ペルー旅行の知的準備
私は今年の夏、海外旅行をしようと思っている。
行き先はペルー。
あのマチュピチュやナスカの地上絵などがある国だ。
ずっと憧れだった。
私は収入が少ない仕事をしているが、たまにこういうご褒美があっても、いいかなと思う。
いや、こういうのがない人生は生きていて意味がない。
生きて意味がないと言うと、じゃあ海外旅行に行けない人は生きている意味がないと言うのか、と叱られそうだが、そういう意味で私は言っているのではなく、あくまで私の人生観を述べているのだ。
私の理想の暮らしは、ベストセラー作家になって、毎年ヒット作を連発し、年に一度か二度は海外旅行に行き、その旅行をネタに次の小説を書くという、そういう人生を理想としている。
だが、まだ小説家としてデビューできない。
いや、noteに有料公開した小説がちょっとは売れたからデビューしたと言えるかも知れない。しかし、メジャーデビューではない。
紙の書籍になって百万部売れたい。
しかし、それがなかなか実現しないため、「もう行ってしまえ!」ということで、ペルーに行くことにした。
しかし、貧乏人。
せっかく大金を出して行く海外旅行を無駄にしないため、半年前の現在から準備を始めた。
まずは、その国の歴史だ。
正確にはその文明の歴史。
今回はペルー。アンデス文明だ。
アメリカ大陸の文明には文字がない。
だから、歴史書が残っているわけではない。
スペインの征服者たちの記録で、インカ帝国のことがわかる程度だ。
あとは考古学の世界である。
私は小説家としての意識が常にある。
この旅行も、小説のネタにしようと狙っている。
そのためには予備知識が必要だ。
今日は静岡に行って、本を三冊買ってきた(上の写真の四冊のうち三冊だ。一冊は先日家の近所の本屋で買った)。
静岡には、大きな本屋が丸善ジュンク堂の一軒しかない。
そこの歴史の棚に、アメリカ文明のコーナーはほんのわずかしかなかった。
東京だったら、もっと沢山の本を見つけることができるだろうに、と静岡の田舎であることを呪った。
本当に都会と田舎の文化資本の格差には腹が立つ。
私が高校生の頃、いや、中学生ぐらいから東京に住んでいたら、もっと知的刺激が沢山あって違う人生だったろうに、と思う。
私の田舎では、週末は本屋を梯子して、マンガの復刻本を買って読むことしかできなかった。
図書館で借りるという選択肢は私の中になかった。
図書館とは真面目な奴が行くところであると思っていた。
私の世界観の基礎は『少年ジャンプ』だった。
それが今、四十代でペルー旅行だ。
『少年ジャンプ』と「ペルー旅行」。
この世界観の格差。
ようやく四十代で辿り着いたよ。
私は大学は文学部哲学科で、文学や哲学の本を大学卒業後も読み続けてきた。
大学卒業後はマンガはほとんど読んでいない。
マンガを低く見るわけではないが、マンガだけしか世界観の視野がないのは無知である。
でも、マンガで育った私が、ようやくペルー旅行まで辿り着いた。
それに関する知識を得るために書籍を買う。
これを高校生くらいでできていたら、全然違ったろうにとも思う。
しかし、過去のことはいい。
私はテレビを見ない。
プロ野球もJリーグも関心が無い。
テレビがNHKと民放の二局しかなかった時代、「巨人大鵬玉子焼き」子供の関心は世界観は画一的で狭かった。
もうそんな時代は終わった。
少なくとも四十代の私はそこから抜け出した。
だから、例えば、一様に大谷翔平の活躍を話題にする日本人を私は憐れみの眼で見る。
「他人の活躍より自分の活躍だろ?」
ペルー旅行は私の中でビッグイベントなので、テレビを見ているよりは、旅行の予備知識を得るための読書をしたい。