『空中都市アルカディア』4
三、ホバーボード
ホバーボードは地殻の大変動前の旧世界で言うとスケートボードに似ていて、というかほとんどスケートボードで、ただ、車輪がなく板だけが、地上数十センチの空中に浮いている。前部と後部が少し反っている板でファンやジェットエンジンが付いているわけではない。これは新世界の動力、「斥力」を活かしたもので、スケートボードのように横向きに乗り、前の足を踏み込むとアクセルがかかり前進し、止まるときはスノーボードが雪の上でブレーキを掛けるように横向きに板の裏側を前に向けて空気の斥力で止まる。この乗り物は、まるで自転車のように気軽な移動手段として使われている。特に若者にはスポーツとして人気がある。また、公道でアクロバティックな動きをすることは禁じられているため、ボードパークのようなスポーツ施設がある。オリンピアの祭典の種目にもなっていて、八位以内に入賞すればアルカディアに行ける。
カルスはホバーボードには自信があった。
「俺はホバーボードで金メダルを獲ってアルカディアに行く」
そう思っていた。だから、毎日、ホバーボードの技を磨くことだけを考えていた。カルスの両親も彼が学問で身を立てていくなど期待してなく、スポーツ選手として生きていくことを期待していた。
小学校に入学してからは、カルスとライオスは頻繁にケンカをした。いつもシロンが止めて終わっていた。ある日、カルスはライオスに決闘を申し込んできた。ホバーボードで勝負しろ、と。その場にシロンとアイリスが立ち会うことになった。
場所はエーゲ海に面しているトリトン海浜公園ボードパークの一部の砂浜だ。ブイの浮かんでいる海の上までがボードパークに含まれている。ホバーボードは海の上も滑ることができる。
シロンとアイリスはホバーボードに乗ることがまだできなかったので、路面列車で海浜公園まで行った。ライオスもひとりでホバーボードで行くよりはこのふたりと行きたいと思って子供用のエンジ色のホバーボードを抱えて二両編成の路面列車に乗った。オレンジの街路樹が緑の葉を茂らせ続く道を東に向かった。三人とも保護者なしで路面列車に乗るのは初めてだった。海浜公園までは三十分かかる。途中、車窓から家々の向こうにオリーブ畑が広がっているのが見えた。ネオ・アテネは世界の首都でありながら少し足を延ばせば田園地帯に出ることができる。
真っ白な砂浜。コバルトブルーの波静かなエーゲ海。砂浜の陸側の背後には松林がある。そして、松林の背後には広い駐車場がある。砂浜の北側には巨大なスタジアムがいくつも見える。南に目をやれば、白い砂浜は東に向かって弧を描くように延びていて、その先端には小さな白い灯台がある。
他にも十代、二十代のホバーボーダーたちが砂浜を滑ったり海上を滑走したりしてホバーボードを楽しんでいる。ところどころに海で溺れた人を助けるライフセイバーが高い梯子の上の椅子に腰かけて看視している。
カルスは言った。
「じゃあ、勝負はホバークラッシュで」
ライオスは言った。
「それは小学生には禁止されているだろ?」
カルスは笑って言った。
「怖いか?」
ライオスはカルスを睨んで言った。
「怖くない」
ホバークラッシュとはホバーボードの競技の一種で敵をホバーボードで踏みつけて倒すという荒っぽい競技だ。おそらく大衆には一番人気のあるスポーツだ。ライオスたち小学生には禁止されている。ライオスはてっきり子供にも認められているスピード勝負をするのかと思っていた。だが、もう引き下がれない。
青い瞳のアイリスは言った。
「やめようよ。危険だよ」
カルスは言った。
「女は黙ってろ」
アイリスはライオスの腕を掴んだ。
「ライオス、やめて」
ライオスはアイリスの腕を振りほどき、数歩進んで、砂の上にエンジ色のボードを置いた。
ホバーボードに乗るときはヘルメットを着けなければならないという決まりがあった。大人が路上を移動手段として滑走する際はヘルメットの着用は義務付けられていなかったが、中学生以下は路上でもヘルメットが義務付けられていた。ホバークラッシュをやる際は大人も防具を身につけるよう定められていた。
ライオスは言った。
「カルス、おまえもヘルメットを着けろ」
カルスは笑った。
「必要ないね」
ライオスは言った。
「死ぬぞ」
カルスはまた笑った。
「おまえがな」
ライオスはムッとした。ライオスがエンジ色のボードに乗るとボードは浮かび上がり、海に向かって滑り出した。カルスはニヤリと笑った。
「そう来なくっちゃ」
カルスも黒いボードに乗りそのあとを追った。ホバーボードに乗れないシロンとアイリスは浜辺でふたりの闘いを見るしかなかった。
アイリスはシロンの左手を右手で握った。じっとりとしたその柔らかな彼女の右手の感触をシロンは感じ、顔が熱くなった。
波のないコバルトブルーの海面に白とサファイアブルーの航跡の尾を引いてライオスは海上を滑走する。それに並行してカルスも滑る。そして、ふたりは間合いを図る。ライオスはボードの前部を左右に振り、カルスに向かって跳び上がる。この跳び上がる技をチックタックフライという。大洪水前の旧世界にあったスケートボードの技でチックタックというのがあるが、それは板の後部を踏み込んで前部を浮かし、そして、前部を左右のどちらかに振り地面に叩きつけて勢いをつけて前進するものだが、それと同じことをホバーボードでやると空中のかなり高いところまで跳び上がることができる。
ライオスはそれをやった。六歳でそれができるのは相当なものだ。むろん十代のお兄さんお姉さんたちほど高くは跳べない。だが、同じ六歳相手にホバークラッシュするには充分な高さだった。いや、ライオスは充分だと思った。が、相手はカルスだった。カルスはライオス以上に高く跳んだ。そして、空中でふたりはぶつかった。カルスの黒いボードの裏面が、ライオスの顔面を捉えた。ライオスはヘルメットを着けていたとはいえホバーボードの裏面を顔面に受けてただで済むわけがなかった。ライオスはボードとともに海に落ちた。それを見たライフセイバーが、ホバーボードで現場に駆け付け、ライオスを助けた。ライオスは浜辺に引っ張って来られ、大量の海水を口から吐いた。
ライフセイバーは言った。
「君たち、小学生だろ?ホバークラッシュなんてしたらダメじゃないか」
シロンとアイリスは謝った。その場にはすでにカルスの姿はなかった。
帰りの路面列車内で、ぐっしょりと濡れたライオスは吊革につかまって悔しがっていた。
「ああ悔しい。あんなやつに負けるなんて」
青い瞳のアイリスは言った。
「仕方ないわよ。ホバークラッシュなんて大人のやるものでしょ?」
背の高いライオスは言った。
「ぼくたちもいつかは大人になるだろう?」
アイリスは言った。
「でも、まだ、子供でしょ?」
シロンが口を挟んだ。
「ライオス、ぼくにホバーボードを教えてくれないか?」
ライオスは快く答えた。
「おお、いいとも」
アイリスも言った。
「わたしも覚えたい」
「教えてやるよ」
ライオスは濡れた大きな体を揺らして笑った。
路面列車は、緑の葉を茂らせているオレンジの街路樹が続く道を西へ、ネオ・アテネの中心に向かっていた。
その夜、シロンは父親にホバーボードをねだった。シロンの家はコロナキ地区にある四階建てマンションの三階にある。
「お父さん、ホバーボードを買ってよ」
父親は言った。
「どうした急に?」
「ぼくはもう小学生だ。ホバーボードくらい覚えなくちゃ。友達はみんな持ってるよ」
父は笑った。
「みんなって誰のことだ?」
シロンは困った。
「え、ええと、ライオスとカルスとアイリスと・・・」
父は笑って言った。
「買ってやるよ。今度の日曜日にスポーツ店に行こう。ただし、ホバーボードに夢中になって学問を疎かにしたらすぐ、ホバーボードは没収する、いいな」
「うん、わかったよ」
男の子シロン、女の子アイリス、男の子ライオスはトリトン海浜公園のボードパークにいた。トリトン海浜公園は広い公園で、その中にオリンピアの祭典で使われる競技場がいくつもある。その中のひとつにボードパークがあり、このボードパークにはスピードを競うトラックとホバークラッシュの闘技場がある。そのボードパークの一部にある砂浜でライオスコーチによるホバーボードの練習会だ。シロンは黄色のホバーボードを持っている。アイリスは桃色のホバーボードだ。
ライオスは言った。
「足の置き方だけど、ぼくは左足を前に置く。右を前にする人もいるけど左が一般的だと思う」
シロンとアイリスはボードの上に左足を置いた。そして、右足を置いた。両足を置くと斥力が働き、浮かび上がる。ボードは数十センチ宙に浮いている。乗っているだけでフラフラする。大地を踏ん張ることができない。
ライオスは言った。
「そして、前の足、左足を踏み込むと前に進む」
アイリスは左足をゆっくりと踏み込んだ。ホバーボードは前にゆっくりと進んだ。
「やった。うわ、すごい、進んだわ」
シロンは左足を強く踏み込んでみた。すると、海に向かって急発進した。
「うわー!」
ライオスは言った。
「あ、バカ、まだ、止め方を教えてないだろ」
シロンは黒髪に風を受けて海の上を滑った。
「すごい、速い、速いぞ。ぼくは初めてなのにもうホバーボードを乗りこなしてる」
シロンは白とサファイアブルーの航跡を引いてどんどん陸地を離れていく。ライオスは呆れた。
「あいつ、初めてのくせにあそこまで速くスピードが出せるなんて、天才か?でも、止め方を知らないだろ」
シロンはまっすぐ沖へ突き進む。シロンは気づいた。
「どうやって曲がる?どうやって減速する?」
そして、そのまま、沖へ進みボードパークと外海の境界線であるブイの外へ出てしまった。そこで転んで、ライフセイバー出動。
気づいたときには浜辺に寝ていた。
ライフセイバーが去って行くのがシロンにはわかった。
背の高いライオスは寝ているシロンを見下ろして言った。
「止め方を教えてないのに、あんなにスピードを出すなよ」
シロンは起き上がって笑った。
「出ちゃったんだもん」
だが、ライオスはこうも言った。
「あの加速は天才的だぞ」
シロンは喜んだ。
「そ、そうか?」
ライオスは言った。
「でも、止まり方を知ってから出せよ」
「ごめん」
アイリスは言った。
「じゃあ、ライオス、止まり方を教えて」
「ああ、サイドスリップブレーキって言うんだけど、止まるときに板を横にして裏面を前に向けて空気の斥力で止まるんだ。じゃあ、お手本を見せるね」
ライオスは浜辺を滑り出した。そして、遠くまで行ってUターンして戻って来て、スノーボーダーが雪でブレーキを掛けるようにして、空気の斥力を使って止まった。
さっそく、アイリスはやってみた。Uターンができないので直進して止まろうとしたら転んでしまった。
シロンもサイドスリップブレーキをやってみた。一発で完璧にできた。
「天才か?」
ライオスは呆れた。
シロンはUターンもやってみた。完璧にできた。
「ライオス、楽しいな、ホバーボード」
黒い瞳のシロンは笑顔だった。浜も海もシロンは滑りまくった。
アイリスも少しずつ覚えていった。
あまりに上達の速いシロンに対してライオスはチックタックフライを教えてみることにした。
「後部を踏み込んで前部を上げる。そして、前部を左右のどちらかに振りながら踏み込む。右に踏み込んだら次は左、それを繰り返す」
シロンは言われた通りにやった。海上でそれをやったら、十メートルほど駆け上がることができた。ライオスは呆れた。
「六歳で十メートル?プロでも二十メートルが限界と言われているのに、六歳で、しかも初めてで十メートル?天才だよ、こいつは」
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【長編小説】空中都市アルカディア
学問やスポーツなどの特技の優れた者しか上がることの許されない空中都市アルカディア。主人公たちは上がることができるのか?また、そこでは何が待…
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