『空中都市アルカディア』7

二、   ホバースピード

 スピードレースはトリトン海浜公園のボードパークをスタートし、アクロポリス周囲の市街地を滑走してまたトリトン海浜公園のボードパークに戻って来るというコースだ。レースの日は市街地の交通が制限される。沿道の建物の窓には多くの観客が集まる。市街地には多くの障害物がある。街路樹、街灯、信号機、キオスク、駐車中の自動車やホバーバイク、カフェテラスのテーブルや椅子やパラソル(これらはわざと置かれてある)、など、それらをかわして滑走する。

 一般の部の前に、ジュニアの部のレースがある。

 シロン、ライオス、カルスたち約五十人の十四歳以上十八歳未満の少年たちはスタート地点に着いた。シロンは自分の黄色のホバーボードに乗った。ライオスはエンジ色のボード、カルスは黒いボードに乗った。もう、三人とも子供用のボードではなく大人用のボードに買い替えてある。

 ところで、この大変動後の新世界にはピストルという物はない。銃火器は存在しない。だから、スタートはピストルの合図ではなくホイッスルだ。

 そのホイッスルが今鳴った。

 十四歳以上十八歳未満の少年たちはボードの前部を踏み込んで発進した。

 シロンが一番に飛び出した。

「さすが、シロンだな」
ライオスは苦笑して二番手につけた。そのあとをカルスが追う。

 ギリシャ勢三人の先頭争いに沿道の市民は沸く。

 海浜公園を出て田園地帯を滑走する。市街地に入る。駐車中の自動車や街灯を避ける。カフェテラスの屋根の下を身をかがめて滑走する。シロンはずっと一位をキープする。二位をライオスとカルスが争う。その後ろを、ドイツ人の何某とシリア人の何某、チュニジア人の何某が追い越し追い越され虎視眈々とギリシャ勢の疲労を待つ。ちなみにドイツはギリシャの北方の山のさらに北にある国だ。また、シリアはアラビア半島に似た土地の地中海に近い内陸にある。チュニジアは北アフリカにあるのだが、そもそもアフリカ大陸は旧世界とは全く違う。砂漠はほとんどなく密林と草原が広がっている。チュニジアのことをカルタゴと呼ぶ者もいる。

 リカヴィトスの丘を右、アクロポリスのパルテノン神殿を左に見てコロナキ界隈を滑る。そして、オモニア地区へと向かう。

 カルスは加速する。ライオスを突き放して、シロンの背後につける。

 市街には障害物が多い。

 シロンはカフェテラスのテーブルを飛び越える。そのテーブルが倒れ、後続のカルスの前に転がる。カルスはボードの後ろに一旦体重をかけ前を浮かし、それから前を踏み込んで空中に駆け上がるいわゆるチックタックフライで空中に逃れ、また路上に降りて滑走する。ライオスは跳び上がらず、テーブルを左右に避ける。

 大きな急カーブがあり、そのカーブではどの選手も、外側のレンガ造りの四階建ての建物の壁にボードを押し付けて、曲がってから路上に体勢を立て直す。そのため、あまり集団で固まって滑っていると転倒者が続出する。

 シロンは相変わらず一位だ。

カルスはわめいた。
「なんで、あいつはあんなに速いんだよ」

ライオスが後ろから言った。
「あいつは天才だ。親友の俺だって悔しいくらいだ」

「ちっ」

カルスはライオスの進路を妨害する。

ライオスは言った。
「危ないな」

「それがレースだ」
カルスは笑った。

ライオスは言った。
「おまえ、二位争いで悔しくないのか?ほら、前にいるのは誰だ?シロンだろ?」

「うるせえ。俺はあいつやおまえが大っ嫌いだ」

「なぜだ」
ライオスは訊いた。

カルスは答えた。
「なぜかムカつくんだよ。勉強ができる奴は勉強だけしてればいいんだ。スポーツまで手を出すな」

背の高いライオスは黙った。減速した。だが、ハッと気づいてまた加速した。いつのまにか四位になっていた。三位にはドイツ人の何某が滑っていた。

カルスはなんとかシロンの後ろにつけた。
「シロン、勝負だ」

シロンは答えた。
「おもしろい、来い!」

シロンはチックタックフライで空中高く跳び上がった。

「あっ」

カルスが言ったときにはシロンは空中二十メートルを滑っていた。しかし、路上を行くカルスのほうが速い。

「バカめ」
カルスはニヤリと笑って一位に躍り出た。

 が、次の瞬間。

シロンは上空からもの凄い速さで坂道を下るようにして路上に降りた。地球の引力とホバーボードの斥力がうまく噛み合って落下スピードと大地に反発する力が大きな推進力となった。いつのまにかシロンはカルスの五十メートル前を滑っていた。

 レースが終わってみると、シロンが一位、二位はカルス、三位はライオスだった。

浜辺の会場ではレースを終えた選手たちが家族や友人から祝福やねぎらいや慰めを受けている。背の高いライオスがシロンを祝福した。

「おまえが世界一だ」

シロンは笑った。
「ジュニアのな」

そこへアイリスが駆け寄ってきた。
「シロン、おめでとう。さすがね」

「ああ、ありがとう。世界一か。病みつきになりそうだ」
シロンは本当に嬉しそうだった。

ライオスは言った。
「世界一の味わいか、羨ましいな」

そこへカルスが来た。
「シロン、今日は負けたけど、ホバークラッシュでは・・・」

「だから俺は棄権するよ」

「怖いのか?」

と言うカルスにシロンは言った。

「俺とレースを戦ってみて、本当にそう思うか?」

「くっ」
カルスは何も言えず、離れて行った。そして、振り返った。
「やーい、臆病者のシロン。世界一の臆病者!」

カルスは表彰式会場のほうに逃げて行った。

アイリスは呆れて言った。
「子供ね」



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