VR健常者#2 「"オトナ"になるということ」 前編

これは僕がインターネット上で健常者として過ごしてきた日々を綴るマガジンだ。まずは、軽く自己紹介をさせていただきたい。

現在、脊髄性筋萎縮症という難病を抱えており、食事や排せつ時以外はほぼ寝たきりの生活を送っている。いわゆる、身体障害者だ。こうして、文字を打ち込んでいる今も寝たままだ。テクノロジーの進化に伴い、寝たままでも出来ることが増えた。なかでも、電子書籍の普及は、紙の本のページをめくれない僕にとって大変ありがたいものであった。
そして、外に出なくとも自分を発信できることが何よりも大きい時代の進化だ。外に出なくとも、人とのコミュニケーションを図れる喜びは、筆舌に尽くしがたいものがあった。
そんな僕が、あえてリアルの生活とは乖離して健常者として過ごしたネットライフをここでは紹介していきたい。

高校一年生の時に、インターネットでの生活を覚えた僕は、学校から帰宅すると、そそくさとパソコンをする日々が増えた。
この時、僕が一心不乱にやっていたゲームは、ライブドアゲームの中にある、9ボールというゲームだ(ビリアードのゲーム)。ライブドアゲームの中には、いくつかのゲームがコンテンツの中に用意されていたが、とりわけ僕は9ボールを気に入っていた。

その理由はチャットでのコミュニケーションが取りやすいところにある。ライブドアゲームの中には、将棋や大富豪や麻雀といったボードゲームが多く用意されていた。それらのほとんどのゲームは、考える時間が多かったり、早く自分のターンが回ってきたりして、会話をする余裕がなかった。

その点、9ボールというのは、ルールの性質上、相手のターンが長い上に、ボールが転がるさまを見ている時間もある。つまり、ボーっと見ている時間が長いのだ。

タイピングの遅い僕にとっては、これは有難いことだった。僕の目的は、ゲームを楽しむことというより、人とのコミュニケーションを取ることにあるからだ。ゲームはタイピングの遅い僕の間を埋める、言わば、BGMみたいなものだった。

僕がコミュニケーションに強いこだわりを感じていたのは、日常の鬱憤を晴らしたいということに他ならない。高校時代の僕のリアル(インターネットのなか以外での私生活)というのは、つまらないものであった。

高校時代の学校での生活は、授業→休憩→授業→休憩の繰り返しであった。僕の通う高校に休憩用の自室を設けていただいていたので、休み時間は、ほとんど自室にあるベッドに横たわっていた。
僕は車椅子で生活していた。座位状態を長い時間続けると、体に痛みを感じることから仕方なく自室に籠ったものであり、教室に居にくいというわけではなかった。

同級生のみんなと接する時間は、授業中にしかなく、授業中に雑談をするわけにもいかない。高校入学時から換算して仲を深める時間の差(同級生として共有すべき時間)が徐々に広まり、クラスの温度感と僕の肌で感じる温度感は次第にズレていった。水の通り路が自然と川になるように、同級生との壁も自然と出来た。

なぜ、このズレを感じるようになったのか。

保育園から始まり、小中高大といわゆる普通校に通っていた。当時は、特別支援学級というものはなく、養護学校(特別支援学校)か普通校かの二択の中で、僕は普通校へ進学した。

中学までの僕の存在というものは当たり前の一部として構成されていたと思う。クラスに30人程度の人がいて、担任がいて、黒板がある。その中の一部であったことは、今をもってしても疑いない事実に思う。

子供というのはときに残酷なほど素直である。
保育園に通いたての頃はよくこんな質問をされた。
「なんで、スワくんは歩けないの?」
すかさず、足が悪いからだよと保育園の先生は笑顔で言う。この時の先生の笑顔には物心つきたての僕にも違和感を感じていた。
笑ってるのに、なにか笑ってないこの変な感じなんなんだろう。

小学校に入学して、新たに友達が増える。
「起立、気をつけ、礼」
なんてことはない挨拶だ。友達は冗談のつもりで僕に言った。
「スワくん、立ちなよ」
何気ない、俗にいうイジリだ。文字面で見ると悪意を感じるかもしれないが、友達だからこそ言えるブラックすぎるジョークだ。
僕自身イヤな思いは何もしてないし、無理だよ!って笑いながら応えるつもりであったと思う。
ただ、その様子を見ていた担任が鬼の形相でこちらに歩み寄り、立ちなよと言った友達を張り飛ばした。
小学一年生の教室とは思えない唖然とした空気がたち込めた。
もちろん、僕もポカーンとしたし、張り飛ばされた友達に対して何とも言えない罪悪感が沸いてしまった。

当時(5~8歳くらいにかけて)の僕は、ひどく人見知りであった(今も人見知りであるが当時に比べるとましにはなった)。保育園のときには、先生と口をきくことをひどく拒んでいた。
「友達とは仲良く楽しそうに話すのに、私たちとは話してくれないんです」と、面談の際、僕の母親は保育園の先生に言われたらしい。
これは先生の勘違いではない。僕は"オトナ"と話すことが嫌だったのだ。

後編へ


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