いつもと違うことをしてみる。統合失調症と日常性。
今日は私としては珍しく、カップ焼きそばを食べた。私はラーメンが好きで、ラーメン店のラーメンはもちろん、カップラーメンも好きなのだが、
今日はなんとなくカップ焼きそばの気分だった。買った店はドラッグストアだが、品数が多くどれを選んでいいか迷った。結局、カップラーメンではよく食べている、「ごつ盛り」のシリーズのソース焼きそばにした。いつもと違うことをしようとしたのに、いつも食べているカップラーメンの「ごつ盛り」のシリーズの焼きそばにしてしまうところが、変化を好まない私らしいようだ。
変化を好まない理由があって、それは私が統合失調症という精神疾患を持っているからだ。そうは言っても、病気の症状として、変化を好まないのではなく、私の統合失調症からの心のリハビリの哲学があって、毎日、同じことを繰り返すと良い、と考えるからだ。なぜ毎日同じことをすると統合失調症に良いのか、それは、毎日習慣で無意識に繰り返す動作には思考が必要なく、もし、これが仕事になれば、その患者は、無意識に仕事をこなせるようになり、病気が完治しなくとも、社会復帰が可能になるからだ。できないことと、できることは、紙一重で、毎日、歯を磨いたりウンコをしたりできるのに仕事となると、単純な手作業もできないなんてことがある。「仕事」という言葉に高いハードルを感じる統合失調症患者も多いと思う。どんな人間だって毎日まったく違う生活をしていたら、精神も身体もおかしくなると思う。私は休日はラーメンなどを食べることが多いが、今日、カップ焼きそばを食べたのは、いつもと違うとは言え、カップラーメンを食べるという日常の中にささやかな変化をつけたに過ぎない。軸となる日常があれば、応用は何でもできるようになる。仕事が日常になってしまえば、統合失調症であっても、難なく普通の生活ができる。そこまで行くのが大変だという声があるだろうが、その大変な川を渡れば、あとは難所はなく、日常の中で安定した生活ができるだろう。しかし、安定はマンネリと紙一重で、私は刺激を自らに与えるために、毎年夏に登山をする。日頃はトレーニングで近くの低山に何度も登るが、これは日常である。夏に連休を取って三千メートル級の高峰に登る。そうやって一年がただ生活しただけではないことになる。また、私は小説家を目指している。年に一作のペースで書く。これは日常から抜け出そうとする行為である。夢を追いかけているのである。
統合失調症はまずは日常を手に入れることが大事だと思う。そして、安定したら少し変化をつけていくと良いと思う。健康的な趣味を見つけると良いと思う。そして、ただ健康に生きるよりは、志を立てたり、夢というか目標を持つと良いと思う。そのほうが人生が面白いから。