統合失調症の私は、安倍氏を殺害した犯人が、マスコミにより、またいつものマジメでおとなしい凶悪犯のイメージに類型化されることを恐れる
まず初めに断っておきたいことは、殺人は絶対にあってはならないと私は極めて強く思っている人間であるということだ。
では始める。
昨日、安倍元首相が殺された。容疑者はその場で逮捕された。そして、本日のNHKニュースを私は見た。すると容疑者の中学時代のことを語る同級生が取材を受けていた。例によって容疑者がマジメでおとなしく勉強のできる子で、まさかこんな犯罪をやるような子ではなかったなどと語られていた。私はこのニュースを見て、「またか」と思った。というのは、なぜ、犯人の中学時代が、この犯行に結びつけられるのか?直近の職場の上司の話ならまだわかる。なぜ、中学時代なのか?私はそこにこの手の凶悪犯罪を犯す人が出来上がるストーリーをマスコミがあらかじめ用意していて、そこに彼をあてはめようとしていると強く感じる。というのも、私は高校時代、マジメでおとなしく内面では「いつか有名になってやる、見てやがれ」と常に思っている人間だった。私は幼い頃から目立ちたがり屋で、いつもクラスの中心にいて友達もたくさんいる明るい子だった。それが中学生の頃から、「目立つことは不良になること」と思い「現在は目立たないけど、地味に努力して将来目立ってみんなを驚かせてやる」と思い目立つことをやめた。するとフラストレーションは少しずつ溜まっていった。そして、高校二年で統合失調症になった。当時、私をいじめるクラスの中心人物たちを殺したいと思っていた。しかし、殺すと私の人生はおしまいだし、当然殺された者の人生も終わりだ。私は犯罪者になり、一生を棒に振る。「絶対に殺してはならない」と自分に言い聞かせ闘っていた。しかし、テレビなどでは当時の凶悪犯罪者を「マジメでおとなしくて・・・」と類型化することが盛んに行われていた。まるで私を煽っているように感じた。「マジメでおとなしくて有名になりたい者は世間を驚かす凶悪犯罪をしなさい」と私に命じているかのように感じた。私は自分自身に対してだけでなく、そのようなマスコミの論調とも闘わねばならなかった。私は当時マンガ家になりたかった。なぜ世間は夢を追う気持ちを歪めようとするのだろう。マンガと言えば、京都アニメーションを放火した人も、そのような道を目指している人だったと思う。あの事件のときも私はまるで自分がそのような人間になることと紙一重のところにいるような気がした。「マジメでおとなしく優等生で・・・」そのような条件に当てはまる人がすべて犯罪者になるわけではない。そういうタイプの人はたくさんいる。そういうタイプを十把一絡げにして犯罪者予備軍みたいに扱う風潮は人権侵害に当たる。私は統合失調症と闘い共に生き、必死で生きて来た。二十年以上薬を飲み続け、徹夜はしないなど生活を律して、パート労働という経済力の中で、少しでも良い人生になるように努力してきた。そういう人は私だけではないと思う。私は昔、ある小さな工場で採用の面接を受けた。もう少しで採用となりかけたとき、最後に雇用主が質問した。「今までに何か大きな病気に罹ったことはありますか?」私は正直に答えた。「統合失調症を患っています」「それはどういう病気かな?」「昔は精神分裂病と言われていました」すると彼は言った。「あ~、じゃあダメだ。何か事件を起こされたら困るからな」私は不採用になった。統合失調症の人たちは犯罪者予備軍ではない。そのような偏見が、統合失調症を余計に苦しいものにしているのだ。そしてまた、そのような偏見増長の報道がなされようとしている。もちろん今回の事件の容疑者が統合失調症であるなどとはまだわかっていない。しかし、犯罪者の類型化はマスコミでなされようとしている。その類型化されたタイプに統合失調症の多くの人が当てはまると思う。これを逆にチャンスと捉え、国民みんなで統合失調症を考えるべきだと思う。それは人間を深く考えるということだから。