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特別養護老人ホーム勤務の介護福祉士として思うこと

私は介護福祉士として、特別養護老人ホームで働いている。
で、いつも思うのだが、認知症の利用者は、ほとんどの人が「家に帰りたい」と言う。特別養護老人ホームは終の棲家であり、帰るということは想定していない。一時的に自宅へ行くこともあるかもしれないが、基本的に死ぬまで老人ホームにいる。ただ、健康状態が悪化したとき、救急搬送を望むか、それとも老人ホームで「看取る」か、本人や家族の意向を聞く。ただ、認知症の利用者にはその判断ができると見做されることは少なく、ほとんど家族の意向で、老人ホームで死ぬか、病院で死ぬか、あるいは治療してまた老人ホームに戻るかということが決まる。私はこの職に就くとき、採用に有利なようにホームヘルパー二級の資格を取った(現在では「介護初任者研修」と言うらしい)。そのときの実習で、老人のグループホームに行った。そこで、私に向かって「家に帰りたい」と言うおばあさんがいた。私が困っていると職員が来て、おばあさんに、「明日帰りましょう」と言った。おばあさんは納得した。しかし、これは嘘なのだ。明日帰るというのは嘘なのだ。ずっとここにいるのだ。健康状態を崩して他の施設に移るまで。あるいは、死ぬまで。私は学ぶ側の人間だったので、そういう嘘も介護技術なのかと思った。実際、特別養護老人ホームに就職してからも、利用者は「帰りたい」「あたしはいつ帰れるのかねえ?」などという言葉を毎日聞く。そうすると職員は、「じゃあ、明日帰りましょうか」とか「じゃあ、事務員さんに電話してもらって帰る計画を立てましょう。あ、事務員さんが今日は休みだった。明日でいいですか?」など、どの職員も嘘をついてその場をやり過ごす。そして、「あした、あした」と言われながら、その利用者は死ぬまで老人ホームにいるのである。帰れるのは死体になってからということになる。これが介護だろうか?嘘をつくのが介護技術だろうか?介護職員になった者は、嘘をつきたくて介護職員になったのだろうか?介護職員になるようなタイプの人は基本的に優しい人であると思う。お年寄りをいじめたくてこの仕事に就いた人間はいないだろう。そもそも私たち若い世代の者は、自分が将来そのような介護をされることを望むだろうか?自分が望まないものを人にするというのは人間としてのモラルに反するはずだ。
今日、私の職場の老人ホームから病院へ受診に行って帰ってきた利用者がいる。歩くこともなんでも自分でできるおばあさんなのだが、認知症のため入所している。数日前から血中酸素濃度が低くなっているため、鼻にチューブをつけて、機械から酸素を流している。しかし、彼女はいつのまにか、チューブを外して、機械の電源も止めてしまうことがある。本人はチューブが嫌なのだ。しかし、血中酸素濃度が低いことはよくないと、看護師はチューブをつけようとする。チューブをつけるのは本人のためだろうか?本人とは誰か?
私の伯父は医者嫌いで人生のうちほとんど医者に行ったことがなく、最後、体調があまりに悪いので、総合病院で医師をしている甥に検査してもらったところ、癌が見つかった。しかし、伯父は治療を拒み、自宅で衰弱して死んだ。もし、伯父を無理矢理病院へ連れて行って、手術などしたらどうなっただろう?伯父の尊厳はどうなっただろう?
まあ、伯父は認知症でもなかったし、癌である以外は健康だった。だから家で妻に看取られ死ぬことができた。
では、特別養護老人ホームの利用者たちはどうだろうか?本人の意志でそこにいるのだろうか?特養に入所する人は、家での生活が不可能だから入所するのである。家族の介護では限界があるから入所するのである。もちろんいきなり入所というのは珍しく、デイサービスを使ったり、ショートステイを使ったり、ホームヘルプやその他の福祉資源を使った末に、もう限界というところになって、入所するのが特養である。しかし、これは誰の限界か?誰の視線から見て限界と判断するのか?それは家族や、介護者、社会の視点である。本人ではない。
最近あった事例では、男性利用者が、「トイレに行きたい」と言った。その人は車椅子利用者で、自分で立つことが難しい。だから、私がトイレに車椅子を押していき、洋式便器の横の壁にある手すりを持って立ってもらった。そして、私は彼のズボンを下げ、「便器に座ってください」と言った。すると、彼は「嫌だ」と言う。「立ってする」と言うのである。これを読んでいる一般の方は、「本人がそう言うならば立ってすればいいじゃないか」と思うかもしれない。しかし、彼は車椅子利用者である。立ってすることは難しいのである。手すりを放したら転ぶのである。それに男性でも座ってオシッコをしていただくことに私の勤務する特養では決まっている。そのことを本人に伝えると、彼は「それはおかしいよ。男は立ってするものだろう。なんでも規則で縛るもんじゃないよ」と言う。正論である。しかし、本人まともに立てないのである。ただ、読者の中で鋭い方は、男性用公衆便所には必ず、両側に手すりのついた小便器があるのを思い起こされたかもしれない。たしかにそういう便器は私の施設にもある。しかし、私が就職した十年前からそのトイレを利用者が使うのを見たことはない。それにそのトイレでさえこの方には難しいように思われる。もちろん試してみる価値はあると思う。この事例を挙げた理由は、本人に明確な意志がある場合、本人の意思を無視して介護者側のやりやすいように本人を強制する場合が多々ある例の好例だからである。
帰りたい、という明確な意志があるにもかかわらず、帰さないのは人権として、どうなのだろうか?それに対して介護職員は嘘をついてまで、利用者を老人ホームに閉じ込めて置くのは、人権侵害というか、犯罪に近い気もするがどうだろう?

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