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【妄想短編小説】京都駅ですれ違った女
私は先日、京都大原に日帰りで行ってきた。
静岡県在住の四十五歳男性で、独身である。いや、独身というか恥ずかしながら、この四十五年間という長い人生で「彼女」というものを持ったためしがない。
そんな私は、夕方、帰りの京都駅新幹線ホームで新幹線「ひかり」を待っていると、ホームの後ろの方から、女性がひとり歩いて来た。その女性は歳の頃四十くらいと見受けられ、私と相性の良さそうな顔をしていた。
私は、「ああ、素敵な出会いだ。でも、まあ、ここでこれまで通りだと、何もなくすれ違って終わるんだろうな」そう思った。
「いや、まて」
*
彼女が私の前を通り過ぎようとしたとき、私は彼女に声をかけた。
「あの、すみません」
彼女は立ち止まり、私の顔を見た。
「はい、なんでしょう?」
「いや、その、きれいな人だなと思って声をかけただけです」
彼女は微笑んだ。
「ありがとうございます。でもまさか、あなたが声をかけてくれるとは思いませんでした」
「え?」
「私とさっき眼が合ったでしょう?」
「ええ」
「そのとき、私はあなたと運命的なものを感じました」
「え?」
「でも、そんなことは都会にいればよくあることなので、素通りしようと思いました。でも、あなたは声をかけてくれた」
「今日は、どちらまで行かれますか?」
「静岡です」
「静岡?僕と同じです」
「じゃあ、一緒に新幹線の中で話をしていきませんか?」
「でも、あなたは指定席ではないんですか?僕は自由席です」
私は自分で何をバカなことを言っているのだと思った。
「指定席から自由席に変えても問題はないでしょう?」
彼女がそう言うので、私は頷いた。
私たちはホームで微笑みを湛えながら見つめ合っていた。
彼女は言った。
「私は美由紀と言います」
「美由紀さん・・・」
「あなたは?」
「僕は大橋です。大橋勇と申します」
「勇さん・・・静岡にお住まいがあるんですか?」
「ええ、藤枝の実家に住んでいます」
「ああ、私は清水です」
「清水ですか?」
「と言っても、住民票は東京にあるんですけど」
「え?」
「私、結婚してるんです」
彼女のこの言葉に私の期待値はグ~ンと下がった。
「結婚して東京に住んでいるんですか?」
「はい」
「ご実家が、清水?」
「そうなんです。私、夫とは別れようと思っているんです」
「え?」
「あ、ごめんなさい。こんな話、出会ったばかりの駅のホームですることじゃないですよね」
「いや、そんなことはないですよ」
そのとき、トゥルルルルと駅のホームに新幹線が滑り込んでくるベルが鳴った。
新幹線「ひかり」がホームに滑り込んできた。
私たちは新幹線に乗り込み、ふたり席に並んで腰を下ろした。
私は駅弁を広げた。
「ごめんなさい。夕食は新幹線で食べようと思っていたので」
すると美由紀さんは笑った。
「私もです」
そう言って彼女は幕の内弁当を取り出した。
ふたりは弁当を食べながら会話を再開させた。新幹線は滑り出した。
「美由紀さんは、お子さんはあるんですか?」
「いいえ、ないんです。今の夫とは三十七歳で結婚しました。でも、なんというか、合わなくて・・・」
「合わない?」
「そうなんです。ともに生活をしていても、相性が悪いんです」
「なぜ、そんな人と結婚したんですか?」
「彼は私の職場の上司なんです」
「へえ」
「だから、職場では彼はカッコよく見えました。権力があるからですかね?仕事ができる人です」
「うん」
「でも、結婚してみると、嫌なところばかりが見えてきて、それで・・・」
「そうなんですか?三十七歳で結婚?失礼ですが今はおいくつですか?」
「四十です」
「四十」
彼女は薄ら笑って言った。
「四十のオバサンだなんて、もう男性は誰も結婚してくれないでしょうね」
私は言った。
「あなたはオバサンという雰囲気の人じゃないですよ。美人だ」
「ありがとうございます。ところで勇さんは、結婚されていますか?」
「未婚です。恥ずかしながら、彼女いない歴イコール年齢です」
「え?それは凄い」
「凄い?」
「だってそうじゃありませんか。女性が嫌いなわけじゃないでしょう?」
私は笑って言った。
「僕は女性大好きですよ。スケベなんです」
彼女は笑った。
「スケベなのに、独身なんですか?なぜ?」
「奥手なんですよ。さっきもあなたに声をかけたとき一瞬の迷いがあったのですが、勇気を出しました」
「でも、嬉しかったですよ。私は今回、京都にひとり旅に来たのは、今後の人生を考えるためです。暗かったんです。でも、あなたに声をかけられて、明るくなりました。世の中には多くの素敵な男性がいる」
私はこの「素敵な男性」という言葉に熱くなるのを感じた。
「清水のご実家に帰るんですね?」
「ええ。もう夫の所には戻らないつもりです」
「じゃあ、お仕事は?」
「もう辞めようと思います。夫が職場にいては耐えきれませんから」
「うん、そうですね。何か当てはあるんですか?」
「実家に帰ってゆっくり考えようと思います」
「そうですか」
私はのり弁を食べ始めた。彼女も幕の内弁当を食べた。
私は彼女に訊いた。
「今回の京都ではどこに行ってたんですか?」
「大原です」
「大原?僕と同じじゃないですか?え?今日?」
「いいえ、昨日、大原に行って、今日は東山を見て来ました」
「あ、そうなんですか?」
「京都大原三千院、恋に疲れた女がひとり」
彼女がその有名な歌を口ずさんだので私は笑った。
「だから、大原か」
「恋どころじゃないですよ。離婚です。しかもアラフォーで」
「アラフォーでもあなたは魅力的です。京都も似合う女性ですよ」
「どういう意味です?」
「え?京都があなたを素敵にしてくれるし、あなたが京都に花を添えてくれる」
「よくわからないですね」
彼女は笑った。私も笑った。
「僕は正直、今回の旅の一番のハイライトは大原じゃなくて、あなたのいるこの新幹線かもしれないと思います。こういう出会いが旅の良さかも知れないです」
「私もあなたに会えて良かったと思います。あの・・・」
彼女は言葉を切って言った。
「もしよかったら、連絡先を交換しませんか?」
「いいですよ」
私はふたつ返事で言った。こうして、私のスマホに彼女の名前と電話番号、メールアドレス、それからLINEのアカウントが加わった。
彼女は言う。
「私は清水で勇さんは藤枝ならば、時々、会えますね」
「そうですね」
「会ってくれますか?」
「もちろん」
私たちは新幹線のシートで、弁当を食べることも忘れてしばらく見つめ合っていた。
新幹線「ひかり」は夜の星々にも似た家々の灯りをすり抜け、私たちを静岡に運んでいった。
○
こんな物語を旅行から帰って何日か経ってから書いているようだから、私は彼女ができないのである。京都駅ですれ違っただけの女にこれだけの妄想を膨らませるのは変態だろう。男女の出会いとはどんなふうに始まるのか、四十五歳独身の私の悩みである。
(了)