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『ジャンダルム』(14)下山【ノンフィクション小説】

翌朝は晴天だった。
東の雲海上に日の出を見ることが出来た。
十五分ほど日の出を鑑賞した。


記憶が定かではないのでこの時だったか、前日だったか忘れたが韓国人のグループの集合写真を撮ってやった。私はそのとき、「はい、チーズ」ではなく「キムチー」と言ってみた。そのときは、ザックカバーを盗んだと疑われていた件は忘れていた。私の中にはジャンダルムのみが大きく存在していた。


五時からは朝食だ。
向かいの席には手ぬぐいの男が座った。この人、俺を狙ってるのか?そんな疑いを抱くほど偶然行動が一致していた。彼はこの日、私と同じコース、つまり奥穂高から吊り尾根を通り、前穂高に登る。重太郎新道を降りて、岳沢を通って、上高地へ下山する。そういえば、あの八十二歳のおじいちゃんは昨日、重太郎新道を降りて岳沢に泊ったはずだ。無事だろうか。
私は名前も知らないこの山行で会った人たちとの一期一会が楽しかった。ちょうど私は最近、山メシの美学など考えていて、茶道の野点のだてをヒントに、山の中で、独り、あるいは誰かと、粗末な食事をする楽しみを味わうという趣味を考えていた。茶道には一期一会という人間関係の思想も含まれている点が興味深いと思った。
山もまた一期一会、人生もまた一期一会。
私は食事を終えるとすぐに出発した。
梯子と岩場を乗り越えると、また右手にジャンダルムが見えた。

ジャンダルム


空は快晴だった。
奥穂高山頂からは槍ヶ岳も見えた。

槍ヶ岳

しかし、私は槍よりも、ジャンダルムの方に魅力を感じた。確かに、西の双六岳や東の蝶ヶ岳から槍と穂高連峰を見るのは壮観かもしれない。しかし、私は槍よりもジャンダルムの方がかっこいいと思う。天空の要塞だ。霧から姿を見せるところにロマンがある。美しいジャンダルム。私はそれを後ろに残して、奥穂高から吊り尾根に進んだ。正面には前穂高岳が見える。一昨年霧で見えなかった、前穂高と奥穂高、そのふたつを結ぶ吊り尾根がしっかり見える。以外と近い。

前穂高岳へ

この吊り尾根で私は生き死にの大冒険をしたとは信じられなかった。やはり登山は天候によりその難易度が全然変わる。
私は今朝、お湯をもらいコーヒーを淹れた。持参したインスタントだ。
しかし、まだコーヒーを飲んでいないのに吊り尾根の途中でどうしてもオシッコがしたくなった。道から逸れたところでさせていただいた。すると後続の二十代男性二人組が立ち小便をする私の後ろを通過していった。私はペースの速い彼らに追い抜かれるためにも立ち小便をした。いや、これはよくないことだ。だが、尿意があるとき人は焦りやすい。登山中焦るのは危険だ。だから、安全第一を考えて、私は立ち小便を選んだ。そして、一物を仕舞うと私は出発した。すると、追い抜いていったふたりが道の脇で、立ち止まっていた。ひとりが、ツエルトを体に巻き付けている。そして、ビニール袋がなんとかと言っている。私は合点がいった。彼はこれからクソをするのである。そういえば私は登山中、小屋のトイレ以外でクソをしたことがない。そういうのも経験かもしれない。
私はひとり前穂高に向かった。結局このふたりにはまた追い抜かれるが、そのとき、私は後ろを行く方に言った。「チャックが開いてますよ」。男は慌ててチャックを閉めた。クソをした方だろうと思った。

吊り尾根


しばらく歩くと紀美子平という場所に着いた。
これで吊り尾根は終わりだった。私は一昨年死ぬ思いでこの道を奥穂高に向かったのは何だったのかと思ってしまった。それが悪天候の恐ろしさだと思った。登山は晴れを想定して仕度するべきではなく悪天候を想定して仕度しなければならないと思った。
紀美子平ではそこにザックを置いて、前穂高に登るのが通例であった。私も晴れの前穂高は初めてで、ザックをデポして、身軽になって山頂へ向けて登り始めた。


前穂高からの景色は絶景だった。私は持ってきたチョコパンとコーヒーを槍ヶ岳を見ながら飲み食いした。美食ではないが、これも野点と思えば味わい深いものかもしれないと思った。


しかし、この景色は絶景だが、昨日、ジャンダルムに向かうとき、奥穂高から霧の晴れていくジャンダルムヘ向かうとき、そのときのジャンの景色の方がずっと美しいと思った。いや、かっこいいと思った。それはもしかしたら自分がカッコよかったのかもしれない。
私は前穂高のひとときを過ごすと、紀美子平に降り始めた。途中で手ぬぐいの男とすれ違った。「やっぱり早いですね」「ああ、ここで会いましたか」などと言って、同じジャンダルムを踏んだ間柄の一期一会は終わった。
私は紀美子平にデポしたザックを背負うと、重太郎新道を降り始めた。
しばらく岩場が続いた。私はジャンダルムで完全に三点支持の癖がついていた。初心者のようにお尻を石に乗せて前向きに降りるようなことは絶対にしなかった。面倒でも後ろ向きになって、足場をきちんと確保して降りた。私は成長していた。

岳沢パノラマ
朴葉寿司の弁当


岳沢パノラマという場所で私は穂高岳山荘で朝受け取った弁当の朴葉寿司を食べた。これが山メシの美学に通じるかなど、思想的なことを考えていた。
しかし、そんなことよりも私が気になっていたのは、岳沢のテント場に出没するというクマである。私は弁当をかたづけると、すぐに出発した。
岩場が終わると緑の中に入った。下には岳沢小屋が見える。


私はクマに会うことなく岳沢に到着し、テラスにザックを置いて、百円を払ってトイレでオシッコをした。なにか美味いジュースでもと思ったが、水を飲んだら、何も欲しくなくなり、ザックを再び背負い、上高地に向かって歩き始めた。多くの人とすれ違った。
随分、下山路が長く感じられた。しかし、人が多く登ってくることから、上高地は近いと思われた。


そして、ついに木道が始まり、三日前歩いた遊歩道に出た。そこには登山客だけではなく、一般の観光客が多く歩いていた。山の中なのに都会のような気がした。


河童橋は行きに見たより人が多かった。銀座か新宿か、はたまた渋谷か、そんな感じだった。
私はバスターミナルの食堂でビーフカレーを食べた。行きはカツカレーだった。そこにはなんのこだわりもないが、ここには都会の安心感があった。


食事を済ませると、私は十四時十五分のバスに乗り、さわんど駐車場ヘ向かった。
駐車場には私の車が私の来るのを待っていた。私はザックを後部座席に投げ込み、登山靴を脱いでスニーカーに換えると、運転席に座った。
駐車場を出たすぐの所にある温泉に入って汗を流し、私は自宅のある静岡県目指して車を走らせた。途中、夕食としてコンビニのおにぎりを食べた。
家に帰ると両親がいた。
母は私が臭いと言い、風呂に入れと言ったので、私は温泉に入ってきたのに、などとブツブツ言って風呂を沸かし体をよく洗って湯に浸かった。
父は笑って言った。
「いつも、おまえは登山をするたびに、『世の中には二種類の人間がいる、○○に登ったことのある人間か、登ったことのない人間か』。今度はどうだ?ジャンダルムに登った人間と登ってない人間と分けるか?」
私はそれを聞いて思った。
「あれ?去年、剣岳に登ったときは冗談半分に言ったけど、なぜだろう?ジャンダルムに登ってからは、本気でそう思う。世の中の人間は、ジャンダルムに登ったことのある人間と、登ったことのない人間に分けられる」
その夜は、洗濯をしたり、荷物を片付けたりして過ごし、久しぶりにエアコンの効いた部屋で眠った。
翌朝、山行の習慣で、五時台に起きると、自分がまるで今までの自分とは違った人間になっているような気がした。男になっていた。
私は「女を抱いてみたい」そう思った。それは性の妄想から来る思いではなく、なんというか男としてそれが必要だと思ったのだった。女を抱いてこそ一人前、そう思った。

(完)

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