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【長編小説】『地下世界シャンバラ』5

四、奥技『震空波しんくうは

 ライが闘林寺に入門して六年経った。
 大僧正は闘林寺全体を挙げて波動拳大会なるものを開いた。誰が最高の波動拳の使い手かを競うのだ。このときの闘林寺には波動拳を使える者が五十名いた。千人の修行僧がいる中で五十人は少ない。それだけ難しい技なのだ。
 結果はライとレンが抜きんでているとの誰もが頷くものとなった。
 そこで大僧正はこのふたりに奥技「震空波」を伝授することに決めた。
 大僧正はライとレンだけを連れて河原に降りた。
「ライ、おまえの波動拳はかなり我流の型となったな」
「うん、投げるようにして放つのが俺の波動拳だ」
大僧正は言った。
「だが、震空波は押し出すようにしなければできない技だ。震空波は気を放ってぶつける技ではない。空間そのものを振動させる技だ」
レンは言った。
「空間そのもの?」
「やって見せよう」
大僧正は大きな石に向かって構えた。構えは波動拳と変わらない。
ライは言った。
「大僧正、的になる石が置いてないよ」
大僧正は言った。
「その大きな石が的なのだ」
「え?」
大僧正は目を閉じた。右手に気を集中している。そして、「やっ」と右手を石に向かって押し出した。すると、横にいたライとレンから見ると大僧正の右手の先から向こう側の景色が歪んだ。まさに空間が歪んでいるように見えた。その歪みは波打ってその波が大きな石にぶつかると、大人の背丈ほどある大きな石は砕けて崩れ落ちてしまった。
「すげえ」
ライは目を輝かせた。
「信じられない」
レンはポカンと口を開けた。
「さあ、やってみなさい」
大僧正はふたりに促した。
 ライとレンは大僧正の真似をしたがどうしても波動拳になってしまい、震空波にはならなかった。
 大僧正は言った。
「そうそう、この震空波は見たように岩をも砕く強力な技だ。人に対しては絶対に使わないように」
「え?じゃあ、なんのために・・・」
ライが言いかけると、レンが言った。
「シャンバラへの入り口を開けるためだろ?」
「じゃあ、シャンバラへの入り口って、岩を砕いて行くってこと?」
ライがそう言うと、大僧正は言った。
「それは私にもわからない」
大僧正は、「あとは自分たちで頑張りなさい」と言って伽藍のほうへ石段を上がって行ってしまった。
 
 
 それから五年の歳月が流れた。
 ライが十六歳、レンが十七歳になっていた。ふたりはまだ、震空波を会得できていなかった。
 月のある日は夜も河原で震空波の修行だった。
「ダメだ、できない」
レンは河原に仰向けに寝転がった。
ライも同じように寝転がった。空には月が浮かんでいた。星々も見えた。
「レン、俺は母さんがシャンバラにいるらしいから、震空波を会得したいんだけど、レンはなんのためにシャンバラに行きたいんだ?」
レンは空の月と星々を見上げながら答えた。
「悟りの境地って興味あるか?」
「え?」
ライはレンが突然宗教的なことを言い出したので少し面食らった。
レンは言った。
「僕たちのいる闘林寺では武術の修行をする。武術の修行をする理由は体と心を鍛錬することによって悟りの境地に達することにあるんだ」
ライにはよくわからなかった。
「サトリ・・・?」
「聞くところによると、シャンバラの住民はすべて悟りを開いているそうだ」
レンは笑った。
「信じられるか、すべての人が神様みたいな人なんだぜ?僕は悟りを開いて父上に恩返しをしたいんだ」
「大僧正にか?あ、そうだ、大僧正は僧侶だよな。結婚しちゃいけないはずだ。俺の父さんは結婚したから破門されたんだ。大僧正に子供がいるっておかしくないか?」
レンは答えた。
「僕は捨て子なんだ」
ライは黙った。レンは続けた。
「昔、父上が山門に降りると赤ん坊の声がした。見ると門の下に赤ん坊が捨てられていた。それが僕だ。父上は僕を養子にしてくれた。だから、僕は立派な人間にならなければならないんだ。それが恩返しなんだ」
 ふたりが話していると、石段を幼い小僧がひとり降りて来た。
「たいへんだぁ。レン、ライ、大僧正様が」
レンは立ち上がった。
「父上がどうした?」
小僧は息を切らして言った。
「亡くなられました」
「亡くなった?」
レンは頭の中が真っ白になった。
 レンの心に大僧正への熱い思いが沸き上がった。捨て子の自分をここまで育ててくれた父親。奧技の震空波を会得して立派な僧になったことを見せたかったこと。いつも優しかった父親。厳しいことはあっても必ずその裏には愛があったこと。
レンは目を赤くして涙を滲(にじ)ませた。
「父上、僕はシャンバラへ行きたかった。シャンバラで悟りを開いてこの寺に教えを持ち帰りたかった。でも、父上の寿命はそこまで待ってくれなかった。立派になった僕の姿を見せたかったのに・・・。悔しい。父上、悔しいです。僕はまだ、何の恩返しもできていない」
レンの右手に自然と激しい気が溜まった。
「僕は僧侶だ。捨て子だ。捨て子は不幸かもしれない。でも・・・」
レンの脳裏に覚えているはずのない記憶が映像として蘇った。山門の下で自分が泣いている。すると白い髭の優しい顔をした男が自分を拾い上げてくれる。「おうおう、よしよし、もう泣かんでいいよ。私が育ててあげよう。泣くな泣くな、ほれほれ」
レンの両目から涙がぶわっと溢れた。
「僕は不幸などではなかった。幸せだった。ありがとう、父上!」
レンは右手の気を放った。レンの右掌から波が打った。強い波だ。波動拳ではなかった。空間が波打った。それはまさに震空波だった。狙いの石は粉々に砕けた。
ライは言った。
「すげえ、できた。震空波。五年がかりでようやく」
レンは泣いていた。
「できた!父上!」
レンはもう一回震空波を放った。石の後ろにあった大木が倒れた。
ライは言った。
「おい、もういいよ。レン、できたよ。震空波」
レンは涙を拭いて言った。
「じゃあ、父上の所へ行こう」
「いや、待ってくれ」
ライは構えた。
石段に足を掛けたレンは振り返った。
ライは言った。
「俺もできると思う。震空波」
「ライ・・・。それは後にしよう」
「嫌だ。今、俺も」
ライは右手に意識を集中した。そして、死んだ父親のことを思い出した。
「父さん!」
右手を前に突き出した。でも、波動拳すら出なかった。
「あれ?」
レンはその様子を涙を拭きながら見ていた。
「たぶん感情の力が空間を波立たせるのだと思うぞ。心を無にする波動拳とは逆だな。感情を一点に集中し爆発させるんだ。例えるなら、赤ん坊が『おぎゃー』と泣くエネルギーだ」
「レンはすごいよな。その感情の爆発を自己分析しちゃうんだもんな。俺にはできねえな。せめて感情を爆発させることができれば・・・」
「早く行こう。今は震空波のことはもういいよ。早く父上の所へ。ライにとっても第二の父親だろう?せめて死んだ顔を拝みに行こう」
そのときひとりの人影が石段を下りてきた。人影は言った。
「震空波は心の奥にある扉を開いたときに生まれるものだ。それは何よりも強いエネルギーで空間さえも波立たせてしまう。赤ん坊が『おぎゃー』と泣くエネルギーと同じものだ。大人になるとそれを心の奥にしまって鍵をかけてしまいがちだ。その心の扉を自在に開けることができれば、波動拳と同じ使い方ができる。波動拳のできない、一般人がいくら心の扉を開けてもただ感情的になるだけだ。感情を物理的力に変えるのが武術のなせる業だ」
その人影は大僧正だった。
「父上?亡くなったのでは?」
レンは驚いて自分の感情さえわからない混乱に陥った。
「私が死んだと聞いておまえは私に対する感情を爆発させることで震空波を会得した。よかったな」
レンは嬉しいのか悔しいのかわからなかった。
「父上、騙したんですね?」
「そうだ。騙した。これは賭けだった。おまえが私の訃報を聞いたのをきっかけに激しい感情を抱いてくれることを信じての嘘だった」
レンはなんと言ったらいいかわからなかった。
ライは言った。
「大僧正、俺には震空波ができない。どうしたらできる?」
大僧正は言った。
「西にある辺境の国、ラパタ国から震空波を使える者を送って欲しいと要請があった。あの国の王女がシャンバラへ行くことを望んでいる。その護衛と震空波を使いシャンバラへの鍵を開けるためにレン、ライを連れて行きなさい」
ライは言った。
「俺には震空波ができない。なにかコツのようなものを教えてくれ。大僧正」
大僧正は言った。
「感情の力だ。強い感情が必要なのだ。おまえたちの様子を見ていたが、ライ、おまえにも震空波は撃てるようになる。時間の問題だ。こんなときにラパタ国から要請があったことは何かの縁かもしれん。旅に出なさい。旅は多くのことを教えてくれる。もしかしたら旅の途中で震空波を撃てるようになるかもしれない」
ライは言った。
「本当か?」
「確言はできない。だが、そう慌てることもあるまい。震空波はレンができる。鍵を開けるにはひとりで充分だ。シャンバラは理想の仏国土だ。おまえたちには多くを学んできて欲しい」
ライは言った。
「シャンバラへ行けば震空波を会得できるのか?」
「それはわからん。ただ、ライよ。私はおまえには大きな可能性を感じる。行ってきなさい。大きな人間になるのだ」
ライは頷いた。大僧正は言った。
「それから、レンよ。いい加減にそのおかっぱ頭はやめよ。シャンバラへ行くのだ。剃髪しなさい」
レンは言った。
「嫌です。僕の自己イメージを崩したくないです。それに僕を騙しておいて突然ラパタ国へ行けとは、僕の気持ちはどうなるんですか?整理がつきません。」
大僧正は笑った。
「ほっほ、悪かったな。おまえは自己イメージと言うが、シャンバラに行けばその考えも変わるかもしれんな。まあ騙したのは悪かった。だが、おかげで震空波を会得できたんだ。私も死んでないし、結果はいいことばかりだ。ふたりとも、もう今夜は休みなさい。明日出発するのだ」



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