には化粧をまとった、置家の女将の仮面を被る。この店の名前は朝日楼。

戦争であの人を持っていかれていてからアタシは待っことに耐えられずにーまだこんな仕事をしている。最もアタシを指名する酔狂なお客は今更いやしないから、働くのは女の子達。アタシはお酒呑んで彼女達が働きやすいように指令するだけ。いつの間にか楽な立場になってるわ。これでも朝日楼の花形だったんだけどね。

朝日楼にたどり着いた時、そうねぇ…あの頃は本当に若くて綺麗だった。自分で言うのはどうかと思うけどさ…驚いたことに女将は決してアタシに客と寝ることを許さなかった。「あんたは好きな人にだけ抱かれたらいいんだ」って言われたよ。だけど、置家の仕事ぐらい何をするか知ってたよ。ただ飯食いをするわけにいかないじゃないか。

夢があったんだよ。フランス行きの船に乗って、パリの並木通りを枯れ葉を踏んで歩き、小さくていいから蔦が絡まる家に住んであの人の帰りを死ぬまで待つ…
夢の為には働かないといけないのにさ。

女将はアタシに命じたことは男に愛を与えることだけ。そしてその方法は…

裸になってお互いを抱きしめる夜。男は子供に還っていく。行為なんてしなくても男達はアタシの腕の中で泣いて泣いてそして眠り…また帰っていく。男達を眠らせること…それがこの店に来てからのアタシの仕事だった。

フランスに行くにはもう年をとりすぎた。女の子達を放って投げ出すにはいかないだろう? フランスは幻の土地になっちまった。アタシはモーセじゃないんだ。命尽きたら、灰を誰か並木通りに巻いておくれ。

アタシの家は朝日楼。ニューオリンズに着く汽車からは、今日も夢見る若者が吐き出されてくる。
朝日の美しいこの街に…

アタシの名前?名前なんて忘れたよ。

でも教えてあげる。アタシはマリー。

帰ってこない恋人を待っているうちに年老いたマリー。

そろそろ女の子達を起こさないとね。
朝日が沈んでしまう前に何処にいるかわからない神様に祈りを捧げなければ

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