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労働力とは商品である

「「賃金を引き下げると雇用が創出される」という嘘 日本人は「上がらない給料」の弊害をわかってない」
(東洋経済/フアン・トーレス・ロペス)


 どうやら、引用した記事は5回に分けて連載される様だが、そんな事はどうでも良い。私が読んだのは3回目らしいが、これだけで読む価値の無い駄文だと判断するに十分である。

 労働力というのは商品である。
 これは原理原則の話であり、どの様な理由を挙げて「受け入れ難い」と叫んでも、事実が変わる事は無い。
 引用した記事から抜粋してみる。

第1に、労働市場でやりとりされる「商品」は「労働力」であり、人間のさまざまな状況にかかわっていて、どう考えても商品と呼ぶことはできない。人間は利益を生むために生産されたものではない。また、労働にかかわる状況も倫理的原則から逸脱したものであってはならないため、労働力を買った者が労働者を「消費」したり、好きなように使ったりすることは許されない。

出典:フアンとかいう奴隷制大好きジジイの戯言より

 人間が利益を生まなくて、どの様にして生きろというのか。
 人はボーッと突っ立っているだけでは、生きる糧を得る事は出来ない。生きる糧とは、利益である。
 利益を得るにあたり人は何らかの労働を行う訳であるが、特段の身体的・精神的障害が無い限り、誰もが持っている商品こそ「労働力」である。
 人は自身が提供できる「労働力」という商品を以って利益を生み出し、生きる糧を得るのである。
 先ず、これが大前提である。いくら富士山頂から大声で「違う!」と叫ぼうが、「労働力」が商品であるという事実は微塵も動かない。

 抜粋した部分で、「人間は利益を生むために生産されたものではない」とあるが、これは論点の摺り替えである。人は生きる為に利益を生むのであり、別に奴隷制度みたいな話では無い。
 「労働にかかわる状況も倫理的原則から逸脱したものであってはならないため、労働力を買った者が労働者を「消費」したり、好きなように使ったりすることは許されない。」という部分。これも矢張り論点の摺り替えである。
 「労働力」が商品である以上、そこに発生するのは奴隷制度的な薄汚いものでは無く、商品を提供する側と提供される側で交わされる契約のみである。何でいきなり「労働力」では無くて「労働者」を消費するなどと言う話になるのか。
 このフアンとかいう輩は、何かに付けて労働市場の原理を奴隷制に置き替えようとしているが、妄言も大概にしなければならない。

第2に、たとえ労働力を「商品」の1つとみなしたとしても、その価格は単純に需要と供給の関係から決定することはできない。あらゆる財において需要と供給の関係には理論上の限界がある。

出典:フアンとかいう妄想ジジイの戯言より

 たとえだろうが何だろうが、商品の価格とは余計な介入をしない限り、需要と供給の関係から決定されるものである。
 抜粋した一文で言う「商品」が、労働力まで含んだものなのかどうか知らないが、ジジイがみなそうがみなすまいが、労働力が商品であるという事実の前に、この様な言葉遊びは無駄である。

 ところで、「あらゆる財において需要と供給の関係には理論上の限界がある。」という部分も妄想である。
 この妄想について、引用した記事では言い訳すらしていないので勝手に書くが、需要供給曲線に「限界」という概念は当て嵌まらない。
 見出し画像に使用したものが需要供給曲線であり、ここでは供給量が減った場合の作用を表現しているが、限界とかいう謎の領域に突入する前に、いや、突入する素振りすら無く、あらゆる商品の需要量と供給量は価格という要素が緩衝材となり、その時々であるべき点に収斂する。
 (この原理が機能しなくなる事がある。その代表的な事例こそ、政府の介入である。)

しかし、ここではそれ以上に大きな限界が存在する。つまり、労働力の供給の変動によって賃金(価格)が上がったり下がったりすると、所得の分配にも明らかな影響を与え、それは他の財の需要や価格、ひいては労働力の需要にも影響を与える。

出典:フアンとかいう勘違い全開ジジイの戯言より

 労働力とは商品である。
 また、労働には様々な形態がある。
 工場で製造業に携わる事、飲食店で調理や接客をする事、企業に雇われて事務職や設計業務に携わる事、フリーランスでプログラミングを請け負う事、農業を営む事、警察になり治安維持に励む事、軍人になって国防に従事する事、YouTuber になってエンターテイメントを提供する事、企業を立ち上げる事、etc.
 これら全てを出来る人は地球上に何人も居ないだろうが、数多ある労働の内、たった一つしか出来ないという人ばかりかと言うとそうでは無い。本人の拘りを脇に置けば、やろうと思えば複数出来る人の方が多いだろう。

 抜粋した部分が勘違い全開なのは、労働力の価格が上がったり下がったりする事で、その労働力の供給量も上がったり下がったりするという前提を踏まえていないという事である。
 例えば、日本に3000万人の調理師希望且つ調理の技能を持った人が居たとして、全員を調理師として自活出来るような給料で雇えるだろうか。どう考えても不可能である。
 そうすると、「オレの調理技能は優れているから、調理師希望者が何千万人に膨れ上がろうが関係無い」という者も居れば、「調理師続けたいけど給料安いし別の仕事をするか」という風になる者も居る。
 結果、調理師という労働力=商品の供給量が程良いところで落ち着く。
 限界とかいう謎の領域に突入する心配など、するだけ無駄である。

 ところで、「所得の分配に明らかな影響」などと放り込んで来ているが、冷静に考えて「分配」などという共産主義的な要素は無関係である。
 この事から、このフアンとかいうジジイが左翼のロクデナシという事が分かる。

賃金が上がれば、財とサービスの需要は高まる。そうなったときにはじめて企業は、技術革新に投資するインセンティブを持てるのだ。

出典:フアンとかいう左翼ジジイの戯言より

 企業が何のアテも無しに賃金を上げればどうなるか。
 企業は賃金を上げた分だけ利益を出せなくなる。仕方なしに企業が社会に提供している製品やサービスの価格を上げれば、それを見た消費者はその商品やサービスの購入を控えるようになる。
 ただそれだけである。

 政府が最低賃金なるモノを定め、賃金を高止まりさせるとどうなるか。
 企業は賃金が上がった分だけ利益を出せなくなる。仕方なしに企業が社会に提供している製品やサービスの価格を上げれば、それを見た消費者はその商品やサービスの購入を控えるようになる。
 ただそれだけである。

 このジジイは、賃金を上げる事で労働者のモチベーションが高くなって生産性が向上してハッピーなどと考えているようだが、ハッピーなのはお前の頭の中だけにしておけと思う。

 賃金の上昇は、企業が展開する事業が成功してから為されるものである。
 事業の成否を無視して賃金など上げたら、それは単なる無謀に過ぎない。


※補足①

 「ジジイ」「ジジイ」と連呼しているが、実際のところフアン・トーレス・ロペスという人物がジジイと呼ぶような年齢なのか、私は知らない。
 しかし、それはどうでも良い事である。

※補足②

 因みに、事業の成否に関係無く賃金を下げるのは、単に労働者が提供してくれる「労働力」という商品の価値を蔑ろにするだけの行為である。
 その様な企業は早晩廃れる筈である。

※補足③

 廃れる筈であるが、それを廃れさせないのもまた、政府による介入である。

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