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【北欧留学】留学を通した「言葉」との関わり

Hej, hei!
今回は2022年8月から2024年まで、スウェーデン南部ベクショーのリンネ大学に留学していたメンバーKから、その体験記をお届けします!

   「留学」と聞いて連想できるさまざまなキーワードの中から、「言葉」や「言語」をテーマとしてピックアップしました。私が広義の「言葉」というとき、それは「形のない思いを形にして意味づけてくれるもの」を指します。他人に思ったことを伝えることを日常的に求められる私たちには、なくてはならないものです。
   私は幼い頃から「言葉」が好きでした。留学をして「言葉」に向き合うことが増え、ときには突き放され、ときには救われることもありました。そして今、卒業論文は「言葉」について書きたいと思うくらい惹かれています。
   これらの観点から個人的な体験と留学中、留学後に考えていたことをお話しします。


「言葉」とは?スウェーデン留学とのつながり

  今回私がお話しする観点は大きく2点、狭義の「言葉」全般と、英語や日本語などの「言語」についてです。

 まず「言葉」全般に関して、「自分の気持ちは言葉を通じて、本当に相手に伝えることができているのか」ということを留学をしてからは常々考えさせられていました。私がスウェーデンへの留学を決めた理由の1つに、「厳しい寒さにもかかわらず、高い幸福度を長年維持している北欧の秘密を知りたいから」「フィーカ(スウェーデン語で「コーヒーブレイク」を指す。)が文化として浸透しているスウェーデンの幸福度とこーの文化との関わりを知りたいから」というものがあります。私は日本の大学で哲学を専攻していることから、日常的に幸福について考えることが多かったのです。

言語に対する基本的な信頼度が高いことをベースとした、他者とのコミュニケーションの方法はこの幸福度の高さに関わっていると強く感じています。それは北欧において比較的個人主義が発達していること(あくまで日本の傾向と比べて、ということになりますし、北欧だけでなく欧米諸国に共通していることなのかもしれませんが)に由来するのかもしれません。この点を中心にお話ししようと思います。

 次に、「言語」に関して、これは「英語」、「日本語」、「スウェーデン語」3つの言語の私の関わり方にフォーカスしようと思います。スウェーデンの第一言語は、スウェーデン語です。歌を歌っているようなとても綺麗な言語で、隣り合う国の言語である、デンマーク語やノルウェー語に非常に近く、また、ドイツ語話者にも比較的学習しやすい言語と言われています。第1言語であるため、現地のスウェーデン人に話しかけられる時はスウェーデン語をかけられることになりますが、英語教育が非常に高い水準で浸透しているため、こちらがスウェーデン語を話さないとわかればすぐに英語に切り替えてくれる人が多いです。そのため私も、周りの留学生もスウェーデン語を学習しないで留学する人が多かったですが、それで何か不自由があったという話は基本的には聞いたことがありません。

 留学先を決める際、メジャーな国として1番最初に思い浮かべたのはイギリスやアメリカでした。私は英語以外の外国語は会話ができるレベルではなかったため、英語が通じる国であることは必須の条件でした。ただ、この2つの国以外にも選択肢を持っていたいなと思っていたところ、第1言語ではないが英語話者が多い国として北欧が出てきました。それまでの北欧に対する、メルヘン、おしゃれ、といった漠然とした憧れもあり、北欧の1つであるスウェーデンに留学を決めました。日常で触れることの多かった、3言語についてお話ししようと思います。

私にとっての「言葉」

幼少期から留学前まで

 私は幼少期から性格的に活発な子どもではなく、思ったことをすぐに口走ることはあまりありませんでした。語彙が足りないことから、自分の感情の表現方法がよくわかっていなかったことも理由の1つだったように思います。成長するにつれて、いわゆる「行間を読む」「空気を読む」ことが自分の周りの環境で美徳とされることを徐々に理解していき、その方が上手く生きていける場合が多いことを学んでいきました。また、私はこのような「推しはかる」「建前」の文化を好んで、積極的に受け入れていたように思います。その方がむき出しの感情や強い感情に直面する必要性が減るからです。このような経緯があり、「そもそも言葉によって自分の感情を相手に伝えられると思ってしまうことがナンセンスで、言外のコミュニケーションの方が大きな意味を持つ」と考えていた私は、本来の自分の感情や相手に伝えたいことと、実際に出す言葉の一般的に持つ意味が乖離していてもあまり気にせずに生活していました。

 一方で、「言語学習」という観点では、幼少期から苦手意識を持つことはあまりありませんでした。第一外国語は英語で、親が用意してくれたラジオやCDなどでたくさん英語を聞く機会がありましたが、意味はわからなくても英語の響きが好きだったし、心地よかったのを覚えています。小学生、中学生、高校生と成長しても、英語学習に対して苦手意識を持つことはなく、大学に入ってからは、第二外国語、第三外国語と幅を広げていきました。もともと意味のわからない、ただの音だった言語が、単語を習得するにつれて意味を持ち始め、文法を学習することによって整然とした「言葉」になっていく過程が心地よかったです。

留学中

 スウェーデンでの生活が始まり、大学の授業が始まると、「言わなければならない環境」「推しはかってもらえない環境」に晒される場面が多くありました。教員の「何か言いたいことはありますか?」の投げかけに、それまで日本の大学では質問がなければ何も発言していなかった私ですが、「話さなければ授業中何も聞いていないという意思表示になる」と感じる場面が多くなり、自分の考えを共有するため、徐々に積極的に手を挙げるようになっていきました。

 授業外での友人関係でも、自身の思考の変化を感じたエピソードがあります。留学して半年が経ち、現地の生活にも慣れた頃、私がフランス人の友人の提案に対してNoを言えず「わかってほしい」スタンスを貫いてしまったために、私がストレスを抱え、また、その友人を勘違いさせてしまったことがありました。ギクシャクしてしまった関係を修復するために話し合いをしましたが、そこで友人は私に「正直になってよ。嘘をつかないでよ。」と言いました。私は嘘をついているつもりは全くなかったし、良かれと思って、相手を傷つけないようにオブラートに包んだ言い方をしたつもりだったのですが、それが自分の感情から乖離した言い方である以上、まっすぐな言葉を望んでいた友人からしたらそれは嘘だったのだと思います。同時に、ずっと建前やオブラートを使って生きてきた私は、その瞬間に自分が何を考えているのか、どう言いたいのかが自分でもよくわからなくなっていたことに気がつきました。

 そんな友人関係や自分の性質に悩んでいたとき、私は「フィーカ」に助けられていたと思います。コーヒーとお茶と一緒に友人や家族とゆったり話す時間を積極的に作る。スウェーデン人の家族に混ざってフィーカをすることもあったし、スウェーデン人を真似て留学生の友達と一緒にフィーカをすることもありましたが、この時に強く感じていたのは個人主義の冷たさと、個人主義から生まれる余裕による寛容さの二面性です。スウェーデンや欧米文化の多くには必要以上に他者介入しない空気があると感じています。言葉の深掘りも日本社会ほど要求されません。その代わりにコミュニケーションにおける言葉の力を信じており、はっきりとした物言いをする人が多いと感じました。時には対話というより討論に近いと感じることもあります。ただそこで終わってしまうのではなく、独立した自己を持っているからこそ、周りを見る余裕を持ち、「言葉で」相手を支える寛容さを持っているように感じました。

湖を見ながら友達とフィーカ


 「言語学習」に関する変化として、初めてその楽しさに疑いを持ち、最終的には留学前よりも好きになることができた、という点があります。留学は、私にとって英語が主要な、実用的なコミュニケーションの手段となる最初の機会でした。当初は日本語を話す自分と英語を話す自分の若干の性格の変化が気持ち悪く感じ、翻訳を使わないと街のものが何も理解できない、ということが辛く感じました。印象的なエピソードが二つあります。

 留学生活が始まって2ヶ月ほど経った頃、英語を話している時の自分が日本語を話している時と比べ、口数が減り、話す言葉の1個1個に慎重であることに気がつきました。それは語彙力が乏しいためか、失敗を恐れているためか、理由は様々考えられましたが、その自分の変化に強い違和感を感じていました。そんな中、日本人の友達1人、香港人の友達1人と3人で旅行に行こうという話になり、英語に慣れるため、日本人の友達とも英語で話すようにしていました。違和感からくるストレスから英語を話したくないと思う場面が多々ありましたが、ホテルに備え付けのテレビで一緒にコメディドラマを見ているときに「辛い」の前に「楽しい」という感情が先に来ていたことに気がつきました。友達と爆笑している時、使っている言葉は関係なく、楽しさや面白さを共有していることが心から幸せだと感じました。そこからは自分が持っている感情を疑ったり、どちらの言語を話している時が本当の自分なのかはあまり気にならず、会話を楽しんでいたと思います。また、語彙力の少なさも、努力して補うことで、感情と言語のずれを徐々に直していくことができました。

 別のエピソードとして、「お店に入った時のスウェーデン語」に関するエピソードもお話ししようと思います。前の章で、スウェーデンではスウェーデン語が第1言語であるために基本的にはスウェーデン語で話しかけられるが、英語話者が多いために、相手が英語を話すことがわかればすぐに言語を切り替えてくれることをお話ししました。とてもありがたい心遣いなのですが、疲れている時などは特に、「自分はここの人間ではない」と感じさせられ、悲しくなってしまうことも多々あったのです。しかし、それを繰り返していくと、買い物の際に使われるスウェーデン語を自然に習得していくようになり、少し経てば一言も英語を使わずに買い物をすることが可能になります。スウェーデン人とのスウェーデン語での会話は例え数言で終わってしまったとしても、自分がその地に溶け込めていると感じられ、嬉しかったです。

まとめ

 言葉を実際の生活で使用することは、さまざまなことを考えさせてくれます。留学中と比べ、英語よりも日本語を使う機会が増え、スウェーデン語を全く使わなくなった今も、色々な気づきがあります。当時の、伝えようとしなければ伝わらない経験を通して、コミュニケーションに関するスキルが上がった一方で、今は「言葉を使えば人は全てを伝え合うことができる」という考えに支配されすぎてしまっているかもしれません。この辺りのことは卒業論文のテーマとして考えてみても面白いかなと思っています。

 「何かスキルを得られる留学生活にしよう!」という意気込みに加え、それとは別に、自分の経験を通して何らかの解を得られるようなものではないことをぼーっと考えることも、留学中、留学後にやってみてもいいのではないかと思います。

次回もお楽しみに!tack!もっと知りたい方は、こちらのInstagramへ!@sweaters_jp
https://www.instagram.com/sweaters_jp/
定期的にスウェーデンに関する魅力的な情報を投稿しておりますので、ぜひご覧ください!


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