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統合失調症になってからの独自の人生
私は高校時代、統合失調症を発症した。
大学受験を乗り越えた。
これは誇りだ。
大学も休学を挟んで卒業した。
これは家族の支援があったからで運が良かった。
家族には感謝している。
大学時代、就職活動は一切やらなかった。
卒業後は無職で精神科デイケアに通った。
普通なら精神障害者はこの後就労支援施設に通いわずかな工賃を貰いながらリハビリして、時期を見て、障害者雇用で就労する。「就職」じゃなくて「就労」。
私は違った。
デイケアに通っているだけではぬるま湯の中にいて自分はダメになる、そう思い、自分でハローワークに行って仕事を見つけた。
肉体労働のパート職。
時給八百円。
そこで五年働いた。
月収七万円程度。
障害年金はもらっていなかった。
実家にいたからなんとかなった。
家族に感謝。
その肉体労働で親方に鍛えられ、私は労働の基礎を学んだ。
親方は私の障害を知らない。
「どんくさい奴」と言われた。
それでも厳しく丁寧に仕事を教えてくれた。
感謝。
私は労働者のコミュニケーションを習得したかった。
統合失調症はコミュニケーションの病で、それが鍛えられるのは、接客業でもなく、事務仕事でもなく、肉体労働を誰かと共にすることだった。
私は五年が過ぎると農業の手伝いや、植木の仕事をした。
あたたかい人たちに囲まれて徐々に私のコミュニケーション能力は上がっていった。
コミュニケーション能力とは礼儀正しい接遇マナーに基づいた言葉の使い方などではなかった。
普通に友達などと話す能力だった。
これを読んでいる統合失調症の人で、友達がみんな障害者という人はいないだろうか?
障害者のコミュニティにどっぷり浸かり、「ふつう」の世界を忘れている人はいないだろうか?
回復途上で、「統合失調症を活かす」などと考えてピアサポーターになった人は、本当にそれが自分の望む仕事だろうか?
やりたいことをやるために、「まとも」になるために、「ふつう」の人生に一歩踏み出す勇気はあるだろうか?
障害者のコミュニティは閉ざされてはならず、一般社会に開かれてなければならない。
共生とは、普通に一般職の中に障害者のいることで、障害者を特別扱いすることではない。
人は助け合って生きていかねばならない。
障害者だからとそこに用意された障害者らしい人生を生きて、君は面白いか?
私は自分でハローワークに行って、障害者雇用ではなく、一般労働者として社会に出て行ったぞ。
私は自分の人生を振り返ると、独自の人生を生きてきたと誇らしく思う。
多くの人に支えられて生きてきた。
感謝しきれない。
きっと君の周りでも、福祉業界ではなく、君を受け入れてくれる普通の場所があるはずだ。
そんなに世の中は制度化されてなくとも、優しさはどこにでもある。
自分だけの扉を開いて欲しい。