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歴史に埋もれたサッカー少女たち

以前の投稿でも書いたが、スウェーデンのサッカー雑誌『offside』を数年前から定期購読している。つい先日届いた最新号で女子サッカーに関する興味深い記事が掲載されているので、紹介したい。

記事のタイトルは"Möte med framtiden"(将来との出会い)。ライターのサンナ=アーブマン・ハンシン(29)は第2の都市ヨーテボリの地元紙『ヨーテボリ・ポステン』で記者として勤務する傍ら、女子の最下部リーグにあたるディビジョン4(6部に相当)のエーセットBKというクラブでプレーしている。いわゆる草サッカー選手だ。

記事のテーマは「女子サッカー界のコントラスト」とでもいうべきか。ハンシンは、自国の女子サッカーの下部リーグで起きていることについて紹介している。

近年、女子サッカーが欧州を中心に急成長しているのは周知の通り。男子の名門クラブが次々に女子チームを設立し、積極的に投資している。この流れに少し遅れたものの、スウェーデンでもマルメFF(イブラヒモビッチの古巣クラブ)やIFKヨーテボリといった強豪が今シーズンから女子チームを発足。現時点で、男子1部リーグのアルスヴェンスカンに所属する16クラブのうち10クラブが女子の部門を設けている。

ハンシンが所属するオーセットは、今シーズンの開幕戦でヨーテボリと対戦することになった。ヨーテボリは15歳から16歳で構成される若いチームで、英才教育を受けているいわばプロの予備軍だ。関西女子サッカーリーグ2部からスタートしたセレッソ大阪レディースUー15(現セレッソ大阪堺レディース)をイメージするとわかりやすいかもしれない。

当たり前だが、ヨーテボリのように知名度が高くて実力があってもチーム発足1年目からトップリーグでプレーできるわけではない。新しいチームがリーグに参戦する場合は最下部のカテゴリーからスタートして順次勝ち上がっていくのが原則だ。するとどういうことが起きるか。ハンシンのようにサッカーを仕事として考えていない選手と、ヨーテボリのようにプロを夢見る将来有望な選手が試合で顔を合わせることになる。

オーセットがリーグ戦でこれまで対戦してきた相手は、自分たちと同じくサッカーを趣味以上仕事未満と捉えているチームだった。だが今年はそうではない。ハンシンは「プロを目指す若手が突如として最下部のリーグに参戦するなんて、女子サッカー界に一体何が起きているのか?」と急激な変化に驚きを隠せない。

いまは最下部のリーグでプレーしているとはいえ、ハンシンは子どもの頃からボールを蹴ってきた。13歳のときには地区代表チームに選ばれたこともある、優秀なサッカー少女だった。サッカーを何よりも愛していたが、2000年代初頭は女子がサッカーをするのは当たり前ではなかったという。芝のグラウンドを使うのは男子チームが優先されていたため、土のグラウンドを使用することが多かった。近くにチームがなかったために自転車で長い距離を走って練習に通ったという。

ハンシンは14歳のときにサッカーを捨てた。つまり、プロになるという夢を諦めた。当時の同級生もこの頃にスパイクを脱いだ。恋愛やパーティに夢中になったからだろうと親やコーチに言われたが、そうではなかった。女子がサッカーを続けることに将来性を見出せなかったのだという。女子のトップリーグであるダムアルスヴェンスカンがテレビで放送されることはほとんどなく、スポーツショップで展示されていた代表チームのユニフォームにプリントされていた名前はフレドリク・ユングベリやマルクス・アルベックといった男子の選手だった。

いまはどうか。女子がサッカーするのは珍しいことではなくなった。待遇面など課題は残っているとはいえ、プレーする環境も良くなった。昨年のW杯で大きな盛り上がりを見せるなど女子サッカーの認知度が高まったことを喜ぶ一方、ハンシンはいまの若い選手に対して複雑な感情を抱く。ヨーテボリの練習を見学した彼女は、こう記している。

「ヨーテボリの選手を見ていて、嫉妬を感じずにはいられなかった。自分がサッカーに一番熱中していた13歳のときに女子のアカデミーから声がかかっていたら、どうなっていたのだろうか。女子の試合が放送されるのが当たり前で、女子サッカーは趣味を超えたものなんだとわかっていたら」

2011年W杯で優勝したなでしこジャパンのメンバーは、恵まれていたとはいえない環境でもボールを蹴り続けたからこそ栄冠に輝くことができたのだろう。どんな状況でも自分の信念を貫くことができるかどうかが一流とそれ以外の差だ。そういう意味ではハンシンは一流ではなかったのかもしれない。それでも私は、彼女に対して「環境のせいにしている」とはとても思えなかった。スウェーデン、日本、その他の国で、ハンシンのように好きなサッカーを諦めざるを得なかった少女はどれほどいたのだろう(そして、環境が原因でスパイクを脱ぐサッカー少女は今もいるのだろう)。

女子チームを設立したスウェーデンのクラブは、男女平等の観点から高く評価されている。だがハンシンは「(設立に)ここまで時間がかかったことを謝罪すべき」とむしろ批判的だ。次の言葉がとても重い

「多くの世代のサッカー少女が、経験とノウハウを持つクラブでプレーすることができなかった。お金があって長期的な視野を持ったクラブでプレーするという環境を得ることができなかった」

オーセット対ヨーテボリの試合は0-6という一方的な結果に終わった。次々とゴールを決める将来有望なプロ予備軍と、プロを諦めたハンシンらかつてのサッカー少女。あまりの残酷さに、歴史に埋もれた幾多の女子選手のことを思わざるを得なかった。