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自己紹介(総裁選用)

自民党総裁選の候補者の写真と経歴が新聞に並べて書かれてあった。
私の経歴を書いたら、総裁になれそうかどうだろうと思って書いてみようと思う。

国学院大学卒。
十六歳で統合失調症発症。
二十代パートの肉体労働。
三十四歳から介護士。
今年、ジャンダルムに登頂する。
小説家を目指す四十五歳。


まず、国学院大学卒・・・弱いな。今回の総裁選では九人中四人もハーバード大学院修了している。慶大卒が弱く見えるところに、国学院とは弱すぎ、学歴主義の日本では誰も投票しないだろう。
次、十六歳で統合失調症発症・・・これはダメだ。精神障害者に一国のトップを任せようなど誰が思うか?私の経歴の中で最低な経歴だ。しかし、ドナルド・トランプは演説で、「犯罪者や精神疾患者が国境を越えて侵入してくる」みたいなことを言っていた。精神疾患があると犯罪者予備軍なのだろうか?アメリカではまだそうみたいだ。日本はどうだろう?
次、二十代パートの肉体労働者・・・これはいいかも。非正規雇用と正規雇用の問題は各候補がみんな問題にしている。私は時給八百円で五年間肉体労働をやり通した。総裁選に出る人たちでそのような経験のある人はないだろう。よし、これは強みだ。しかし、逆に言うと、「そんなやつ、いっぱいいるよ」となる。やはりダメか。
次、三十四歳から介護士・・・これも今時の職種だ。しかし、それから十年以上お年寄りの介護をしていて、それが政治家になる強みと言えるか?オムツ交換を毎日やったことが、首相になったとき生きるか?いや、もしかしたら生きるかも。
あの二十代の肉体労働の苦労、三十四歳から毎日老人の排泄の介助、首相になったらきっと生きる。
と思いたいが、「そんな仕事をしてるやつはいっぱいいるよ」と言われればそれで終わりだ。
次、今年、ジャンダルムに登頂する・・・上の写真はそのときのものだ。ジャンダルム・・・登山をしている者ならば知っているが、そうでない者にはピンとこないだろう。ここに写真を載せておこう、こんな山だ。

あのてっぺんにいる時の写真が、この記事のトップの写真だ。私はこれを非常に自慢に思っている。首相になれたからと言って、ジャンダルムに登れるわけではない。勇気があるかないか、それが問われたとき、私はジャンダルムを登ったときのことを思い出したい。しかし、「ジャンダルムに登ったことのあるやつなんかたくさんいるよ」と言われるだろう。しかし、それは「東大を出たやつなんかたくさんいるよ」と言うのと同じことだ。私はジャンダルム登頂を勇気の証しにしたい。もちろん登山のプロから見たらジャンダルムなど朝飯前なのだが、私はアマチュア登山者として、この登頂を自慢しているに過ぎない。どの世界にも上には上がいる。
最後、小説家を目指す四十五歳・・・ダメだろう。首相になろうとしてるやつが、小説家目指していちゃダメだろう。首相経験をネタに小説を書く気だろう、そう思われても仕方がない。

私は首相になりたいと思ったことは一度もない。
かつてはマンガ家を目指していて、統合失調症になり、マンガ家は諦め、小説家を目指している。十四歳からずっと、物語芸術を作ることばかりを考えて生きて来た。
最近はもう政治や世の中のことに関心を持とうとせず、自分は良い小説を書けばいい、そのためには世の中のニュースに振り回されていてはダメだ、そう思っている。自分の力を最大限発揮することだけを考えたい。そうすることが結果として世の中の役に立つことになるだろうから。
だから、日本の政治は代議制なのだ。もちろんすべての国民が議論する直接民主制ならば誰もが政治家になるわけだ。しかし、それが物理的に無理なのと、国民にはそれぞれ得意不得意の分野があり、できればすべての人が最大限自分の能力を発揮できる社会が望ましい、だから、代議制であることは大事だと思う。国民は自分の力を発揮することに集中して、政治のことは一票分のことだけ考えればいい。
これが私の政治に対するスタンスだ。
政治に関心を持ちなさい、投票に行きなさい、そういう言葉はよく聞く。しかし、自分の人生を生きなさい、という言葉の方が本当に人々にとって大事なのではないだろうか。投票は自分の人生、周囲の人の人生を守るために行くべきで、それ以上に深く考えすぎる必要はないと思う。

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