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穂高岳山荘にて、深田久弥を読む

私は先日、ジャンダルムに往復するために、穂高岳山荘に二泊した。その空いた時間に小屋にあった本で手に取ったのが、深田久弥全集の一冊だった。箱入りの立派な本だった。
深田久弥は小説家と言われるが、私の読んだ物はヒマラヤの登山記だった。深田久弥自身の登山ではなく、他の人の登山記だが、まるで小説のように書かれていて面白かった。
私は小説は読むより書く方を好む。他人の書いた物ではどうも満足が出来ない。しかし、神話や考古学や人類学や歴史書などはそれが事実であるため面白く読める。穂高岳山荘の深田久弥も同じように面白かった。
その書棚には、当たり前かもしれないが、山の関係の本しかなかった。雑誌も多くあった。読み物はマンガなどもあるが、古い本が多かった。以前、この山荘か槍ヶ岳山荘で目にした『屏風岩登攀記』などまさにその場所が舞台である本も多く見られた。たぶん、書店では売っていないであろう古い物だ。写真集も多かった。
私は水の入ったペットボトルを木の椅子の肘掛けに置いて、深田久弥を読んだ。初日は外は雨で見る風景もなく、読書に集中した。明日、ジャンダルムに挑むという私にとって、古いヒマラヤ登山記は奮い立たせてくれる物があった。ジャンダルムなどアマチュアの日本最高峰である。プロの登山はその先にある。しかし、油断したら、私も今年の滑落事故死者の一人に数えられてしまう。深田久弥の書物を読みながら、時々雨の降りしきる外を眺めて翌日の気象条件を思った。山荘の休憩室のテレビには、明日の予報、九時曇り、十二時晴れとあった。十時か十一時頃ジャンダルム山頂に着けばベストかと想像した。即ち、明日の朝は山荘待機の時間がありそうだと予想できた。その日は、夕飯まで深田久弥を読み、夕飯から九時の消灯三十分前くらいまで深田久弥を読んだ。雨はまだ降っていたが、山荘は静かであった。山で山の本を読む幸せを存分に味わった。命懸けの登攀前日のことである。
翌朝は雲が多かったものの、日が差していた。やはり昼には晴れそうであった。しかし、私はジャンダルムから帰ればまたこの穂高岳山荘に泊るので時間は十二分にあった。奥穂高まで登る時間を考慮に入れれば霧が晴れる一時間前くらいに山荘を出ればいいと思われた。前日会話した男性で、翌日は穂高岳山荘前にテントを張って一日過ごす予定であった人に、私のジャンダルム日帰りプランを紹介したら、「その手があったか」と行く気になった六十歳の男性がいて、彼が昼には雲が上がってくるだろうと言うから、私もあまり遅く出るのも良くないと思い、七時五十三分に山荘を出た。地図の参考コースタイムでは五十分とあるのを、今記録を見たら十九分で奥穂高山頂に着いているので何かの間違いだと思うが、実感では三十分もかからなかったのは確かだと思う。二日前に横尾山荘で同室だった北海道から来た男性も前日は涸沢ヒュッテに泊ったとのことで、奥穂高に行こうか迷っていたところ私が強く勧めたこともあって、登って来ていた。登って良かったと言っていた。山頂では晴れて、私は彼に穂高神社の祠とともに写真を撮ってもらった。そして、霧の中に見え隠れするジャンダルムを見ながら話をして、次第に空が晴れてきたので、「じゃあ、行ってきます」とおそらく二度と会うことのない別れをして、私はジャンに向かって行った。
ユーチューブなどで見ていた、この先危険という看板を写真に収め、私は最初の難関「馬の背」へと向かって行った。

いざ、馬の背へ


この記事ではジャンダルム登攀の詳細は詳らかにせず、他の記事に譲るが、私はジャンダルムを怪我なく無事に登頂し生還した。生きていなければこの文章は書けないだろうから途中で引き返さない限り私が登頂したことは当然わかることだろう。
ジャンダルムは帰りの方が楽だった。いや、楽と言っても命懸けには違いはない。奥穂高に戻るとジャンダルムは霧の中だった。十一時十八分と登山アプリ・ヤマップの記録にはある。このヤマップは非常に便利であるが、ナビ同様頼りすぎては自分の中の地図が出来ない。時間の管理もコンピューター任せになってしまう。今回は私は紙の手帳に記録しなかったが、やはりアナログも重要であるとわかった。雨のザイテングラートを登ったときはとても紙の手帳を取り出すことは出来そうもなかったため、記録をしないことにしたが、基本的にはヤマップを使用しつつも紙に書いた方が充実した山行になると思った。
さて、小屋に帰ると、昼飯として担々麺を食べた。そして、晴れていたので、二十分で登頂できるとされている涸沢岳に登ろうとしたら、食べたばかりの担々麺が腹の中にあり、登るのはしんどいので、少し山荘内で休むことにした。そのうち霧が出てきたので、涸沢岳は行かないことにした。同じ日程でジャンダルムに登った男性が、天気予報では晴れだから絶対に晴れ間が出ると信じて涸沢岳に登ったらやはり晴れたと後で言ったので、登れば良かったと思ったが、私はおそらく北穂高に登るときが来るだろうから、涸沢岳も登ることがあるだろうと思い登らなかった。なぜか涸沢岳はいつでも登れるような気がした。行くチャンスにいるときほどそんなことを思うものである。私は山荘の前のテラスでコンビーフをつまみにビールを飲んだ。

それから小屋内でまた深田久弥を読んだ。山小屋では景色が悪ければ本を読めばいい。もちろん、この小屋は本が充実しているという好条件があるのは言うまでもない。夕方はずっと小屋の裏のテラスでカメラを片手に沈みゆく夕日を見ていた。そこからは次第に赤く染まるジャンダルムも見えた。日の沈む方にはまだ登ったことのない笠ヶ岳が見えた。

ジャンダルム
夕陽と笠ヶ岳

私はこのようにして登山により、まだ登ったことのない山の位置関係を知るのである。山荘正面の東側には常念岳がよく見えた。この夏行こうと思っていた山で、この常念をやめてジャンダルムを選んだ。私は五時からの夕食を食べると再び西側のテラスに行き、夕陽を眺めた。小屋の裏である西側には夕焼け劇場などと名付けられた石垣のテラスがあった。夕陽が沈むと私は再び小屋内に戻った。しかし、書棚のある部屋の窓から見える残照は写真に収めたい衝動を私に焚きつけ、私は再び外に出て西の空を撮るのであった。

残照


夕暗


日没後はまた深田久弥である。
良い夜であった。

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