名付けて衣類手記第6話【前向き希死念慮】
どうも衣類です。
本日の絵は深い森から見える居住区。
これまでゲームを作っている時は、周りのクリエイターの力量との差に愕然としていましたが今では色々開き直って
「まぁまぁまぁこんな感じでいーのよ」とお絵描きを楽しむ事が出来ています。
さて今回なんだかとんでもないタイトルですが
僕は体調が悪い時は、音への過敏性が増してしまう症状がある。
普段は我慢できる音でも、まるで音が殺しに掛かってきているような感覚で恐怖を感じる。
仕方がないのでノイズキャンセリング機能のついている電子耳栓を付けていたことがあった。
雑音は軽減し、指示を出している人に意識を向ければ話している内容もちゃんと聞き取れる。
こりゃいいやと思ったのは数時間だけで、耳栓を付け続けたことにより耳に出血を伴う怪我をした。
融通の利かない耳め。
それに耳栓を付けていたとしても、人間の生活はそこかしこで人の悪口や暴力的な言葉が飛び交っている。
そういうものばかりは、意識していなくても拾い集めてしまうのだこの耳は。
なんて融通の利かない耳だ。
娯楽の場でもこの耳は融通が利かない。
映画館での臨場感ある爆音は平気なくせに、家庭用のテレビから割れんばかりの大音量が聞こえると心臓がそりゃもう大変なことになる。
劇やミュージカル等のイベントで大きな声は心地よいのに、司会がふいにマイクを落とした音などで不穏スイッチが入ってその後は一切の感情が不快一色になってしまう。
僕の耳は、場所や状況に相応しくない音のすべてを不快なものとして認識してしまうのだ。
そして不快感とは希死念慮に直結する。
健常者はみんな許容して受け流せることなのに、こんな些細なことで耐えがたい苦痛を感じるくらいならいっそ死んでしまいたい、と。
ほんっとうに融通の利かない耳である。
耳一つ融通が利かないだけで「死にたい」と思わずに生きていくのが困難なのだ。
(もちろん他にもいっぱい理由はあるけど、耳も理由の一つ)
生きる事こそがもはや諦めである、死にたがりながら生きていくしかないのだ。
ただ近年、死は天への帰還であるという信仰を持ち始めてからは、希死念慮こそ消えないものの自傷行為や自殺願望はめっきり無くなった。
死が天から与えられる救済である以上、自分から取りに行くのはマナー違反なので
僕はこの融通の利かない耳と共に、最後のご褒美である死を待ち望む前向きな希死念慮を抱いている。
……うんまぁ随分生きやすくはなったけど、信仰として合ってるのかなこれ?
とにもかくにも、どうせ消えない希死念慮ならハッピーに抱いた方がいいさ。
前向き希死念慮、あってもいいと思います。