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高校教員からシステムエンジニアになったので振り返っておく

はじめに

noteには初めて投稿します、エンジニア1年生をやっておりますSawaDです🐘

早いもので2024年がもう終わりますね。
表題の通り,キャリア転向を果たしたこの一年は,特にあっという間だったように思います。
普段,日記など自分の記録は面倒なのでほとんど書かないのですが,さすがに今年については,今頭のなかにあるものを言語化しておいたほうがよかろうと思いました。

実は,振り返り記事の試みは今年何度かトライしているのですが,どうしても着地点を見失ってしまって,書いている途中に読み返して自分でも嫌になってしまうような体たらくになってしまい,投稿を断念しておりました。。。ムズカシイ。。。

ということで今回は,あえて「面接」形式で書いてみることにします。頭の中に自分に都合のよい仮想面接官をたてる感じでいきます。
せっかくインターネットに公開するので,興味のある"質問"のところだけでも,皆さんに読んで頂けたらと思います。

あくまで,面接官は僕にとって都合の良いことしか聞かないので,そのへんはご了承下さい。また,実際の面接でこんなにダラダラと喋ると100%マイナスになると思うので,そのへんもご理解下さい。

それでは始めます。ガラガラガラ(引き戸)

本日はありがとうございます。まずは経歴を簡単に聞かせて下さい。

2018年に教育大学を卒業し,その後,他大学の大学院で,社会心理学を2年間専攻しました。
2020年,ちょうどコロナ流行開始の頃に,私立高校で社会科教員として採用して頂きました。専任教員(正社員)への登用を含め4年間,高校地理を中心に教えました。
2024年3月末で退職し,その後,オンラインスクールを中心とした学習期間と就活期間を経て,8月よりシステムエンジニアとして勤務しています。

異業種からの転職ということで,学習はどのようにしてこられたのでしょうか。

4年間教員を勤めましたが,4年目に入るころ(2023年4月)にはITエンジニアへの道を模索しており,自分なりに学習を始めていました。
プログラミングには多少の経験があったのですが,Webアプリケーション開発全般についてはほぼ0からのスタートでした。

入門者向けの書籍や簡単なハンズオン講座など,時間を見つけて取り組むようにしてきましたが,独学に限界を感じ,きちんと体系的に学べるオンラインスクールを探しました。
結果,オンラインスクールRUNTEQに入学を決め,(2023年)10月から(2024年)6月に卒業認定を取るまで8ヶ月間,こちらのカリキュラムを中心にアプリ開発の実践に取り組みました。

他の生徒さんの中には,既にエンジニアとして働いていらっしゃる方もおられましたが,自分はそもそもITの基本的な知識が不足している気がしたので,2024年2月に基本情報技術者資格(FE)を取得しました。
巷では,ITパスポートや基本情報なんて現場で役に立たない,といった意見も散見されますが,少なくとも自分にとってはとてもよい学習機会だったと感じており,今の現場でも十分役に立っています。
(よく○週間で取得!みたいな記事があったりしますが,個人的には2ヶ月くらいはしっかり勉強するつもりで計画を立てたほうが,初学者にとっては後々よいと思います。)

1年以上前から決意はあったということですが,結果的には無職の期間が生まれてしまった訳ですね?(辛辣)

そうですね。これは自分でも当初は想定していなかったことなのですが,結果的に4ヶ月ほどの無職期間が生まれてしまいました。
理由としては2つあると思っています。

  • 1つは,先のRUNTEQのカリキュラムをやりきってから就職したいと考えていたこと

  • 2つ目は,学校の仕事を,最後まで一生懸命やっていた,に尽きます。

もちろん,無職期間がある方がよい,などとは思っていませんが,上記理由から今はこの経歴を肯定的に捉えています。

それぞれについて,詳しく教えて下さい。まず、スクールを卒業してから就職したいと考えた理由は?

RUNTEQさんのカリキュラムは非常にボリューム感のあるものになっていて,様々なジャンルの座学や,開発実践だけで優に500〜600時間が想定されています。
さらに,それとは別に,卒業制作として自分のオリジナルのアプリケーションを開発し,それをリリースできる状態になって初めて,卒業認定がもらえます。

入学する前からある程度の勉強はしていたとはいえ,実際に始めてみるとクリアできないことの連続でした。開発とはいかに,トライアンドエラーを繰り返すことか,とこの時強く感じました。

しかし,「個人開発でオリジナルのWebアプリケーションを完成させる」,ということは,こういった様々なトライアンドエラーを積み上げてきたことの一定の証明になるだろうとも感じていたので,卒業認定をとってから就活することには,こだわることにしました。
その結果,どうしても退職の3月末までに間に合わせることが難しくなってしまい,悩みながらも,職歴に空白期間をつくる選択をとることにしました。
(学校の特性からして,年度の半ばに退職することは自分にも周りにも良くないと思い,3月末の退職は動かしませんでした。)

この決断は,結果的に正しかったと思っています。
やはり,実際にオリジナルのアプリを作ってみることで,Web開発全体に関する解像度が格段に上がりました。
例えば認証・認可がどういう仕組みで担保されているとか,環境構築や使用技術の選定をどのような基準で行っていくか,などです。
「プログラミングが多少できる」レベルの頃と比べて,視点や視座が明らかに変わったと思います。

開発したアプリは,スクール内のコンテスト(BATTLE OF RUNTEQ Vol.5)に応募し,TOP5 &「オリジナリティ賞」をいただくこともできたので,就活期間中も自信をもって臨むことができました。

↓こちら,「雨温図」を自由に簡単に作ることのできる,地理の先生向けのWebアプリです。

応募したコンテストはこちらです。コミュニティの皆さん、応援ありがとうございました。


では,2つ目の,一生懸命やった学校業務について聞かせて下さい。

※ 長いです。

先生といっても色々な形がありますし,優劣をつけるわけでは決してないことが大前提ですが,私は2年目から専任教員(正社員)に登用されたので,学内の業務には相応な責任がありました。

特に3年目以降,高校地理が全員必修に変わったことから,これまで一部の生徒が "受験科目のひとつとして" 学んでいた側面が強かった科目に,「全ての高校生の"教養"として,地理の何をどう教えるか」という価値観を加えていく難しいミッションがありました。

地理の専任教員は学校規模の比でみて非常に少なく(1つの学年に17〜18クラスほどある大きな学校でしたが、地理専門は私含め3名でした。)、3年目にして私がその主軸として動くことになりました。これが中々大変なことの繰り返しで,経験の浅い私には特に常に新たな問題に直面するような日々でした。

一部の生徒は「え,高校でも地理やるの!?」という状態だし,全員必修化に伴って教員側も全く不足していましたので,非常勤の先生の中には「え!?私が地理も教えるんですか?」という方がチームにいらっしゃるような状態です。

それでも学ぶのは生徒自身ですし,授業はそのクラスの担当の先生のものなので,そこを尊重せずしてよい授業はあり得ません。

全体の目線合わせだけは、ロードマップの全体像を把握している私が死守して,あとは出来るだけ先生方にお任せしました。
ただし,テストで生徒に不意打ちを喰らわせる,つまり「こんな問題教わってないぞ!」ということだけは避けなくてはいけなかったので,演習用のプリントなど共通化できる部分は私がベースを作り,先生方に取り入れてもらうようお願いしました。

先に紹介した「雨温図」を作るオリジナルアプリも,そのような過程の中で私がExcelで開発したツールがベースになっています。

経験の浅い私にできたことは限られていたかもしれませんが,むしろ,そういった限界を念頭に置きつつ,リーダーとしてカリキュラム再編に尽力できたことは,非常に良い経験でした。
当然ですが,舵を切っていくために,高校地理については自分自身めちゃくちゃに勉強しました。退職した今でも,相当の知識が頭に残っているので,だいたいのテーマには雑談を展開できるのがちょっとした自慢です。

こういった科目の軸としての責任が求められた他にも,私立高校ならではの業務,例えば入試問題の作成や人事採用,広報業務など,多岐にわたって関わることができたのは,有り難い経験だっと感じています。

ただ,相応に残業・休日出勤も多かったので,その分転職活動の準備は遅れてしまったと思います。


また,もう一つ頑張ったと言えることとしては,プログラミングを活用した業務効率化です。

大学院での経験が活き,プログラミングやデータを扱う業務については他の先生方よりも長けていましたので,GoogleスプレッドシートやGoogle App Script(GAS)を使って,自分のできるところからどんどん業務効率化していきました。

一定の先生方に実力を認めて頂いたところで,学校全体の成績登録システムの改革に乗り出しました。

「生徒一人一人により添った学びと評価の時代へ」,と大々的なスローガンが文科省などから掲げられている一方,少なくとも私のいた学校では,そういった生徒の個別事情をシステムとして成績処理することが,現場レベルではほとんどできていませんでした。

  • 定めたルール(学内規定)がしょっちゅう変わる

  • 最新のルールを理解できている人が少ない

  • ルールが複雑すぎて処理しきれない

  • 必要な情報の連携が上手くいっていない

こういった諸問題のために,理念と実体の大きな乖離があり,先生方は不安を抱きながら電卓を叩いている状況でした。
もちろん,実際に計算もデータソースも間違いだらけで,成績締め日は夜遅くまで,成績処理担当の私たちが奔走するのが恒例となっていました。

ルールそのものをシンプルにすることは私には当然できないので,成績処理を「正しく」行うことができる環境とツールの開発に,こつこつと2年ほどを費やしました。
最終的に1つのシステムとしてリリースし,たとえ週に1日だけ授業に来られている先生でも,安心して成績を算出してもらえるように整備しました。

これは色々な先生方から大変感謝され,私がエンジニアへの転向を固めた心の支えの1つになっています。

その,学校教員からエンジニアへ転職を決意した理由について,詳しく聞かせて下さい。

ズバリ,学校を「良くしていきたい」という目標のための選択の結果です。
先ほどの話の続きで,お話しします。

その成績登録システムは,プレリリース期間は自分の所属していた学年だけで運用していたのですが,私のスキルを買ってくださっていた先輩のご協力もあり,学内でシステムが広まっていくのに,さほど時間を要しませんでした。

ところが,ここからが難しいところで,「学校全体として今後このシステムを使っていきましょう!」とは,ならなかったんですね。
もちろん,プレリリース期間中から,管理職には何度も相談に行きました。「現状,ルールが複雑すぎてこれこれこういう問題があり,自分のこのシステムはこういう形で問題をクリアできているので,次年度から本格導入したい」と。

しかし,学校として(管理職として)は,「成績を算出するのに,この新しいやつを使って下さい,ということはできない」ということでした。

これはバグなどのリスク云々の話ではありません。
管理職の意見を要約すると,

「複雑なルールはあるが,あくまでそれは"枠"を定めているものであって,成績の"算出"の責任権限はあくまで担当教員にある。よってデータソースから自動的に点数が算出されるその新しいツールが,いかにルールの枠内で"正しい"値を弾き出すものであったとしても,上からこれを使ってくれ,ということはできない。」

ということでした。
やや強引な要約をすれば,「ルールはある。しかし手段の強制はできない。」ということです。
今でこそ,言語化することができますが,当時はこの管理職の(ならではの?)立場や意見を理解することがとても難しく,平行線な議論を繰り返すことになりました。

「全員が"正しい"成績処理を行うこと」を「目的」とした,私のシステムは,その目的をきちんと達成しています。
しかし,管理職の気にするところは,また別のところにあった訳です。

その一方で,管理職の気にするところを現場は全然気にしていない。
とにかく,正しい値が分からない,評価を出したくても出せない、ことに困っている訳で,現実は非常にちぐはぐでした。

結局,新システムがデファクトスタンダードとなることに対しては管理職としては何も言わない,という形で決着をつけ,私の知る限りでは今もその形で運用が続いているはずです。

もしかすると,いまいちピンと来ない方が,おられるかもしれません。
しかし,善とか悪とかではなく,これが学校現場の現実をよく象徴する問題であったと,非常に印象的な経験として残っています。

なぜこの話を長々としているかというと,私自身がこの経験を,エンジニアに転向する原点においておきたいと考えているからです。
結局のところ,私が取り組んだこの仕事によって,「学校が良くなった」と言い切れる自信がありません。なぜ自信が持てないのかさえ,未だによくわかっていません。(アドバイスをくださる方がいるなら,頂きたいぐらいです)
とにかく,学校という現場に「システム」を導入することの難しさやジレンマを,肌で感じた経験でした。

私は今後,エンジニアとして経験を積み,こういった現場でも着実に「善」を生み出せる人になりたいと,思っています。

戒めのためにもう一度宣言しておきますが,私がエンジニアへの転向を決意したのは,学校現場を「良くする」ために悩み抜いた結果でしかありません。

生徒も他の先生方も,授業をしている自分自身のことも好きでしたから,未練は少なからずあります。
現場をよくしたいのだから,最前線にいるべきだろうという考えも正しいと思います。

それでも,あの組織の中でもがき続けるだけでは,胸を張って「善」と言えるシステムやツールを提供することは,最後までできないと思いました。
技術も知識も限られた井の中で,天井を突破するだけのリソースも,現場にはありませんでした。
そもそも,「システムを開発する」ということがどういうことなのかも,私を含めて誰もよくわかっていませんでした。
よくよく考えれば当たり前です。学校なのですから。

気付いた人,やりたい人がアクションを起こすべきです。そう思って,エンジニアとして修行する道を選びました。

今の会社ではどんな仕事をしていますか?また,就職を決めた理由は?

いわゆるSIerとよばれる業種で,システムの新規構築,老朽更新,クラウド移管,業務効率化アプリケーションの導入など,様々な案件を手広く行っています。私もまだ半年たっていないので,事業の全体像はよく分かりません(笑)

自分の所属がGoogle Cloudを強みにしているチームで,入社直後はその資格取得を中心に,クラウドサービスの基本を勉強する毎日でした。
(Google Cloud Associate Coud Engineer という資格を無事に取ることができ,今は上位資格取得に向けて勉強中です)

ここで,先に述べた基本情報技術者試験の知識が少なからず役立ったなと感じています。

その後,既に始まっていたプロジェクトにアサインしてもらい,サブシステムに切り出した部分をまるっと担当しています。
お客様との打ち合わせもしょっちゅうあり,資料の作成やプレゼン,ヒアリングも業務の中心なので,ここでは少なからず教員の経験が活きているように感じて嬉しいです。
開発面では,今のところクラウドの知識はそこまで必要なく,正しくデータ処理ができるようにせかせかとTypeScriptを組むような内容なので,来年はもっと様々な事業に関われるよう自学自習を怠らずにいきたいなと思っています。

会社を選んだ決め手の1つは,私の教員としての経歴や,先に書いた学校で自分なりに奮闘してきたエピソードを,高く評価して下さったことでした。
アプリケーション開発の知識も最低限,身につけてきたつもりではありましたが,やはり実際に面接して頂いて嬉しかったのは,経歴や経験について深く聞いてもらえたことでした。

また,開発の中でも,自分が「設計」パートが特に面白いと感じていたことに気づいたのもこの頃で,そこがマッチしたことも大きかったです。

インフラの構成やDB・テーブルなどの設計によって,いかに効率よく堅牢なデータの流れを作り出すことができるかで,その上に建てるアプリケーションの開発体験や,機能の拡張性がまるで変わってくる。
めちゃくちゃ面白いし,人間ならではの仕事だな〜と思っていたところで,今の会社から正式に内定をいただくことができたので,何かのご縁と思い決意しました。

開発に対してこういった「設計者」の視点を持つことができるようになったのも,実際に自分でアプリケーションを作ってみたからこそだと思いますし,RUNTEQの生徒同士でお互いのアプリについていろいろと議論を交わす土壌があったことで,気づけた部分が大きいと感じています。

今の仕事から,学んだことがあれば教えて下さい

ここは端的にいきたいと思います。

1つは,「現実が複雑なままシステム化したところで,現実が単純になることはまずない」ということです。
お客様が現実の業務の運用に困っているとして,お客様の要求をそのままシステム化,アプリケーション化した結果は,おそらく大抵がお客様の望んでいないアウトプットです。
知識もスキルも足りていない今の私にはまだできませんが,システムエンジニアとして一流になるためには,ときにお客様の「現実」や「要求」の側を先ず見直すよう勧めることが必要です。
めちゃくちゃ信頼関係が大事ですよね。頑張っていきたいです。

2つ目は,「上司(マネージャー)として求められるスキルは,頭の中の整理整頓と判断のスピード感」です。
とにかく判断が早いです。し,常に残タスクを減らすために走り回っておられるイメージです。テキパキとタスクを片付けるために,頭の中は常に整理されている印象があり,片付けの苦手な自分は「ちょっと意識的に良くしていかないとマズイかも…」と思わされました。
また,学校でも尊敬できる上司(学年主任など)がたくさんいましたが,その方々と共通しているのは「初動のタイミングを間違わない」ことだなと思います。あまり抽象的な言葉は好きではないですが,こればかりはどの業界でも「経験と勘」なんだろうと思います。

転職の他に,2024年,心に残る出来事はありましたか?

ちょうど無職だった今年5月に結婚しました。妻には感謝しています。

プロポーズしてきた奴が来月から無職で自分のワンルームに転がり込んでくるなんて,よく受け入れてくれたなと思います。

2025年と今後の目標は?

当たり前なのはわかっているのですが,職場で周りとの知識の差があまりに大きいです。
同世代だけでなく,年下でも若い方々がめちゃくちゃ経験豊富で優秀で,環境には大変恵まれています。
クラウド以前に,そもそもネットワークやデータベース構築の実践的なトレーニングが不足しているように思うので,資格取得を宣言するなど自分を縛りつつ,着実にレベルアップしていきたいです。
「まずはDBの資格1本とGoogle Cloudのアーキテクチャ資格をとります…!」


また,せっかくWebアプリケーションの開発を一通り経験してきたにも関わらず,スクール卒業後はなかなか開発に取り組むことができていませんでした。
最近,思い切ってアプリのアイデア一貫でRUNTEQコミュニティに呼びかけをしたところ,有り難いことにお返事を頂き,密かに開発を進めています…!
こちらは何とかリリースして,自分の自信にもつなげていきたいです。


おわりに

ここまで自分の頭の中を,言語化したことも他人に見ていただくこともほとんどありませんでした。
どんな風に思われるかと不安がないわけではないですが,今後の自分のためにも2024年末の,今の自分の正直なところを書いたつもりです。

もしかしたら,2049年くらいの自分が読んで頭を抱えているかもしれませんが,それはそれで自分が選んだことなので,受け入れてもらいたいと思います🐘

いつも仲良くして下さっている皆様,ありがとうございます。
特にRUNTEQには,入学して本当に良かったです。これからもよろしくお願いします!!
もし興味を持って頂いた方,いらっしゃればぜひまた声かけてやって下さい🙏

では少し早いですが,良いお年を!
来年も頑張りましょう!



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