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『ゴジラ-1.0』について04 「ゴジラ」が意味するもの

 さて、もう十分だろう。そろそろ本題に入っていこう。

 02で書いたが、この作品は様々な物事に二重の意味が込められている。表の意味だけを追っても十分に深く味わえる作品になってはいるが、山崎監督がやろうとしたことは、その表の意味で十分に作品として成立させた上で裏の意味を主張することだ。今回からは、何にどういう裏の意味が付加されているのかを見て行こうと思う。

 最初は「ゴジラ」本体について。これは比較的簡単だ。
 まず、ゴジラは暴力の象徴だ。ゴジラは圧倒的な暴力の象徴だ。ゆえに今作の時代設定を考えればゴジラは戦争の象徴だ。主人公との関係を考えるとゴジラは終わら(れ)ない戦争の象徴だ。ゴジラは「放射能」を吐き核爆発を起こせるのだから、核兵器の象徴だ。(「放射能」を吐く時に背中が青白く光るのはチェレンコフ光だという岡田斗司夫さんの説を私も支持する。)そして日本をめちゃくちゃにし、実際に核爆発を起こしているのだからゴジラは核兵器を使用したことのある某国の象徴だ。ゴジラは独特のやり切れない叫び声をあげるから、戦争の不条理や痛憤の象徴であり戦争の悲惨さの象徴だ。ゴジラは自ら進んで「ゴジラ」になった訳ではないのだから、戦争で不本意な死を遂げた兵士達の象徴だ。総じて言えば、ゴジラは不幸の象徴だ。

 掛け言葉どころの騒ぎではない。今作のゴジラはコレらのものをそのなで肩に担わされている。ゴジラは戦争に関連するあらゆる負の象徴である。ゆえに、ゴジラを象徴的にあらわすものこそ「-1」なのである。まずはここが一丁目一番地だ。


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