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八ヶ岳、赤岳鉱泉で過ごした午後日没までのこと

私はテントの設営に難儀して、ようやく平らな場所にテントを設営すると、そのテント内は蒸し風呂状態だったので、外で過ごすことにした。
私は考えた。
「明日、赤岳、横岳、硫黄岳、を縦走してまたここに降りてくるが、たぶん昼には降りてこられるだろう。そうなると、あの蒸し風呂状態のテントで昼寝してまったり過ごすという計画は不可能だろう。そうなると、明日の午後はずっと、赤岳鉱泉でブラブラするしかない。私は三連休を取ってここに来た。最終日、下山して翌日出勤というのも辛いし、なにより明日の午後の過ごし方がわからない。よし、明日下山しよう」
と、二泊三日の予定を一泊二日に切り替えた。
テント泊の受付で「二泊したいんですが」と言ったら、二泊目の料金はそのときに払って欲しいとのことだった。そういえば、去年も別の山小屋で二泊目はその日に払って欲しいとのことだった。それが山の常識かもしれない。
とにかく、予定は一泊二日に決めた。
ところで、そう決めたはいいが、何をして過ごすか?
私は二日目に赤岳、横岳、硫黄岳を登って降りてきたら、赤岳鉱泉の風呂に入る予定だった。しかし、翌日下山することに決めた今、翌日風呂に入る時間はないだろうと思った。じゃあ、今から入るか。
私は貴重品の管理が心配で、小屋の人に、風呂に入りたいのだが、ロッカーはあるか訊いた。
すると、小屋の人は、不思議そうな顔で私を見ていた。
「コインロッカーのことですか?」
と彼は訊いた。
私は、そうです、と言うと、彼は「ちょっと中を見てみますか?」と言って私を風呂場に案内した。そこは一室の中に脱衣場と浴槽がある空間だった。ようするに湯の中に入りながら、脱衣所の様子が見える形だった。
私は入浴料千円を払って、タオルをテントから持ってきて、浴室に入った。
脱衣の棚に脱いだ服と貴重品を置いて、浴槽に入ろうとした。
しかし、湯がメチャメチャ熱かった。
私はあらかじめネットで調べてあって、その浴槽の横にある配管のレバーを捻れば水が出て浴槽のお湯をぬるくする構造であることを知っていた。
私はレバーを捻って、水をダーッと出した。その水と熱いお湯の両方を洗面器で掬って体にかけた。そして、浴槽全体がいい温度になると、私は浴槽内に入った。畳二畳あるかないかの大きさの浴槽である。客は私ひとり。いい湯だった。入っているうちに熱湯の吹き出し口から熱いお湯が出ているのがわかった。天井を見ると木造の梁がそのまま見えた。私は秘湯に入ったような贅沢な気分になった。


ずいぶん温まると私は浴槽を出た。
ひとりだったので、その風呂の様子を写真に収めた。


服を着ていると、ひとり男性客が入って来て、裸になって浴槽に手を入れた。
彼は「メチャメチャ熱いっすね」と言ったので、私はレバーを引いて水を出して薄めることを教えた。彼の背中には肩の近くにタトゥーがあった。私はそれについて思ったが、入れ墨についての偏見は、私の中にあるというより、社会にある。日本が入れ墨はヤクザの物、という固定観念があるため、巷の日帰り温泉では「入れ墨、タトゥーのある方入浴お断り」という看板を目にする。しかし、ここ、赤岳鉱泉では彼のようにタトゥーがあっても普通に入ることができる。しかし、私はこのようなことを一瞬考えたが、彼の第一印象は好感度のあるお兄さんだった。サッカー選手とかにいそうなタイプだ。サッカー選手はタトゥ-を入れる文化があるようだが、彼も似たような経歴があるのかもしれない。
まあ、そんなことは下界で問題にするような話題だ。今はどうでもいい話だ。そう思って、私は風呂を出た。
小屋の食堂の見える休憩室で、私は濡れた冷たいタオルを顔に推し当て、ジッと椅子に腰掛けて、テーブルに肘をついていた。私が温泉に入った後、その濡れたタオルを顔に押し当てて静かに過ごすことの快楽を知ったのは一昨年の上高地での経験からだ。冷たいタオルを顔に当て、静かに山の中にいることを思いながら過ごす贅沢な時間だ。


しばらくボーッとして時を過ごしたら、もう四時頃になっていたので、夕食を摂ることにした。
私は小屋の外の自炊場に行って、湯を沸かし、インスタントの味噌汁を作った。ごはんはおにぎり三つだ。朝、家を出るときに近所のコンビニで買った。ザックに押し込んできたので形が変形し、ツナマヨなどは外に飛び出ていたが、食べられないこともなかった。そのとき、蒸し風呂のようなテント内に翌日の朝食と昼食のためのパンがあることに思い至った。
「やばい、傷むぞ」
そのパンの種類はアンパン、カツサンド、卵サンド、カレーパン、ピーナッツバターのパン四個入り。特に卵サンドなどはやばいだろう。そう思って簡単な食事が終わると、それらパンをテントから取り出して、しばらく外で過ごした。
こういうときやることと言ったら、写真を撮ることくらいしかない。
しかし、こういう時間が贅沢なのだ。


ただの林が、夕陽を浴びてこんなに美しい、それだけで心が満たされる。
南の方を振り仰げば、雲が時々晴れて、翌日登る予定の赤岳(いや、阿弥陀岳?)が、その岩稜の姿を現し、いかに自分が偉大かを誇っているかのようだ。手前にある緑のある山とは格が違うと言いたげな、その岩稜である。


私はその岩の頂を見たり、西に沈んでいく夕日を見たり、それを写真に撮ったりして、日没まで過ごした。


十九時頃日が沈むと、私はテントの中に入った。さっきの蒸し風呂が嘘のように涼しくなっていた。
私は翌日すぐに出発できるように荷物を整え、シュラフに入り、すぐに眠りに落ちた。

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