『ジャンダルム』(4)横尾山荘【ノンフィクション小説】
私は横尾に着いた。
午後三時である。
受付を済ませると、私は荷物を部屋に置き、小屋の前の広場に出た。
目の前には横尾大橋がある。立派な吊り橋だ。
私はその吊り橋の前の丸太のベンチに仰向けに寝転がり空を見た。
雲が湧き、青空が見えている。雲は不確実に流れ、くっつき、離れ、千切れ、渦を巻き、予測できない動きをした。私はこの動きを絵に描いてアニメーションにできる芸術家がいたら天才だろうな、と思った。コンピューターならばできるのだろうかとも思った。
しかし、雲を見上げるとき、私は無心と有心の間を行ったり来たりした。アニメのことを考えるのは有心、雲の動きを見つめるのが無心、明日の天気を心配するのが有心だった。私はただ無心にたゆたいたかったのだが、私の思考はそうさせてはくれなかった。
私はジャンダルムで何を思うのか?そんなことを考えても答えは出るはずもなかった。私はただ、風呂に入れる四時を待っていただけなのである。
横尾山荘には温泉がある。そこは宿泊者しか入れない。私も受付で、横尾山荘の文字が入ったタオルをもらった。私の思考は、ジャンダルムのことよりそのタオルが明日の朝までに乾くかどうかを考えていた。乾かなければ荷物が重くなるからだ。
横尾山荘の前には下山してきた休憩者たちが多かった。高校生の集団がぺちゃくちゃと喋っていた。どうやら後続のグループを待っているらしい。すると先生らしき男性がひとり大きなザックを背負って降りてきた。生徒たちに先に行っていいと言っていた。生徒たちは徳沢の方へ出発した。それからしばらくして後続の高校生たちが来た。彼らも同じ場所で休憩し、また去って行った。高校の山岳部にしては人数が多いと思った。何十人という人数だ。私が高校生の時に、夏山山行に出かけた部員は五人だけだった。
私はいろいろ考えながらもまた無心になりたく空を見上げようとした。そのとき、高齢の男性グループの人たちから写真を撮って欲しいと頼まれた。私はカメラを受け取ると、横尾大橋前の階段に並ぶじいさんたちの写真を撮ってやった。彼らは同級生なのかなんなのかわからなかったが、私にはこういう仲間がいないな、とチラと思ったが、また雲を見るために丸太のベンチに仰向けになった。
しかし、そろそろ四時だった。
私は横尾山荘の中に入った。
部屋からタオルを持って浴室に向かった。浴室は別棟にあった。百円のコインロッカーに貴重品を入れ脱衣所へ入ると、中は狭く服を脱ぐ男や着る男が一杯で、肌が触れそうな程だった。私は脱衣駕籠に服を脱いで入れると、タオルひとつを持って浴室に入った。洗い場が「く」の字に三カ所しかなく、浴槽は四人も入れば一杯になると思われた。狭いので、洗い場のおじいちゃんが立って股間にシャワーを当てると、その水しぶきが後ろの浴槽の中にいるおっさんの顔にもろにかかって、おっさんは渋い顔をしていた。最悪である。私は背後の人に迷惑がかからないよう、シャワーの角度に気をつけながら股間を洗った。浴槽に入ると、腰の辺りにジェットバスというのか知らんが、浴槽の壁面の腰の辺りから湯が出てきて私の腰をマッサージしてくれた。まだ、登山前なので、湯で癒やされるというふうではなかった。
風呂から出て、自分の部屋に戻ると、最大八人入る相部屋では三人の男が話をしていた。私は最初、その三人は仲間なのだと思っていた。だから、私は黙って二段ベッドの下の段でぼんやり聞いていたが、途中でひとりが私に声をかけてきたので、私は答えた。
「静岡です」
どこから来たか訊かれたのだ。私は少し失敗したかと思った。山に来たとき「今日はどちらから?」と訊かれたら、「上高地から」などと歩いて来た場所を言うべきなのだ。しかし、このときは、家がどこにあるかを訊かれたニュアンスだったので失敗ではなかった。訊いてきた男は、北海道から来たらしく、利尻岳のことなど話していた。次に私が訊かれたのは、どこへ登るのか、だ。私は「ジャンダルムです」と答えると三人は「おー、かっこいい」と口を揃えて言った。次に訊かれたのは年齢だった。私は「四十五です」と答えた。すると、「え?三十代とかじゃないの?」と驚かれた。よくあることだ。私はなぜ自分が若く見えるのかを考えた。まだ、女を知らないからだろう、そう思った。そうなのだ。私にとっての絶対的経験不足、それは女だった。私は女不足を山で補おうというのだろうか?ここに集まった男たちはみんな妻子持ちだろう。そして、山を趣味にしているということはどれほどの収入のある男たちだろう?収入により趣味の質が決まってしまう、私は最近はそういうテーマをよく考えていた。私は以前、学歴や英会話などにコンプレックスがあった。学歴、細かく言えば偏差値、そして、英会話が出来るかどうかがエリートかどうかを決める条件だった。さらに私は有名になりたくて小説家を目指している。小説家で富と名声があり、英会話が出来る、海外旅行をしまくれる、それこそが私の理想としている人生だった。しかし、そんな学歴とか英会話ができるできないは、あるいは有名か無名かは、金持ちか貧乏かは岩の登攀が出来るかどうかとは無縁だった。巷のゴミゴミしいコンプレックスはまさにゴミのような物だった。私は彼ら同室者たちに勇気があると言われた。私は勇気と言われて少し考えた。私は中学生の時、好きな女の子に告白する勇気がなかった。だから今も童貞なのだろう。それから、いじめを見て見ぬ振りをしていた。これも勇気がないと言えるだろうと思った。しかし、ジャンダルムに行くのは勇気があると言われれば、私はたしかにもともとの勇気という言葉の意味はそういうものだったはずだと思い直した。
北海道の男は翌日は涸沢ヒュッテに泊まり、その翌日は涸沢岳か奥穂高岳に登ってまた涸沢ヒュッテに一泊すると言っていた。中級者でも奥穂高は登れますか?と訊いていた。私はすでに一昨年、奥穂高岳は登っているので優越感を持って言った。
「自分を中級者と思えるくらいならば登れますよ」
男は考えていた。
そのときドアが開いて、おじいさんがふたり入って来た。おじいさんのひとりは八十二歳だと言った。すると、七十代と言っていた男は「私は七十代と言えば、山では尊敬の眼差しで見られると思ったのに、上には上がいますね、お恥ずかしい」と笑っていた。八十二歳のおじいちゃんは翌日、涸沢を抜けザイテングラートという岩場を登り、穂高岳山荘に泊って、その翌日には奥穂高に登って、吊り尾根を通り、重太郎新道を下って岳沢に泊ると言った。先ほど奥穂高は中級者でも登れるかと言っていた北海道の男はたぶん心を動かされたと思う。このおじいちゃんの、ザイテングラートを登り、穂高岳山荘に泊り、吊り尾根を通って重太郎新道を降りるというのは、ジャンダルムを除いた私の行くコースとまったく同じなのだ。
おじいちゃんはさらに音楽の趣味もあり、ギター、マンドリン、コントラバスを弾けるという。昔は大きなグループだったが若い人がやめていき、今では老人だけ五人のバンドとなって慰問などを行っているらしい。私は老人ホームで働いているので、八十二歳の方が奥穂高に登るというのが驚きだった。要介護の老人は車椅子が普通だ。それが日本第三位の高峰奥穂高とは!
もうひとりの男で還暦を過ぎたばかりという方は、島根県から来たと言っていた。彼も楽器をやっているらしく、おじいちゃんの現役ぶりに驚いていた。
私たちは六人で、五時半の夕食時間まで部屋で喋った。部屋の中は飲食禁止なので私は会話に参加しながら、「お水ちょっと飲みたい」などとせこいことを考えていた。
私たちは名前を名乗ることはしなかった。
食事の時間になると、私たちは部屋を出て階下の食堂に行った。大勢並んでいたが、チケットを出すとき、小屋の職員から「何名ですか?」と訊かれた。私たちはおじいちゃんふたり以外、ソロなのだ。しかし、ここでひとりひとり分かれて席に着くというのは不自然な気もした。そこで北海道の男が「六人で」と言って、私たちは同じテーブルに案内された。
私たちはビールで乾杯した。私はビールを飲むつもりはなかったが、先ほどから水を飲んでいなかったので、隣の人のビールが美味そうに見えて、自販機で買ってきた。ここのビールはスタッフに注文するのではなく、別室の自販機で五百円で買ってくるのだ。
ビールは美味かった。
話題は山の話題だった。
そういえば私には登山の友達が皆無で、こうして山の話をするのは初めてだったかもしれない。
割り箸の袋が、山の位置を知るのにいいと何名かが持ち帰ることにした。
食事が終わりに近づくと、残ったおじいちゃんに私は「どこの山がお勧めですか?」と質問した。すると、「双六岳がいい。あそこから見える、夕方の槍ヶ岳は綺麗だよ」と言った。私の中で次の次の次くらいの目標が広がった。しかし、一番手前にある目標は言わずもがなジャンダルムである。私たちは食堂を出た。
私は翌日そんなに早い出発をする必要がなかったので、朝、五時半からの朝食を頼んであったから、九時の消灯まで起きていようと思い、談話室で、ペットボトルの水を飲みながら、「山ノート」にボールペンで文章を書こうと思っていた。しかし、筆が進まず、ぼんやりとしていると、同室者の島根の男がカップ酒を持って談話室の入り口からこちらを覗いていた。私は眼を合わせたら彼はここに来るだろう、どうしようかな?などと迷っていたが、そういう心を閉ざすのは良くないと思い彼の視線に眼を合わせた。すると彼は椅子を持ってやって来た。私たちは山の話はもちろん、私が野球部だったことと、彼も野球経験があるらしいことで、野球の話をした。観客目線の野球の話ではなく、実際に選手として経験した話だった。軟式ボールと硬式ボールの話をしたように記憶している。山の話では、私はテントについて質問をした。上達するには数をこなすことだということだった。彼は雪山も行くと言うから、私よりは上級者だ。しかし、島根県にいるから大山ばかり行くとか。私はこの男には申し訳ないが中部地方に住んでいて良かったと思った。
結局、消灯三十分前の八時半頃まで話し込んだ。
そして、部屋に行き、自分の寝床に入った。
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