SNSとの距離感
今更ながら、「毎日毎日こんなに時間がないのはどうしてなの!?」と絶望。
確かに以前と比べれば、私の帰宅時間も1〜2時間遅いし、平日は夫の帰りが遅い分、家事は私一人で担っている。
でも、我が家には食洗機もドラム式洗濯機もあり、食事は義母の支援も受けている(平日はほとんど毎日、2人分のおかずを届けてくれる…)。
子供もいないのだから家事も大した量ではない。
なのになぜ…?なぜこんなにも毎日忙しいのか。朝から晩まで、やりたいことの半分もできていないような気がするのはなぜだろうか!?
最近暑いから?休日にもいろいろと予定を詰め込みすぎているから?
…いろいろ考えてはみたけれど、やっぱりスマホに時間を取られていることを自覚しました。
スマホの何見てるの?と聞かれたら、うーんちょっとわかんない…と答えるくらい、ぼんやりしているのだけど、
たぶん夜の空いた時間、1時間くらいは、ダラダラとスマホを眺めている。
TwitterやInstagramなどを含むSNSがそのメインで、何らかの目的があって調べ物をする時間もあるのだけど、
文字通り「眺めている」時間が長い。
この時間、なくてもよいのでは…?
本心でそうささやく私もいるが、やはり毎日「つい」やってしまうことというのは、自分にも何らかの意味があるのだろうと思う。
そこを考えて、整理してみる。
まず、SNSを見ることで得られるメリットは?
やっぱり情報収集だろう。
系統立てられていなくて、校閲もされていない文章や情報、だけど、
だからこそ、今を生きている誰かの生の声、今の声を知れることに意味やよろこびがある。
これ自体は、否定しなくていいと思っている。欲しい情報には触れたい。
だけど、それを10も20も、100も集める必要は、ないかも、と思う。
私は元来心配症なので、これから「起こるであろう」イベントや、これから「感じるであろう」不便や不満を先取りすることで、準備をして、初めて安心してその先に進める。
今なら、妊娠や出産、育児、働くことがそれ。
だから、その情報を集めることは自分のためにも良いけれど、
集めるのは「ほどほど」でもいいかなと。
あれもこれもの芋づる式ではなくて、1日一定量の情報に触れたら、もう十分。と思えるようになりたい。
次に、SNSのデメリット。
今一番に思いつくのは、時間泥棒的な側面。
なんで、際限なく見ちゃうのかな?というと、メリットとの表裏だけど、
興味のある情報が次々でてくるから。
どんなSNSも、たいていフォローした誰かの記事や、閲覧履歴から興味のありそうな記事がどんどん出てくるもので、「もういいや」と思いにくい。
この、流れてきた情報を全て回収するのは、改めて考えると疲れるし、それこそ時間が足りない。
情報の流れに飲み込まれるのではなくて、自分に必要な情報を自分で取りに行く姿勢を保っていたい。
流れてくる情報には自分の思いつかなかった視点のものもあるけどね。それはあくまで偶然手に入れたラッキーとして持っておく。
何となく、SNSとどう付き合いたいか、のキーワードが見えてきたので、今度はよく使っているSNSを分類してみる。
Facebook…唯一、本名のアカウント。学生時代の友達や社会人サークルなどの繋がりで知り合った方とフォローし合っている。もう数年、ほとんど動かしていないが、なんとなく義務感で時々見ている。
Twitter…ポッドキャストの配信者さんと繋がりたくてアカウントを作った。140字という絶妙な文字数制限の中で「うまいなー」という「ネタ」が回ってくるのが面白くて見てしまう。
Instagram…入院中に、同じ疾患同じ状況の方と情報交換ができて心身ともに救われた。その頃に知り合った方に近況報告のつもりで時々アップしてる。あまり中身はない、日記程度。おすすめされてくる動画はついつい見ちゃう。
note…これはSNS?気になる話題、特にキャリア、女性の生き方など、現実的な話がかなり深いところで読める。純粋に勉強になる。自分が書くときは少しハードルが高いけど、ある程度まとまった量と内容の文章を書きたくなる。自分の思考の整理と振り返り、記録用。
匿名SNS1…noteとTwitterの間みたいなSNSをやってる。これも自分がしんどい時に繋がれたフォロワーさんがいて、気が合う人が多いので定期的に呟いている。自分の感情の整理と振り返り、記録用。
匿名SNS2…Twitterよりもっと簡易的。単文くらいで、言葉は悪いが吐き捨てる感じ。過去投稿を遡ったりもできないので、ちょっと言いにくいけどどうしても言葉にしたい時、使わせてもらってます。
フォロー、フォロワーの関係性でも、人との交流は、続けたい。
近況報告をし合っている程度でも、なんか安心感あるんですよね。
家族とも友達とも違って、もっと遠い距離感で、だけど見ていてくれる感じ。時々コメントや返信をする程度。
自分が「投稿する側」で考えると、
何か思ったことややったこと、感じたことに、「そうなんだ」って言ってもらえればそれでいい、って感じがする。
まさに承認欲求というのか、「こんなことがあったよ!」「そうなんだ!」これで十分で、これがほしいんですよね。
すごいね!とかじゃなくてよくて、うんうんって聞いてもらえれば良い。
それならとりあえず夫にまず話せって感じですね。夫婦の会話も増えるし。
自分が「読む側」だと、フォローしている方の記事はうんうんって読めるけど、
「おすすめ」って流れてくる情報が、罠ですね。InstagramとTwitterには気をつけろ!(自分へ)
「うんうん」って読めない記事は、感想をコメントしてみたり、アドバイスまがいのことをしてみたり…それもそれで、(特にnoteは)思考が深まるのでいいかなと思っています。
夫に喋ればいいとは書いたけど、「書き言葉」に起こすことも自分にとっては意味のあること。
あとFacebookで「義務感」を感じるっていうのは自分でも意外としっくりきてしまっていて、
これはもう、見ない方が本当にいい気がする。
しばらく会ってない人の様子がわかるのもいいんだけど、半年に一回くらいで十分な気がします。
ここまで、自分としては、
・情報は流れてきたものを受け取るのではなくて、欲しいものを取りに行く姿勢
・欲しい情報を全部手に入れる必要は全くない
・投稿するのは話をきいてほしいから。それならまず夫に話そ
・フォローしてる相手の記事は、一定数見てよし
・自分の考えや感情の言語化のためにSNSを活用したい
…とまとまりました。
具体的な行動は決めてないけど、スタンスが見えてきたので少しは付き合い方が変わる気がします。
そして最後に、SNSと少し距離をとって、自由時間が増えたら何がしたいか?
本を読む、刺繍をする、ゆっくりお風呂に入る
です!
いずれにせよ毎日全てはできない気がするけど、
SNSよりこれらの方が、自分にとっては達成感というか、良きことをした!という錯覚に陥れそうな気がするのです。
本は、新書でも啓発本でも小説でも。「まとまった」文章を読む時間とその記録をする経験が欲しいなと思っていて、SNSとリンクさせながらやれそうな気がする。文庫本のサイズ感や触り心地が好きなので、また何か一冊買ってこようかな。
刺繍は、道具を揃えたのに全然やれてない!何か一つでも二つでも、練習がてら完成させたい。売るのは無理でも写真くらい記録に残せるかな…。
お風呂は完全に生活を整える手段です。今は暑いから、湯船に浸かったら熱中症になりそうだけど、健康のためにも浸かりたいなあ。
「やった方がいい」「やりたい」にもかかわらず「ついスマホを見ちゃう」のは、
「手の届くところにある娯楽」だからですよね。
お風呂入るのも、刺繍するのも、準備とか段取りとかで、「よっこいしょ」と立ち上がらなければならない。本も手元になければ持ってこないと。
それすらもおっくうになる「夕飯後」だからこそ、パッとスマホを手に取ってしまうのです。
こうしてnoteを書くのも、結構な時間がかかるわけで、
でも文章を作ることは自分のためでもあり楽しみでもあり…
なかなか先は長そうですが、SNSとのいい距離感、そろそろ見つけていきたいのです。