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建築学生の逃亡、留学
今回は私がどうして1年間休学をしてスウェーデン留学に来たのか、という背景についての話をしようと思います。(旅行記もひと段落したので)
自己紹介でも軽く述べましたが、私は日本で建築学を専攻する学部3年生でした。(この春から4年生に進級する予定です。)高校生の時、都市計画やまちづくりに興味を持ち、建築学科を志望し、都内の大学に進学しました。建築学科は過酷な学生生活を強いられることで悪名高い学科ですが、他の学生よりも努力が求められる分、得られるものも多いと考え、入学を決めました。
私は2021年度入学の代であり、世間はちょうどコロナ禍真っ盛りでした。ですが、製図や実験など実際に大学のキャンパスで授業を受けることも多く、当時の大学生としては非常に珍しい大学生活を送っていたと思います。2020年度入学の代は製図や実験も全てオンライン授業だったとのことなので、幸運な代であったと振り返って思います。
思えば1年次の生活が全ての元凶でした。
過酷と覚悟していた学生生活は想像を遥かに上回るもので、1週間のうち3回徹夜することは当たり前でした。理工学生が共通で課される基礎実験の予習やレポート課題、微積や線形代数の課題は膨大なもの、難易度の高いものも多く、非常に苦戦しました。これだけでも多くの理工学生は悲鳴を上げますが、建築学生はこれに毎週有名建築のトレース課題が課されるのです。おそらく今同じ課題に取り組めば当時ほど時間はかからないと思いますが、当時はやってもやっても終わらない課題に毎週末を捧げていました。
建築学生を含む多くの大学生の言う”徹夜”とは、計画性の無さを自慢するような愚かなものである、という指摘がありますが、あの1年間に関してはそういう問題ではなく、本当に終わらない量の課題に徹夜せざると得ないという状況でした。毎日4時間に満たない睡眠で大学に行き、エナジードリンクで眠気を誤魔化しながら、落単しないように、留年しないように、ただただ必死でした。
なんとか1年生を中の中程度の成績で終えた頃、私はこの生活を最低3年、修士まで行けば5年も続けるのか、とふと考えてしまった時がありました。その瞬間、緊張の糸のようなものがプツンと切れてしまったのだと思います。
無理だ。これ以上は頑張れない。建築も好きじゃない。得意じゃない。他の人みたく絵が上手いわけでも数学や物理が飛び抜けて出来るわけでもない。好きじゃないことにこれ以上時間を掛けたくない。
建築学科を辞めよう。
一時は本気でそう思っていました。しかし、そう思うだけならば自由ですが、実際に辞めるには多くの問題が立ちはだかります。学費や生活費を出してくれた両親の説得、大学を辞めた後の身の振り方、そういうものを考え始めると辞めたいと簡単に口にすることも出来ず、鬱々とした日々を過ごしました。
完全に建築から逃げることが出来ないのならば、一時的にでも逃げることは出来ないだろうか、と思案していた頃、iPhoneのアルバムにマルタの写真が流れて来ました。
高校生の頃行った3週間の短期留学。その当時では、人生において最も大きな転換点でした。写真を見返しながら、異国の地で日本よりもずっとのびのびと過ごせたこと、楽しかったこと、上手く馴染めていなかった高校生活も留学後上手く回るようになったことをふと思い出しました。非常に短絡的ではありますが、留学に行こう、とその時決意のようなものが固まりました。
思い立ったが吉日。両親に留学に行きたい、と伝えると、大学のプログラムに受かったら行ってよし、とのお達しが出たので、そこからは英語を勉強し始めました。大学の募集要項を片っ端から読み漁り、自分の語学力でもなんとかなりそうな大学をピックアップし、必要なスコアの目安を決めました。建築は勉強したくなかったので、英語を勉強するプログラム、または人文科目などを勉強できるプログラムを中心に出願することにしました。タイトル通り、建築からの逃亡、そのための留学です。
教務課にも連絡を取り、現地大学で建築を専攻しない以上、単位互換は出来ない可能性が高いこともその時点で確認しました。理工学生である私は単位互換が出来ない時点で、留学=留年は確定事項でした。また校内選考のために出来るだけ高いGPAを取らなければならず、2年春学期はGPAを意識して課題に取り組みつつ、英語を勉強する生活を続けました。建築は変わらず大嫌いでしたが、留学に行きたい(というよりここから逃げ出したい)という思いだけで乗り切りました。10月の校内出願までにTOEFLを計3回受験し、3回目で必要なスコアをなんとかクリアし、無事出願が叶いました。その後12月上旬に校内選考を通過し、第1志望であったルンド大学の候補者となりました。
そこからはルンド大学への出願、スウェーデン移民庁へ居住許可の申請、奨学金の応募などを順にこなしていき、2023年5月頃ルンド大学から入学許可を頂きました。
同じ建築学科の友達にも殆ど相談せず、1人で黙々と準備をしていたので、留学直前に留学や留年することを伝えた際とても驚かれてしまいました。留学に行きたい!と周りに宣言して、実際どこにも行けなかったらどうしよう、という甘えやプライドがあったんだと思います。
しかし、出願当時の自分を振り返ってみると、周りに言わずに準備したのは、正解だったなとも思います。もし友人から、一緒に卒業しよう、とか、一緒に頑張ろうよ、と言われていたら、それに折れて留学に行かない、という選択をしていたかもしれません。
そんなこんなで、私は留学と留年を決め、1年間のモラトリアムを獲得するに至ったというわけです。建築の勉強から一旦離れてみると、建築学科の良さも多少は理解できましたし、人文学部の良さもなんとなく分かった気がします。(これはまた別で掘り下げて書きたい。)
理工学部の学生としてではなく、1人の学生として物事を俯瞰してみると、いろいろと見えてくるものもあることを知れたことも留学に来てよかったことの1つだったと振り返って思います。
幸いなことに、私は奨学金や両親の援助があって、留学に行くことが出来ました。私の我儘を聞いてくれた両親への感謝を忘れず、豊かな逃亡生活にできたんじゃないかと思います。noteにまとめた旅行記録もいい思い出ですし、この1年で撮り溜めた、1万5000枚の写真も宝物です。
建築学生はその忙しさや仲間意識、制度上の問題などから、建築というレールから逃れることが難しい環境にいると思います。誰も彼もが、建築が大好きで得意なら何も問題はないのですが、私のようにずっと建築を好きでいられない(あるいは、かもしれない)人は、学部生の間にいったん留学に行ってみるのも1つの選択肢なんじゃないかと思います。その結果、建築じゃない道が見つかるかもしれないですし、自分にとって居心地のいい建築との距離感が分かってくるかもしれません。
そういうものを探し求めるための1年間を幸いにも手に入れることができて、私はとても幸せでした。あと1年の建築学生としての時間も、楽しく過ごしていきたいと思います。