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京都大原、探訪。

昨日、京都大原に行ってきた。
なぜ行こうかと思ったかと言うと、私は一昨日、昨日、今日と三連休で、別に予定もなく、読書をしようかと思ったが、さすがに三連休を読書だけに費やすのはもったいないし、読書というものも、一日中読むほど、私には集中力がないのである。
だから、三連休中日の昨日、日帰りで京都大原に行ってきた。
大原はまだ行ったことがなく、以前から気にしていたから選んだ。
もし、一泊するならば、鞍馬山にも行こうかなどと考えたが、欲張る理由もないし、たぶんそこまで気力が続かないから、大原日帰りの予定を組んだ。
朝、五時に起き、五時五十五分のバスで藤枝駅に出て、そこから静岡まで東海道線に乗り、静岡から新幹線で京都に向かった。京都駅からバスで大原に向かった。九時半頃に大原に着いた。
私はしっかりと計画を立ててなく、まず目的の三千院などを見てから、寂光院に最後に行くつもりだったが、三千院の周りには昼食を食べる場所が多いので、時間的に寂光院を見てから三千院に向かった方が良かろうと思い、先に寂光院に行くことにした。
しかし、その前に、バスの中でウトウトしていた私は目を覚すためにコーヒーを飲みたかった。今回はペットボトルの飲み物を携帯せず、喉が渇いたら喫茶店に入ると決めていた。貧乏な私には、それは贅沢だった。
で、バス停近くの喫茶店に入った。

まだ時間が早かったためか、私以外に客はいなかった。おかげでゆっくりとコーヒーを飲めた。
寂光院、どんなところだろう?建礼門院が晩年を過ごした寺。
私はこの大原に紅葉を期待していた。
喫茶店から出てバス停より西へ、寂光院に向かって歩き始めた。

寂光院への道

どうも、紅葉はまだらしかった。
こうして、大原の道を歩いていると、思うのは「ただの田舎じゃん」という感想だった。しかし、途中の畑に看板があり、赤い紫蘇を守るために、他の種類の紫蘇を植えるのは禁止、などと、あの有名な「柴漬け」のために赤い紫蘇を守っているのだな、と感銘を受けた。
寂光院に向かう道は特に普通の田舎道と変わらず、ただ、大原ブランド、京都ブランドがその価値を高めているような気がした。いや、それは京都自体がそう言えるのだが、そこは歴史を感じるかどうかの感受性である。私は歴史的感受性よりは風景の良さを感じ取りたい人間で、もちろん歴史的な感受性無しではこの土地の風景の良さを感じることができないので、なるべく歴史に思いを馳せるように努めた。

寂光院の門には菊のご紋がある
寂光院

寂光院に着いた。建礼門院が晩年を過ごしたというどこか人を憂鬱にさせるエピソードがあるのだが、私は「それでも百姓と比べたらずっといい暮らしをしてたんだろ」などと思ってしまった。中に仏像があったか、写真がないので思い出せないが、私は仏像という物にあまり尊敬の念は抱かない人間である。たしかに、それを燃やすとか、首を折るとかそういうことをして平気な精神は持っていないが、それはぬいぐるみなどにも同じことが言えるので、仏像だからというわけでもない。先に述べておくと、このあと三千院や実光院、宝泉院、勝林院、来迎院といくつも仏像を見たが、すでに翌日の午後である今、それらを思い出すことができない。ただ、私の美意識では寺の建築とその背後の紅葉には魅力を感じていて、今回は紅葉がまだだったのが残念だった。
寂光院からバス停に戻ってきて、今度は東側にある三千院へ坂を登り始めた。その坂の入り口にある先ほど、コーヒーを飲んだ喫茶店の向かいにある新しそうなコーヒースタンドで私は紫蘇ジュースを飲んだ。

紫蘇ジュース

これは私にとって初めての味で、非常に美味かった。
店内に椅子はふたつしかなく、お持ち帰りの店だったが、ゴミが出るのが嫌で、私は店内のふたつの椅子のひとつに腰掛けて紫蘇ジュースをゆっくりと飲んだ。他に客はいなかったから落ち着いて飲むことができた。

その店から出て三千院のほうに少し登って振り返ると上の写真のような畑がある。「京野菜」と言うとブランド価値が上がりそうだが、この畑で取れた作物が他の地方の野菜より美味いかどうかは私は知らない。ただ、観光客としては「ああ、ここで美味しい京野菜が獲れるのだな」と思った方が、ありがたみがあるので、冷静な批判分析はしないに限る。私は三千院に向かった。

三千院への坂道


三千院に着いた。
紅葉はわずかにあった。
しかし、芸術的な写真を撮ろうと思っていた私が期待したほどの紅葉ではなかった。

美しい日本庭園があった。
それを見ていて思ったのは私の趣味の登山のことだった。
山に行くと、美しい木立があったりすると、「まるで日本庭園のようだ」と褒め言葉を考えることがある。しかし、日本庭園は自然を模して造られているのである。「絵のように美しい」という言葉もあるが、絵は現実を模して描いているのである。美しいとはたぶん、それを感じる我々の心の側にあるだろう。ただ、私はこのあとも庭園を見て回ったが、登山で見る自然のほうがずっと美しいとハッキリと思った。

ただ、庭園というか上の写真のように日本建築がその中に溶け込んでいると、山にはない、独特の美がある。それは建築物を美しく見せるのと同時に建築物が周囲の庭を美しくもさせるのである。これがあるから日本の四季の美があるとも言え、なければカナダの紅葉などには太刀打ちできないかもしれない。
私は三千院を出た。
もう十二時台になっていた。
昼食を食べようと、三千院正面の「おのみやす」という食堂に入った。もう少し高級感のある店に入ろうとも思っていたが、この店が近くて次に勝林院などに向かう私としては参道を戻って別の店に入るのは面倒に思われた。
予算はだいたい三千円くらいの昼食にしようと思っていたので、この店の一番高いメニューである「おのみやす御膳」というのにした。二千八百円で、私はせっかくの車でない旅なので酒も飲もうと、日本酒を注文した。

日本酒

まず、日本酒の冷やがグラスで出てきた。
私は窓際の席で大原の景色を見ながらチビリチビリと酒を飲んだ。
次に湯豆腐が出た。私はそれを食べながら酒を飲んだ。それはいかにも京都らしい飲酒だった。

湯豆腐


次にメインの料理が出てきた。

おのみやす御膳

出てきたとき写真を撮るのを忘れていて、上の写真の中央箸を置いたところに、きんぴらがあった。
貧乏な私にとってこれは贅沢だった。
いや、この旅自体が贅沢なのだが、酒も含め、三千五百円も昼食に使うことは滅多にないことだった。私は独身で、こういうひとり旅ではひとり分の食費で足りる。しかし、結婚していて子供がふたりなどいたら、四人分払わねばならない。三千円の料理を四人分払えばそれだけで、一万二千円である。私は今回の旅行で三万五千円程度使ったが、これが四人家族だったら、十四万円である。これは現在の私の収入では無理だ。貧乏な家庭に育つと、その分文化資本的に不利になる。
外国に行ったことがある高校生と、県外に出たことのない高校生では文化資本に差が出るのは明らかである。私は自分の子供にカネがないから貧しい経験しかできないという思いはさせたくない。私は小説家として売れたいと思っているが、カネのことに関しても、売れて良い暮らしをしたいという思いがある。・・・良い暮らしか・・・、いったい私はどんな暮らしを望んでいるのだろう?毎年海外旅行に行ける生活をしたいのだが・・・。

私は食堂を出ると、実光院に向かった。
日本の寺はどこでも拝観料を取る。それだけでも私には負担だった。ひとりだからまだマシと言えた。
しかし、寺に入らなければこの旅行の意味はないのである。
実光院の庭は美しかった。何が美しいか私には言語化できないが、日本の美がそこにあることは間違いがないと思った。

次に私は宝泉院に入った。
ここにも庭があり、それを観ながら抹茶を頂くことができた。

茶を出してくれた女性は若く美しい人だった。
外国人が庭にある木を見て英語で、「樹齢は何年か?」と質問すると彼女は英語で答えていた。私の仕事は介護の現場であり、そこで働く女性は失礼ながら教養という点で、レベルが低い。普段、そういう女性ばかり見ているから、今回のように、京都の寺で働く英語ができる美人に会うと、私は世の中の広さを感じるのである。もちろん、普段介護現場で働く女性を見て、教養がないからダメと思ったことはなく、もし付き合うとしたら、同じ趣味とか、同じ教養とかが重要ではなく、同じ価値観を持っていることだと思う。例えば、どんな冗談で笑うかとかそういうことだ。
しかしながら、旅をすると世の中には女性はたくさんいることがわかる。今回のマドンナは宝泉院の抹茶を出してくれた女性と、帰りに京都駅のホームですれ違った女性である。この駅ですれ違った女性は四十代くらいの女性だが、私と眼が合ったとき、私は「気が合うだろうな」と思った。で、思っただけですれ違った。いつものことだ。
私は過去にどれだけの出会いを無にしてきたことだろう。
もっと広い世界で多くの人と交わらねばならないとつくづく思う。

勝林院は拝観料が三百円だった。
実光院や宝泉院の半分以下だ。
それでいてこの寺は、修復のための寄付を募っていた。私は貧乏でケチだから寄付はしなかったが、拝観料を上げたらいいじゃないか、などと思った。
それにしても、私はこの旅行から帰ってきて翌日にこれを書いているのだが、もう寺の区別がつかなくなっている。

次に私が向かったのは来迎院である。
もうその寺がなんなのかよくわからない。
勝林院は法然上人がなんだか議論に勝った場所だとか言うエピソードがあったが、来迎院はなんなのか?今、パンフレットを見ればわかることだが、その気もない。

私は今回の旅行で、仏像にはまったく興味がないことを改めて感じた。
私は菩薩とか観音とか四天王とか不動明王とか、まったく興味がなく、ブッダその人の思想に興味があり、もしブッダが生きていたら話をしてみたいと思う。しかし、仏弟子になりたいとはまったく思わない。ブッダとは対等に話をしてみたい。そう言うと「へ~、おまえはブッダと同じくらい偉いのか?」などと笑う人がいるかも知れないが、そう言う人はブッダと対等に話ができないレベルにあるとしか思えない。私は神を信じないわけではない。ただ、キリストとかブッダとかの教えは、彼らの思想から出ている人間の思想であり、彼らは神ではない。預言者というのは神の言葉を預かる者だが、私は誰かが「神の言葉を預かった」と言っても信じない。私はキリストやブッダを尊敬しないわけではない。ただ、彼らを神のように絶対的な存在と見做すと、自分の思想が彼らに支配されて自由に物を考えられなくなるのが嫌なのである。
普段、死後の世界とか、悟りとか、神の存在とか、そういうことを考えない人が、たまに神社仏閣を訪れ、神仏に手を合わすとき、その人は崇高な気持ちになるかもしれない。しかし、私のように普段から死後の世界とか、悟りとか、神の存在などに思考を巡らせている者は、神社仏閣に行ったところで、手を合わせるありがたみを感じることはない。実際、今回の旅行で私は仏像に手を合わせることはなかった。天皇の墓も同様である。
私は来迎院を出ると帰途に着いた。

大原での滞在時間は約五時間半であった。
寺はみんな同じように見えたが、盛りだくさんな五時間半だった。
大原という歌に歌われるあの場所に行けたことで、私の日本の中で行きたい場所がひとつ減った。日本の行きたい場所は他にもたくさんあるので、少しずつ、その場所を塗りつぶしていきたい。おそらく日本のすべてを見ることは不可能だし、私は海外にも日本以上に興味があるから海外に行く機会があればたくさん行ってみたい。その機会を作るためにも、フリーランスの作家になりたいのである。一年に一作か二作小説を書き、一年に二回海外旅行に行きたい。そういう人生設計があるものの、まだ小説家としてプロデビューができていない。
小説家としてプロデビューすることも大事なことだが、恋愛や結婚など私にはまだしたいことがたくさんある。そのうちの優先順位としては下位にあるのが今回の大原旅行であった。暇だから行ってみるか、その程度の動機だった。しかし、そういう旅行でも行かなかったら、記憶に残らないのである。優先順位が高い物も、低い物も、経験しなければ、人生は空虚な物になりかねない。
ああ、恋愛か。
京都駅ですれ違ったあの女性が思い出される。

京都駅


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