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マンガ版『風の谷のナウシカ』に教えられたこと

*ネタバレあり

私は中学三年生の夏に手塚治虫の『火の鳥』と『ブッダ』を読んで、仏教的な考え方をするようになり、高校生になると宮崎駿のアニメとマンガ『風の谷のナウシカ』の影響を強く受けて、精神が極めて繊細になっていった。

私は論理的に物事を考える子で、「人を殺すのは罪」、「犬を殺すのも罪」、「それならば蚊や蝿やゴキブリを殺すのも罪ではないか」と考えた。

ある日、夜、キッチンの灯りを点けると、ゴキブリが二匹出た。まだ赤く若いゴキブリで兄弟と思われた。私はすぐに蠅叩きを持って、床を逃げる一匹を殺した。「もう一匹」私はもう一匹を視覚に捉えた。その一匹は床を逃げた。私はピシャンと蠅叩きでつぶした。その潰した場所が、もう一匹を殺したのと同じ場所で、二匹は重なって死んでいた。「一寸の虫にも五分の魂」「この二匹は兄弟だったのだ、僕と同じように家族の愛があったのだ」そう思うと、私は罪の意識に押しつぶされそうで涙が出た。

そのうち、現実に耐えられなくなり、高校二年の秋に統合失調症という精神病を発症した。当時は精神分裂病と呼ばれていて、私はその病気であることを認めたくなかった。病院には行かなかった。地獄のような日々だった。受験生でもあったため、将来から来る不安、時間の魔王が怖かった。ブルブル震えながら教室の机にしがみついて授業を過ごした。当然先生の言葉など耳に入らなかった。なんとかしてこの苦しい生を終わらせたいと思った。自殺はしたくなかった。死ぬのはいいが、その前の痛みを怖れた。

そんな頃、宮崎駿のマンガ版『風の谷のナウシカ』の思想が私を支えてくれた。

マンガ版『風の谷のナウシカ』は環境問題をテーマにしたマンガだが、ラストになると、なぜ人は生きるか、という問題にまで深まっていった。そして、最終的には「どんなに苦しくとも生きねば」という結論に達する。
このマンガが辿り着いた思想は、西洋の哲学者デカルトの「我思う、故に我あり」の論理と似ていて、「私は生きている、だから私は生きねばならない」という論理だ。

「生きねば」と言い聞かせて生きた。

正直なところは、「童貞のまま死んでたまるか」というのと、「有名になれないまま死んでたまるか」というふたつの生への極めて強い執着があったのが私をかろうじて生きさせていた。

それでも宮崎駿の思想のおかげで私は精神病の闇の中から這い上がれたと言っていいと思う。病気になるほど繊細になったのは彼の影響だが、救ってくれたのも彼だ。彼の世界の倫理観のおかげで自暴自棄にならずに済んだ。一年浪人し、大学の哲学科に入学した。それ以後、多くの哲学者の本を読んで影響を受けたが、宮崎駿以上に私に影響を与えた人はいない。

大学で哲学を学ぶうちに、生きる力とは習慣によって得られるのではないかと思うようになった。肉を食べても牛や豚などをかわいそうだと思うか思わないかは習慣によって決まる。私は肉が好きだったためベジタリアンになるという選択肢はなかった。習慣は論理より強い。罪の意識も習慣によって成立する。牛を殺すことは罪か、人を殺すことは罪かの線引きは論理的にするものではない。
こう考えていたのはまだ大学生の急性期の頃だ。それから年月が経ち私の心は強くなっていったと思う。四十二歳の現在、習慣云々という思想的な悩みはすでにない。仕事のこと、人間関係のこと、結婚のこと、夢や志のこと、悩みはあるが、それらはほとんど現実的問題ばかりになっている。
ああ、人間らしくなってきた、よかった。


余談だが、偶然なのか必然なのか、この文章をパソコンで書いていると、天井からゴキブリが一匹落ちて来た。私はすぐに近くにあった殺虫剤で殺した。トドメはティッシュでくるんで握りつぶした、ブチッと。罪の意識はない。これがあれから二十五年生きた私の現在だ。

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