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ドーテイ・ヨンジュウ④ダンテ『神曲』ベアトリーチェ

俺は中学卒業まで好きだった女の子に声を掛ける勇気がなく、卒業と同時に恋は終わったと思った。
彼女とは別の高校に進んだ。俺のほうが偏差値の高い高校に進学したので、俺は自分にこう言い聞かせた。
「俺のほうが優秀な人間なんだ、彼女は平凡な女だ、俺とは釣り合わないさ」
最低だ。歪んでいる。
しかし、こうして俺は勉強のできる(かわいい)子を求めるようになった。
そして、高校に入ってから好きになったのは、ナウシカだった。(やべえ、やべえぞ)
宮崎駿のマンガ版『風の谷のナウシカ』を夢中で読んだ。その中の彼女は十六歳、お姫様、頭がいい、品がある、活動的、人格が優れている、などなど、それはそれは理想の女の子だった。
俺はナウシカのような女の子を高校の中で探していた。
一年生のときには見つからず、頭の中がぼんやりしているような状態で過ごした。野球部での練習も身が入らず、勉強も出来なかった。
二年生になるとき野球部を辞めた。体が楽になったせいか勉強が出来るようになった。しかし、現実が夢のような状態が続いた。今思えば、統合失調症を発症する予兆だった。俺は勉強を頑張り、文系のクラスだが、もともと得意だった数学や生物などがとくに成績が良かった。それも数か月間のことだ。
そんなとき彼女は現れた。
友達の友達だった。
かわいくて、性格が良くて、頭が良くて・・・
恋だった。
話しかけることはできなかった。
俺は常に彼女のことを考えていた。
彼女は成績優秀だったため、釣り合う男になろうと勉強に励んだ。
しかし、勉強をしていると、常に彼女のことが頭に浮かんで勉強が手につかなかった。
そして、俺は彼女に話しかけることもなく、統合失調症を発症してしまった。
俺は狂気の中を生きるようになった。
結局、彼女とは一言も話すことはなく、高校を卒業した。
いや、一度だけ、三年生の夏休みの数学の補習の休み時間、教室で俺が男友達の腕相撲のレフェリーをしていると、彼女が割り込んできてマッチョな男子生徒に挑んだので、俺は「レディ、ゴー」とだけ言った。彼女はあっさり負けた。なぜ、彼女は割り込んできたのだろう?それからずっと気になった。
彼女とは別の大学に進んだ。
成人式のときに会ったが、俺は友達の友達として後ろに立っているだけで言葉は交わさなかった。
それ以降、俺の前には彼女以上の子は現れなかった。
四十代になっても俺はまだ女と付き合ったことがない童貞だ。

ところで、イタリアの文豪ダンテは ベアトリーチェという同い年の女の子に九歳で出会い、十八歳で橋のたもとで再会し会釈してすれ違ったのみで、一言も会話は交わさなかったそうだ。ダンテは恋い焦がれたが、彼女は別の男と結婚し子供を何人か産んで二十四歳で死んだそうだ。
ダンテはのちに叙事詩『神曲』を書き、その中で神格化されたベアトリーチェに導かれ天国に昇った。
俺はダンテのことはよく知らない。会釈してすれ違っただけの女性に人生を捧げたとしたら・・・

ダンテはどうか知らないが、俺の「頭がいい子」「品のある子」などを理想としているのは歪んだ欲望なのだろうか?そうだとしたら、世の中の才色兼備を好む男性はみんな歪んでいることになる。『ナウシカ』にも歪みはないだろうか?なぜ、彼女はお姫様なのか?

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