統合失調症と職業訓練
私は統合失調症を患っていた。
そして、社会福祉士の資格を取った。当時は社会福祉士としての志に燃えていたが、どっちかというと小説の志のほうが強かったので、精神障害者の就労支援施設に転職という志は折れ、以前から勤めている老人ホームで介護福祉士として仕事をしながら小説を書いている。
この、noteを書き始めたのは、社会福祉士として燃えていたときのことで、それゆえ、SWを名乗り、精神障害者福祉についての記事を中心に書いて来た。今回も『統合失調症と職業訓練』という題で書く。
上記のように私は就労支援施設でソーシャルワーカーとして働くという志は捨てた。しかし、まだ統合失調症が完治していない現状であるため、福祉にはソーシャルワーカーとしても当事者としても関心がある。
で、今回は職業訓練の話だが、障害者にパソコンを教える施設があるようだ。就労のためにパソコンを教える。ふむ。しかし、仕事とはパソコンができないとできないものだろうか?私は二十年以上働いているが、パソコンを使ったことはほとんどない。この文章はパソコンのワードで書いているが、私はエクセルもパワーポイントも知らない。エクセル、パワーポイントを障害者に教えてどうするのだろう?エクセルやパワーポイントができます、社会人としての技能は身につけています、というのは現実的なものだろうか?なんとなく社会がITの時代なので、パソコンができることが社会人として必要な技能みたいに勘違いされているのではないだろうか?昔のタイプライターみたいなもので、タイプライターが出た当時はタイピストというのがオシャレな特に女性の職業だったような気がする。仕事とはオシャレでするものではない。かっこいいなー、と憧れた職に就くというのもたしかにあるのかもしれないが、私は現在の介護職に憧れたことは一度もない。誰がお年寄りのウンコの付いた尻を拭くことに憧れるだろう?そう、介護の仕事は、パワーポイントはできなくとも、お尻が拭ければできる。難しいことではない。私の施設では必ずゴム手袋をしてお尻を拭く、あの薄い膜が自分を守ってくれていると信じている。それでも、いつになってもお尻を拭くのは嫌な仕事だ。それでも仕事だからする。私はそんな仕事を十年続けている。
そういえば私は障害者として職業訓練を受けたことは一度もない。いきなり、ハローワークで仕事を見つけ、工場のハードな肉体労働を始めた。そのときもパソコンなどとは縁のない仕事だった。園芸用肥料の鶏糞を袋に詰める仕事だった。鶏糞とは鳥のウンコだ。そのときから私はウンコに縁があるらしい。その仕事を五年続けたことは私の自信になり誇りになった。職業訓練で一番大切なことは、パワーポイントが使えるということではなく、自分は働けるという自信を得ることだと思う。私は二十代、英語ができないことで自信がなかった。しかし、三十代になって英語をあきらめたら自信がついた。パワーポイントもそういう類のものかもしれない。私はパワーポイントなどできないが、やればできるだろうという自信はある。自信とはそういうものだ。
それと、私が今回書きたかったことはもうひとつあって、それは専業主婦という選択肢だ。もちろん男女同権の時代だから、男性が主夫をしてもいい。しかし、現代のお母さん(お父さん)は昔の主婦と比べて家事ができないのではないかと思う。料理が上手な主婦か下手な主婦かでその家庭の食の質がまるで違ってしまう。アイロンのできる主婦、ズボンの裾上げができる主婦、ボタンの付けられる主婦、茶わん蒸しの作れる主婦、おせち料理の作れる主婦、そういった、家政というか、女子力を上げる技能を職業訓練では教えたほうがいいのではないかと思う。特に女性は就職して何年かして結婚し、子供ができたら退職、などというケースも多いだろう。そうなると目先の就職に目標を定めて、役に立つかもわからないパソコンの技能を習得するよりは、家政の力を身につけたほうが一生役に立つ技能になると思う。もちろん、男性にも同じことが言える。男女同権、女性の社会進出などと言って、女性が男性の世界に入っていくというモデルはもう捨てたほうがいいと思う。そういう流れができてしまったため、昔の女性に比べ現在の若い女性の方が家政には弱い。老後のことを考えても、夫が退職すれば妻が引き続き家政を担い、夫は趣味に勤しみ、いてもいなくてもいい存在になり肩身の狭い思いをする。だから、これからは男性も家政を身につけるべきだと思う。だいたい、家事能力のないが収入を得る仕事をしていた男性が一家の大黒柱として威張っていたのはおかしいのだ。家政を担う主婦がいてこそ家庭は成り立ったはずだ。つまり大黒柱はふたつあった。しかし、昔からカネを得る者が偉いみたいになっている。主婦にも能力の差があるのに、それを正当に評価する尺度はない。ただ、家族は美味しい料理を作ってくれるお母さんを頼りにする。料理の質は家庭の質にも繋がる。精神障害者の職業訓練を考えるにあたっても、ただカネを稼ぐための技能というより、より豊かな人生を生きられる技能を身につけることを重視したほうがいいような気がする。
この文章を読んで「女は家政婦ではない」と思った方もいるかもしれないが、家政婦という存在そのものが貴族的な発想で、家政の能力を不当に低く見る価値観の根底にあるものだ。
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