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隣の海は青く見える島コンプレックスが再燃した話

内陸に生を授かった者の憧れの対象。それは、海だ。島国、日本に生まれたにも関わらず、その島国たらしめる重要な要素、海を身近に味わえないことに落胆したことのある人も多いだろう。そして、島国の中ににある、更なる島に対しては、嫉妬すら覚えるのだ。

少し、高台に登れば、見渡す限り、そこは海。どうぶつの森の中でしか見たことのない、ファンタジーな世界がそこには広がっている。

だが、内陸はどうだろう。少し高台に登ってみても、目の前には更なる山だ。山の向こうには山で、そのまた向こうも山なのだ。そこにある、山々の高い壁に囲まれている自分に絶望する。これが社会の厳しさなのか、と。

幼い頃に、僕はキャンプをするために、佐渡島に渡ったことがある。船旅とは、わくわく感を増長させるものがあった。RPGで初めて船を手に入れた時の高揚感や、大人気作品「ONE PICE」さながらの航海気分を胸に大海原に飛ぶ出すさまは、まさに、主人公以外の何者でもない。

そして、現地に着くと、テントを張れそうな場所を探すという、サブミッションが始まる。海辺の見晴らしのいい場所を見つけた僕らは、ここをキャンプ地とした。テントを張り終わる頃には、太陽が沈みかけていた

太陽っていうのは山のような遮蔽物の向こう側に隠れて、夜というもの訪れるものだと思っていた僕は、初めて、太陽って沈むんだなぁと、鮮やかな夕日に心を奪われていた。景色の美しさ、を実感した忘れられない経験だ。

これが、僕の島の原体験である。あの日の景色に心を奪われてから、島コンプレックスがひどい。なぜ、今この島コンプレックスが再燃したかというと、辻村深月著『島はぼくらと』を読んでしまったからだ。

島育ちの子どもたちの青春を軸に、島の生活感やコミュニティデザイナーという特異な職があることを学べる作品となっている。   

いろんな意味で、青い作品だ。もしかしたら、美化されているかもしれない。だとしたら辻村さんも島コンプレックスを抱えてるいいやつだ。

隣の海は青く見えるいい作品だったので、島の生活に興味のある人は、ぜひ読んでほしい。住んでみたいなぁとなること請け合いだ。

ただ、僕はamazon信者であるから、住むのはちょっと躊躇うのだが。



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