「所得再分配」で低所得化する大衆
「てぃ先生、小池知事の5000円支給に「0が一個足りなくない?」」
(デイリースポーツ)
足りないのは支給される金額の桁では無く、コイツの頭である。
本人は悪気があって言っているのでは無いと思うが、地上波テレビという影響力の強い場で、社会に有害な情報を発信してしまうという罪は重い。
「支給」「給付」「補助」「支援」、最近は「ポイント付与」などというモノまであるが、目的は様々である。
単なる政治家の人気取り、利権にありつく亡者共によるプロパガンダ、日本の場合は反日主義者による日本破壊工作の一環だったりするかもしれない。
少なくとも、一般大衆の為では無い。
政府や自治体によるこういった行いを、殆どの人間がさも当然の事としてスルーする。何だったら、「足りない」「もっと出せ」などと見当違いの文句を言う。
何故この様に愚劣な思考に陥ってしまうのか。愚劣とすら気が付かないのか。
それは、「所得再分配」というカルト宗教によって、人々が洗脳されているからである。
何故このような政府・自治体による対策が必要なのか。
それは、一部の高所得者、特に大企業の経営者層が賃上げもせず薄給で大衆を扱き使うからだ。
というのは、単なる枝葉に過ぎない。
そもそも、何故に賃上げせず大衆を扱き使えるかを考える事が重要である。
以下に一例を示す。
日本社会という所は、カイシャに入って一度辞めたら、相応の技術や経験を持っていたとしても、そう簡単に前のカイシャより良い条件で雇ってくれるという事が起こらない。
何故か。
それは、日本の雇用に関する法や規制によって、企業が一度正社員として雇った人間を解雇しにくく、それ故に採用で失敗出来ないからである。
そうすると、雇うのに及び腰になる。余程協力業者の担当者として深い付き合いがあり、「良いポジションを用意するから、是非ウチに来てくれないか」などという場合は別にして、いくら時間をかけて面接しようが、履歴書を穴が明くほど睨みつけようが、採用して使ってみない事には本当のところなど分からないのが人事というものである。
一度雇ってしまって、「うわぁ、失敗だったなぁ・・・」と気付いたところで、軽々に解雇出来ない。そんな中でバーンと好待遇で雇うなど、無鉄砲以外の何ものでも無い。
この様な状況では非正規雇用が横行し、正社員は正社員で、安月給のまま煮え湯を飲むしかないという状況が発生するのは当然である。
昨今はそれだけでなく、女性活躍だ脱炭素だLGBTだと大騒ぎし、ハラスメント対策だストレスチェックだ長時間労働禁止だと圧力ばかり掛けられ、企業の運営コストは嵩む一方である。
そういうコストは「給料を上げられない」という弊害となって、サラリーマン連中を直撃する。
それは子育ての費用すら捻出するのに苦労する訳である。
結局、儲かるのは一部の上手くやったフリーランスや個人経営者、大企業の経営層や、そこで出世したマネージャークラスだけである。
「所得再分配」というのは、表向きはこの様な儲かっている奴等から多く税金を取り、低所得者に分配するという目的で語られるが、そもそもこの様な所得格差は何が原因で発生したのか?あくせく働くサラリーマンの給与が上がらない根本要因は何なのか?という事である。
当たり前だが、一度税金として徴収し再分配するという事は、そこに業務が発生する。詰まり、再分配するのもタダでは無いという事である。この点だけ考えても再分配は非効率である。
引用した記事の「18歳までの子供に月額 5,000円」にしても、結婚する気の無いオッサンやオバハンから再分配するのは百歩譲って良いにしても、これから結婚相手を探そうという若者からも取る訳である。そうすると、結婚して子供が出来るまでは自分と微塵も関係のない領域に、自分の納めた税金が使われる訳である。
下手をすると、結婚そのものが遠ざかるのではないか?
東京都の子供が居る世帯数は、夫婦と子供の場合で160万世帯くらい、ひとり親と子供の場合で50万世帯くらいあるらしい。そこに月額5千円支給したとすると、月に105億円必要である。ゼロが一つ足りないとかほざいていたが、そうすると1050億円である。
年間にすると前者で1260億円、後者で堂々の1兆円超えである。
ちょっと前に「アベノマスクの送料10億円!」などと怒り狂っていたが、この支給額の前ではハナクソみたいなものである。(因みに、アベノマスク自体もゴミ屑の様な政策ではある。)
人は直ぐ、「足りない」「もっと出せ」というが、政府や自治体が支給するカネの元手は税金である。
政府さんという人や自治体さんという人が存在して、一生懸命働いた内から、私財を叩いて支給してくれる訳では無い。
一度でもこの様な台詞を吐いたことがある者は、政府や自治体による「支給」が必要になってしまう根本要因を考えてみた方が良い。
※補足①
政府や自治体による「支給」や「補助」による本当の弊害は別にある。それは、必ずそこに利権が生まれるという事である。
では、政策による優遇がどうあっても必要だった場合、どうすべきか。
絶対に「支給」とか「補助」とか言い出してはならない。
許されるのは唯一、「減税」乃至は「免税」だけである。
「支給」や「補助」を一度認めてしまうと、必ずタガが外れる。それを肝に銘じなければならない。