お笑い芸人、そして小説家。夢を追う者
今日、久しぶりにお笑い番組を見た。
見たあとの感想としてはあまり精神衛生上良くないと思った。
私は最近小説を読んでいるが、お笑い番組を見たあとでは、集中して読めそうもないのでこの文章を書いている。
私は高校時代に、つまり感受性豊かな思春期に、統合失調症という精神病になり、そのとき「笑いは悪だ」と断じて、一年間笑いを禁じたことがある。
いや、病気だからそんなことを考えたわけではなく、そんなことを深く考えるから病気になったのである。そのような思考は私にとって健康不健康に関わらず真実追究の思考だった。
そのとき、「笑いは精神を分裂させる」と考えた。
それから三十年経った現在、お笑い番組を見た今日でも同じ感想を持った。
ブッダやキリストのようなお笑い芸人は想像できない。
私は高校時代、ブッダやキリストのようになりたいと思っていた。こう書くとキチガイのようだが、いや、確かにキチガイだったが、ようするに完璧主義者だった。仏教はブッダになるための宗教であるから、私のそういった宗教的な目標としても、ブッダやキリストのような完璧な人間になりたいというのは、あながち、キチガイだけの思いではなく、真剣に生きたい人の大きな目標だろうと思う。
キリストは笑ったか?というテーマはキリスト教の世界では大きなテーマになっているらしい。たしかに宗教画のキリストには笑っているものがないように思える。
ブッダは笑ったか、それは大乗仏教では笑うことが認められているらしいが、多くの仏像(ブッダの像)は微笑むことはあっても、ゲラゲラ笑っていることはないと思う。私は高校生の頃、京都太秦の広隆寺の半跏思惟像などが人間の理想の表情だと思った。あれはガンダーラの仏像、それはギリシャ彫刻の影響でアルカイックスマイルというものらしいが、私の想像では昔の多くの良識ある人々にとって理想の表情は微笑みであるとされたのだと思う。私はそれを理想としていた。
しかし、ゲラゲラ笑うのは、腹を抱えて笑うことは悪だろうか?いや、私は悪だと思う。しかし、それが不要か、となるとそうではないと思う。腹を抱えて笑うことは一種の苦しみであるが、そうして笑っているとき、人は死にたいと思うだろうか?笑いで救われることはないだろうか?
私は二十歳になった頃、精神科に通うようになり、テレビのお笑い番組を見てゲラゲラ笑う毎日を過ごしていた。それが救いだった。芸人とは若者から見れば憧れる仕事でもあるかと思うが、大人になればなるほど、その社会的地位は低いものと思うようになるだろう。しかし、芸人は笑わせることで誰かを救っている可能性がある。
私は小説を書くが、作品内で読者を笑わせようとふざけることがある。そんなとき、私はお笑い芸人と同じ土俵にいる。しかし、お笑いだけというのはやはり苦しいのではないだろうか。小説には悲しみや怒りなどいろいろな感情を盛り込むことが出来るが、その中に笑いもある。しかし、笑いだけを目的にした小説を本業とするのは私には苦しいことだと思う。
最近は芸人の人生に焦点を当てた小説や映画などの人気があるが、あれは芸人の人生は悲しみと笑いの華やかさが混在しているのでドラマになるのだと思う。貧乏アパートで暮らした若者が世界のコメディアンに出世していく物語は非常に面白いのである。
私は小説家を目指しているが、若い頃は、別にコメディアンでもミュージシャンでも俳優でも何でも良かったのだと思う。有名になりたかったのだと思う。しかし、今、小説を書いているが運がいいことに小説というか物語には有史以来の伝統があって、その中で奮迅するロマンがある。
ここでひとつ答えが出たように思う。
芸人も小説家もロマンの中に生きている。
夢と言ったらいいだろうか?
夢を信じることを子供に教えた大人たちは、子供が高校を卒業する頃になると、夢ではなく現実を見るように教えるものらしい。芸人にも親に反対された人も多くいると思う。
私の周りにも高校か大学生くらいまで有名な芸能人などになりたいと言っていた者が、突然就職活動の時期になると、「普通の会社員になりたい」「いつまでも夢だとか言ってるのはバカだ」みたいに考えを百八十度変えてしまう人も多いような気がした。
私は四十五歳で独身で小説家を目指しているキチガイだが、そんな私と同じようなキチガイは若い頃には私の周りに普通に多くいたのである。私はまだ、夢を信じている生き残りだと思っている。
小学生時代の「野球選手になりたい」から中学生時代の「ミュージシャンになりたい」に変わり、高校から大学にかけて次第に「普通になりたい」になってしまうのだろうか?普通ってなんだろうか?
私にとって夢を追いかける人生こそが普通である。
普通とは世間の多くの人と同じになることではなく、どんな人生を歩むにしても自分自身だけの人生を生きることだと思う。
夢を追うことは誰か先輩の背中を追うことにもなるだろうが、それも何十年も続けていれば自分自身だけの人生になるものだと思う。
いずれにしろ、夢を諦める時期もあるかと思うが、諦めてはいけない時期もあると思う。諦めることに慣れてしまっては、何も掴み取れないと思う。
私は笑いは悪だと未だに考えているが、野心ある若手のお笑い芸人は好きである。夢を追う人生が好きなのだ。
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