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戦争ニュースで「女性や子供」と言う表現が使われることに対して、大人男性として一言。そして、つながろう。

最初に断っておくが、私は戦争においてどこの国を支持する者でもない。ただ、弱い者の味方である。
 
で、「弱い者の味方」と言ってみたが、それは戦争ニュースで使われる「女性や子供」と同じ意味だろうか。私は大人の男性だ。外国から侵攻された国から逃げて来た子連れの女性が、夫は戦うために国内に残った、などと言う話を聞くと、大人の男性の私としては複雑な気持ちになる。もし、日本が外国に攻撃されたら、私は逃げたいという気持ちもあるが、日本国内に留まり続けたいという気持ちもある。ただ、戦いたいという気持ちはない。大人の男性は戦うべきだろうか?女性や子供は逃げることが許されるのだろうか?同じ命ではないのか?とくに、なぜ、子供と女性が並列に並べられるのか?とくになぜ「女性」なのか?男性の命は女性よりも軽いのか?それとも「男なら戦いなさい」と言うのだろうか?ちょっと待て。フェミニズムはどこに行ったのだ?男性と同じように社会進出するように声高に唱えて来たのがフェミニズムではなかったのか?非常時だけ守られるべき弱い者になるのは都合が良すぎないか?しかし、これは裏を返せば、未だ女性が弱い者であるとされている証拠なのだと思う。社会は男性の物だというわけだ。いや、強い者中心の社会なのだ。私は弱い男だ。戦場になど怖くて行けない。だが、歴史は弱い者が団結すると強くなることを証明してきた。団結しよう。老若男女、弱い者に優しい社会にしよう。と言うか、「強い者」って誰だ?どこに「強い者」はいる?私には誰もが弱さを持っていると思える。その弱い者に権力が集中すると、その弱さゆえに、権力を怖ろしいことに行使するのだと思う。
 
人間はみんな弱い。自分の弱さを隠さずに、つながることを考えよう。

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