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『ゴジラ-1.0』について01 山崎監督がやろうとしたこと

 『ゴジラ-1.0』について思ったところを書く。すべて私見だ。私は普通に生活する中で自然と耳に入って来る程度以上のゴジラ-1.0論というものを知らない。だからもしかするとここに書くことをすでに誰かが書いている・言っているかもしれない。その点は気にしないでほしい。

 初回は、山崎監督が、この映画で何をしたかったのか… ということについて少し触れる。

 山崎監督がやろうとしたことは、いわゆる「ゴジラ映画」を作ることではない。「ゴジラ」というフォーマットを借りて、全く別の、もっと大きな目的を果たそうとしたのである。私はそれに気づいた。とてつもない野望だと思った。力加減を間違えるととんでもないことになる博打だと思った。そうしてこの目的は、その性質上、大勢の人に知られてはならないものであると同時に、人に知られないと意味のないものだ。この矛盾に満ちた野望を果たすためには、沈黙とミスリードが山崎監督には必要だった。成功した場合の栄光は極めて大きいはずであるが、監督はオスカー賞程度で我慢する以外に採り得る道はなかった。

 私も気をつけて書くことにする。まぁ、公開から大分時間が経ち、ブームもすでに終わった。それにこんな無名の者のつぶやき程度なら問題はなかろう。ひっそりと書こうと思う。

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