アカウントと自我
アカウントとは何のことか私はわかっていないかもしれない。
私は生まれながらのパソコン世代ではない。パソコンを使うようになったのは二十代である。子供時代、コンピューターと言ったらファミコンのことだった。パソコンはオタクな大人のものだと思っていた。
私がSNSを始めたのはこのnoteが初めである。
それまではパソコンと言ったらネットに繋がずワードで小説を書くことがまず先にあり、そのあとネットに繋いでインターネットをするようになり、三年前にようやく、職場の同僚に教えてもらってnoteを始めたのである。
私は本名が大橋勇で、このアカウントの名を「SW大橋」としてスタートした。「SW」とはソーシャルワーカーの略である。私はソーシャルワーカー「として」このnoteを始めたのである。精神障害者福祉に役立てるつもりだった。しかし、私は小説を書く人間で、プロを目指している。それゆえにいつのまにか、福祉より小説のことを書くことが多くなった。
しかし、小説家としてのアカウントではない。
ではこのアカウントは何者なのか?
SW大橋勇とは誰なのか?
私はこの「SW」ももう要らないような気がしている。
しかし、ユーザー名を変えると、「SW」を目印に私の文章を読んでくれていた人が私の記事を見つけられなくなってしまう気がするので、変えることは躊躇われる。しかし、「小説家になろう」では、「大橋勇」のみの筆名で書いていて、ネットで検索するとそちらが出てくる。
まあ、SW大橋勇でも単に大橋勇でも構わないのだが、私は記事を書くとき、嘘は書かない。フィクションさえも嘘ではない。裸の私を見せている。
だから、アカウントが裏とか表とかもないし、何々「として」の自分が書いているわけでもなく、正真正銘自分が書いている。
つまり、アカウントと自我が一致している。
いや、本当にそうか?
文章表現のみが表現ではあるまい。
そうだ、文章表現以外の私は家族や友人と別の表現手段で会話している。
アカウントは私にとって文章表現の世界への窓枠であるに過ぎないと思う。