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もちつきをして

今日、私は職場の介護施設でもちつきをした。
私がこの行事のリーダーだったので、以前からもちつきの動画をたくさん見て、緊張していたのだが、ようやく無事終えることができて、一年の仕事が終わった感がある。
あ~よかった。
そのもちつきで私は手返しを担当した。
手返しとはもちをつくときに濡れた手でもちをひっくり返すことである。
これは主に女性がやるイメージが強い。
やってくれる人がいなかったのでリーダーの私がやるしかなかった。
私はただ手返しを動画で見るのではなく、もち米の蒸し方から、鏡もちにするまでの工程を全部見て研究した。現代は動画で学習できるので大変よろしい。
もちを蒸すのは介護施設の厨房でやってくれ、蒸し終わった物を栄養士が持ってきて、それを臼に投入し、小突きから始めるのである。
小突きとは、臼の中でもち米を杵で潰していく作業で、地味だがほぼこれでいいもちか悪いもちかが決まるのである。
私はその小突きをやりながら、「ああ、もちつきなどたいしたことはないが、こういう行事が人生の中で重要な位置を占めているのだなぁ」などと考えていた。
すぐに「人生」だのと考えるところが文学やら哲学やらをやっている人間の悪いところである。せっかくもちつきで盛り上がっているところで、ひとり思考が一歩引いた空の上から眺めているのは、現実を楽しめない不幸な人間である。
私は中学生ぐらいからそういう思考を常にしていて、現実を楽しめない人間だった。
現実というか現在を。
例えば、将棋を指しながら、次に指す手を考えながら、全宇宙のことを考え、その中で生きる私の人生を考え、その中で将棋をする自分自身を考えと、無駄に考えることが多かったのである。
そんな私は現在、すべてを注げる行為と言ったら、小説を書くことくらいである。
小説で成功することが人生の目的であるためそれに集中できる。
つまらない男だ。
私が大学生の頃、「今を楽しもう」という言葉が流行った。
私は「今を楽しもう」と言って風俗に行く男を見て、首を傾げた。
「ホントかなぁ~?」
私も恋愛をしたかったし、セッ○スをしたかった。若い頃はセッ○スをしながら別のことを考えていてもそれが乙でいいなどと思う物らしいが、やはり、それでは今を楽しんでいるとは言えないと思う。(こんなふうに考えるから、彼女ができなかった)
今を生きるとは、「いま」のイメージの中を生きることではない。
前後を忘れることである。
そのために目の前のことに夢中になるべきなのである。
それはもちろん「死」を忘れることでもある。
「死」を忘れることは「生」を感じることである。
生きることは行為の中にある。
 
ああ、もちつきからここまで文章を書くことができた。
なんて堅い頭なのだろう?


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