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まともな法改正 電動キックボード免許不要
「このままだと危ない!! もはや無法地帯……国が電動キックボードを許可した理由が衝撃」
(ベストカー/国沢光宏)
日本において、メディアの劣化は深刻である
ここで言う「劣化」とはどの様になる事を言うか。
1.保守では無くなる
2.資本主義の本質を忘れる
3.自己責任の意味を忘れる
4.安易に規制を求める
5.人権を履き違える
6.道徳を軽んじる
7.宗教の存在意義を勘違いする
大体こんなところだろう。
どの様なメディアが該当するかと言えば、朝日、毎日、読売、日経、NHK、共同通信など、殆ど全ての報道機関である。
この様なメディアを「バカメディア」という。「左翼メディア」という場合もある。報道内容にある種の具体性が窺える場合は、「反日メディア」という具合に少し絞った表現を使っても良い。
さて、これは何も大手メディアだけを対象としたものでは無い。何かしらの専門メディアにも「バカメディア」は存在する。
引用した記事を掲載したベストカーは、自動車専門メディアという分野においての「バカメディア」である。
引用した記事では、電動キックボードの規制「緩和」を批判しているが、笑止千万である。
法や規制というのは、少なければ少ない程良い。無くす事が出来るなら、是非そうした方が良い。
法や規制の存在を許容して良いのは、社会の自由を守る上で、あった方が有利な場合に限定されなければならない。
無法地帯などと騒いでいるが、無法地帯というのは法や規制が無い状態を言うのでは無い。法や規制があっても、それが有名無実化している状態を言う。
引用した記事で、「自転車すら取り締まれない警察」という様な一文があるが、ヘルメットの事を言っているのなら、あくまで「推奨」しかしていないものを、どの様にして取り締れというのだろうか。
「危険だから」という理由で作られた法や規制は無数にあるが、その多くに対して存在意義を疑わなければならない。
何故なら、その多くは無駄である可能性が高く、法や規制というのは税金以上に、国民全体の可処分所得を減らす要因になるからである。
「危険なものは、国民が危険に晒されない様に規制すべきでは無いか?」
この様に考える者を「愚民」と言う。
何故か。
本投稿は電動キックボードに関する記事を題材にしているので、電動キックボードに限定して解説してみよう。
批判例.1
そもそも操縦安定性が徹底的に悪い。広くて平坦なコンディションのいい路面状況で走らせると間違いなく「こりゃ楽しい。凄くいいね!」になる。保証を付けたいくらい爽快です!
けれどハンドリングは超シビア。自転車なら余裕でクリアできるような幅の一本橋や、自転車だと問題なく通過できる間隔のスラロームをやらせたら、相当乗り慣れている人だって難しい。
電動キックボードの外観から、「不安定だろうな」「ハンドリングはシビアだろうな」と想像する者を、常識人という。
事故を起こしてから、「不安定だと説明が無かった」「ハンドリングがシビア過ぎる」と文句を垂れる者を、愚図という。
そして、「不安定だから規制しろ」「ハンドリングがシビアだから免許制にしろ」と叫ぶのが、バカだったり左翼だったり全体主義者であるといった、蛮人である。
電動キックボードが危ないなら、自転車だって十分に危ない。
自転車の方が安定しているかも知れないが、サドルに座っている訳で、咄嗟に飛び降りるのは容易で無い。その点は電動キックボードの方が有利な様に思える。
という様に、「危険」というのは重箱の隅をつつく様にすれば、幾らでも絞り出せる。
そうまでして規制なんぞしていたら、この世は奇声(「規制」の誤変換だが、敢えて訂正しない)で雁字搦めである。
多くの人が、子供の頃に親から自転車の乗り方を指導されたであろう。あの様な体験を経て、乗り物の特性と危険性、扱える様になった事で得られる利便性を学ぶのである。
その様にして身に付ける「常識」があれば、少なくとも電動キックボードに関する今回の法改正は、妥当な決定と言える。
批判例.2
決定的なのは外乱に弱いこと。タイヤ直径が小さいため、路面の凸凹に対し極めて敏感。
5インチタイヤを履いている電動キックボードにも試乗したけれど、20km/h出して2cmくらいの段差に斜めから入ると運よくて危険なくらいフラれ、普通なら乗り越えられずコケます。
コケた側が車道でありトラックとか走っていたら「ペシャ!」で人生終了になってしまう。
もし電動キックボードについて、この様に言っている者が居たら、タレントの出川哲朗さんがやる様な感じで、指で自分の頭をコンコンと叩きながら、「オマエは、バ!カ!か!!!?」とでも言ってやれば良い。
電動キックボードの外観から、2 cm もある段差に斜めから入ったら危ないというのは、前項で挙げた常識の範疇である。
大体、これは自転車でも同じ事だろう。2 cm の段差に斜めから入って安全な自転車があれば、是非見てみたいものである。
ところで、段差で転んだ際に車道側だったらトラックに「ペシャ!」で人生終了するか。
可能性は極めて低いと思える。
普通、段差で転ぶのは車道から歩道に上がる場合で、転ぶ時はタイヤが車道側に滑り、身体は歩道側に投げ出される。
批判の為に批判を行う連中は、この様な常識すら身に付いていないという事で、書かせて頂いた。
電動キックボードが凹凸だらけの荒れた路面を走行するのに不向きである事は、常識的な思考回路を持っている人なら誰でも分かる。
敢えて不向きな条件で運用するバカの為に、わざわざ規制を布く。こういうのを「不毛」という。
安全は全てに優先すべきという意見がある。
確かに、安全性の確保は重要である。だが、ありとあらゆる条件を全て蹴散らし、「一切の危険を排除しなければならない」というのは正しいと言えるか。
例えば、3列シートの乗用車を例に取ると、多くのミニバンは後方からの追突に対し、最後尾の3列目は格段に危険である。
そこにコストを掛ければプライスが上がる。購入出来る人が限られる。
そこにコストを掛けなければプライスが下がる。購入出来る人が増える。
MAZDAのCX-8というクルマは、3列目シートの安全性にも配慮されているが、車両本体価格は約300万円からである。
一方、HONDAのフリードというクルマは、3列目シートの後方追突安全性に難はあるが、車両本体価格は約230万円からである。
安全は確かに重要である。だが、高度な安全性を求めれば求める程コストが掛かる。
「何が何でも3列目シートまで安全性を確保しろ」というのは、オプション価格や諸費用含めて上限300万円が限度という人達から、シートが3列搭載された6人乗りのクルマを取り上げるという事に他ならない。
法や規制についても同様である。
厳格化すればする程、その法や規制を運用する為にコストが掛かり、事細かに些細な違反まで厳格に取り締るのもコストが掛かる。それらは全て国民の負担である。
まして、社会人としての一般的な常識で判断出来るような危険性を法や規制で排除するなど、愚の骨頂である。
※補足①
もっとも、ベストカーという「自動車メディアにおけるバカメディア」が電動キックボード潰しのプロパガンダを展開する目的は、安全性とは別にあると見るべきである。
日本のバカメディアに共通する項目として、中国共産党の存在が挙げられる。大体は中国の資本が入っていたりして、中国に利する報道が主体となる。
昨今、CO2削減という愚行を是とするプロパガンダが盛んだが、電動キックボードは市街地の充分に舗装が行き届いた場所なら、タクシーでの移動や原付バイクの使用頻度を抑制する効果がある。
「CO2削減は中国製のバッテリーを搭載した電気自動車」「ここから外れるCO2削減案は認めない」という事である。
※補足②
便宜上、CO2排出量削減という行為を引き合いに出したが、CO2削減を是とするという意味で書いた訳では無い事を、ここに明記しておく。
電動キックボードのは存在意義は、1メータで終わる様なタクシー移動から置き換わる事による、一般大衆の利便性向上だという点を理解しなければならない。
※追記①
それにしても、改めて引用した記事を読み返してみたが、どうしてあんなに稚拙なのだろうか。
内容が稚拙なのは指摘した通りだが、文体そのものも稚拙である。
掲載したベストカーは、記者が書いた記事を添削とかしないのだろうか。書く方が書く方なら、載せる方も載せる方である。
執筆者は国沢さんという方らしいが、調べてみると結構なベテランの様である。年齢的にも経験年数的にも、もう治らないだろう。
彼に執筆を依頼するくらいなら、私に依頼してくれた方が数倍マシな様に思える。私は基本的に電車で移動している間など、暇な時に片手間でしか書かないが、それでも国沢某よりかは良い記事を書く自信がある。