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『ジャンダルム』(11)山頂にて【ノンフィクション小説】

ジャンダルム山頂に着いた私はまず、山頂にある有名な天使の看板と山名の書かれたプレートの写真を撮った。


しかし、まだ、達成感はなかった。私の中では帰り道があるので、まだ半分しか来ていないという思いがあった。
それでも山頂だ。しかも、日本で有数の記念的山頂である。
一生に一度は、そう思う登山者もいるだろう。
私はそこにいるのだ。
そう思ってもやはり帰りのことを考えると緊張感は抜けなかった。


私はとりあえず、山頂で飲もうと思っていたカルピスをアタックザックから取り出して蓋を開けた。剣岳に登ったときは、暑い日で、距離も長いためカルピスを体の芯から欲しがっていたが、ジャンダルムはそれほど時間がかかったわけではないからか、カルピスが命の水みたいに思えるというわけでもなかった。たしかに危険を冒したが、今年、五月の早朝に登った八ヶ岳の赤岳や、死線を潜った一昨年の雨の吊り尾根ほど精神は追い詰められていなかった。吊り尾根の時は、穂高岳山荘に辿り着いて本当に「生きている!」と感じ、そのあと食べた豚骨ラーメンが生き返らせてくれるほどの美味いラーメンだと感じた。八ヶ岳の赤岳の時は下山後の八ヶ岳山荘の風呂が私を生き返らせてくれる命のお湯だった。
しかし、ジャンダルムはたしかに恐ろしい岩場を越えたが、まだ、帰りの緊張感を残しておかなければならないし、なにより、体力的な疲れがほとんどなかった。登山アプリ・ヤマップで見ると、私は奥穂高岳から二十七分でジャンダルムに到着している。二十七分?何かの間違いだろうと思うが、コンピューターを信じるならば、片道二十七分なのだ。密度の濃い二十七分と言うことになる。
手ぬぐいの男も上がってきた。彼も人生で二度と来られないと言いながら、満足しきっているようだった。私の写真を撮ってくれた。あとで見たら上手い写真だった。我ながらいい顔をしていた。

このとき手ぬぐいの男は私に話しかけ笑わせてくれていた。テクニシャンだった。彼はそのあと、昼までここにいてもいいなと言って寝転がっていた。いや、わかる気がした。ここは聖地なのだ。日本中の登山者が「人生に一度は」という場所に私たちはいるのだ。
そこへ、小屋で一緒だったもうひとりの男性が上がってきた。小屋の前にテントを張って一日過ごす予定を、私の計画を聞いて、ジャンダルムピストンを決めた人だ。「君のおかげで来ることが出来たよ」と言っていた。
他に山頂にはふたりの男性がいたが、途中で降りて行き、それと入れ替わるようにして別の男が北側の正規のルートではないところを直登してきた。そんな感じで山頂には常に三人いるような感じだった。
聖地に三人だけ、その三人の内ひとりが私であると考えればこんなに特別な時間はなかった。しかし、私は帰り道のことを考えていた。手ぬぐいの男のように寝転がって聖地を満喫する気持ちはなかった。

奥穂高岳
穂高岳山荘が見える


ただ、私は霧の間に見える奥穂高岳を写真に撮ったりしていた。
穂高岳山荘も見えた。
しかし、景色という点ではジャンダルムはいい撮影場所ではなかった。ジャンダルムは見られる山であり登る山であった。そこから見る山ではなかった。そういう意味では奥穂高の方が見られる山であり、登る山であり、そこから見る山だった。特に奥穂高から見るジャンダルムは最高だった。何枚でも写真が撮れた。
ジャンダルムの上で私は結局一時間半過ごした。相当な時間である。しかし、それほど長いとは思わなかった。手ぬぐいの男ほどではなくとも私は歓びに浸っていたのである。
私はもう充分と思うと、手ぬぐいの男に帰ることを伝えて、山頂から降り始めた。

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