春は李太白に想いを馳せて・・・

いよいよ桜の満開も近づいてきて、温かさと共に華やかさも漂ってきた、僕の自宅から5分足らずで行ける公園は非常に桜が綺麗で、今年も見事な咲きっぷりを見せてくれている。

そんな公園に夜にコソッと出かけて一人で夜桜を楽しむ「一人夜桜見物」が僕のここ何年かの楽しみになっている。

当然傍らには好きなウイスキーと、ちょっとしたおつまみを置きながら

時間にもよるけれど、誰もいない公園でベンチに腰かけて柔らかな照明に照らされる桜を独り占めできるはなんという贅沢だろうかと毎年思っている、そこに自分の好きなお酒があるのは「最高」という言葉では到底足りないぐらいの幸福だろう。
その夜空に綺麗な月まで浮かんでいようものなら「あぁ、この瞬間に死んでも悔いは無いな」とまで思える

そんな時に頭の中に浮かぶ漢詩がある、かの「詩仙」とも称される李太白が詠んだ詩「月下独酌」だ
(以下は「漢詩の朗読」https://kanshi.roudokus.com/gekkadokusyaku.htmlより引用)

月下独酌 李白
花間(かかん) 一壷(いっこ)の酒、
独り酌(く)んで相(あい)親しむもの無し。
杯(さかずき)を挙げて名月を迎え、
影に対して三人と成る。
月既に飲(いん)を解(かい)せず、
影徒(いたづらに我が身に随う。
暫(しばら)く月と影とを伴い、
行楽(こうらく)須(すべか)らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊(はいかい)し、
我舞えば影零乱(りょうらん)す。
醒(さ)むる時ともに交歓(こうかん)し、
酔うて後は各々(おのおの)分散(ぶんさん)す。
永く無情(むじょう)の遊(ゆう)を結び、
相期(あいき)す遥かなる雲漢(うんかん)に。

(現代語訳)
花の咲き乱れるところに徳利の酒を持ち出したが
相伴してくれる者もいない。

そこで杯を挙げて名月を酒の相手として招き、
月と私と私の影、これで仲間が三人となった。

だが月は何しろ酒を飲むことを理解できないし、
影はひたすら私の身に随うばかりだ。

まあともかくこの春の間、
しばらく月と影と一緒に楽しもう。

私が歌えば月は歩きまわり、
私が舞えば影はゆらめく。

しらふの時は一緒に楽しみ、
酔った後はそれぞれ別れていく。

月と影という、この無情の者と永く親しい交わりをして、
遥かな天の川で再会しようと約束するのだ。
(引用ここまで)

というもので、酒好きであった如何にも李太白らしい詩だと僕は思っていて、特に「花の下で一人で飲む酒だけど、杯を挙げて明月を招けば・・・ほら僕の影も含めて3人になった」という部分が大好きな一節だ

桜が満開になっても「花見は見て歩くだけ!宴会は控えて!」なんていう喧しい世の中だけれど、花の下で少しお酒に酔いつつこの詩を想うと「一人飲みもまた楽しいもんだ」と心の底から感じられるものだ。

1300年も前にこんな素敵な詩を遺してくれた「詩仙・李太白」を想いつつ、今年も僕は公園の夜桜を見て一杯飲るのだ、月と影を友にして。


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