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芸術家は世界観が偏っていたほうがいい。
私は小説家で、というか、中学生からマンガ家を目指していて、その頃から自分のオリジナルの世界観を構築することに人生を捧げてきたと言っていい。
魅力ある芸術作品は独特の個性があるものだと思う。
普通の人は絵を描いたりしても、それを人前で展示するとなると恥ずかしがる場合が多いと思う。
しかし、恥ずかしがるようでは芸術家ではない。
また、普通の人の作品は見る側も普通の人だから、特に心を動かされることはないだろう。
芸術家は変人でなければならない。
しかし、多くの人に受け入れられるには、普通の感覚を持っていなければならない。これは小説に言えることだ。普通の人を異世界へ導くような冒頭を書けるのは、普通の感覚で日常を暮らしていなければならない。それでいて、作品に誘い込むにはグイグイとは非日常に引っ張っていく、特別な感情が必要だ。そして、読後感がしばらく読者を支配してしまうような、狂気すら必要だと思う。
しかし、芸術家の人生は狂気に飲まれず、普通の人でもなければいけない。しかし、表現に際しては、変人、変態、狂人、病人、阿保、情熱家、などなどでなければいけない。
そして、普段から世界を独特の視点で見なければならない。世界を見るメディアの情報は鵜呑みにせず、一度自分のフィルターを通した方が良い。そうやって自分の世界を生きるのが芸術家だ。
芸術の立場は、世間の価値観に翻弄されてはいけない。独自の世界を生きるには覚悟が必要だ。孤独になるかもしれないが、私は同じ世界観を持った者ばかりで友達関係を作ることよりも、違う世界感をコミュニケーションで分かりあうことの方が価値があると思う。芸術作品はそんな個性をカタチにすることで他者に関心を持ってもらうためにあると思う。そういうインパクトのない作品はあまり成功せず、偏っているのに共感できる世界観こそが芸術として成功するのに必要だと思う。
こういうことを言うと、「芸術の成功は世間で認められることではない」という意見が出そうだが、優れた作品は自然と世間に認められるものだ。
しかし、私の書いている小説は売れてなんぼだと思う。カネを払ってでも読みたい作品はやはり力のある作品である。